電車が停車し扉のすぐそばにいた秋穂は、『開く』のボタンが光る前に、はやる気持ちで連打した。開いた扉から飛び出す。 深夜の鳩羽(はとば)駅は、がらがらで走る少女を注意する人はいなかった。少女の他には、終電で帰ってきた酔っ払いしか降りなかった。 ホームは、夏の虫の声も聞こえず、シンとしていた。秋穂は、改札に切符を通して、バス停へ急いだ。 ちょうどそこへ、黄色の大きなバスが――高速バスだろう。それがバス停へと走る少女の前を通り過ぎて行った。 高速からバスから降りたのはたった一人。ぽつんと一人、青年がバス停に立っていた。 「坂城さんっ」 「!?」 秋穂は青年――恋人の坂城の名前を呼んで駆け寄った。彼は面を食らった顔をして、何度か眼鏡の奥の目を瞬いた。 「秋穂……なんで」 「急に帰ってくるって言ったから、坂城さんか坂城さんの家に何かあったのかと思って……」 秋穂は、心配を色濃く顔に表す。へにゃり、と眉を下げて「何かあったの? 」と彼を見上げる。坂城は、バツが悪そうに秋穂から視線を逸らして首を振る。 「家族には何もない。俺も元気だ」 「そ、そっかぁ……! それならよかった。メールで一言、ただ今日帰るって来て返信しても返ってこないし、もう何かあったのかと……」 秋穂は脱力してその場にしゃがみこむ。 ――少女は、今日の正午に突然坂城から「今日高速バスで帰る。明日会えるか」と連絡が来て驚いたと同時に、彼か家族に何かあったのかと胸を騒いだ。 ……なにせ、遠距離になって二年、盆と正月しか帰ってこない恋人。そう考えない方がおかしいだろう。 「あー、寝るから携帯の電源は切っていた」 「でしょうねええ!!!」 少女は自分の恋人はマメに連絡をとらないし、要点しか伝えない人だと分かっていた。一度電話して出なかったら電源を切っていると察することが出来た。理由が知れないなら、少女は一言返信しておいた。 『今、会いにいきます』と。 彼は携帯を起動させ、それを見た瞬間なんとも言えない顔をした。 「明日会えるか、と俺は聞いたんだが」 「明日会おうはバカ野郎です」 「会い急ぐ必要はなかった!」 「それなら即連絡取れるようにしておいてくださいよ!」 坂城は、もっともな意見にグウの音もでない。誤解したのはそっちだろ、と憎まれ口を心の中でつぶやくも、少女に変な心配をかけたのは自分だと思い直す。やはり罰がわるそうに小さく謝った。 「……変に心配かけたみたいで悪かったな」 「ううん! 心配損でよかった!」 秋穂は、ぱっと顔をあげて坂城に向けて、微笑む。坂城は一瞬息を止めて、しゃがみこみ、秋穂を抱き寄せた。 突然のことに、秋穂は身を硬くする。 「ど、どったの……」 「急に帰ってきたのは……ただお前に会いたくなっただけ、なんだ」 「うえ!?」 「……悪いか」 「な、なんで……」 「生命の危機を感じて、お前に会いにいこうと思った。それだけだ」 「生命の危機!? クマと戦ったとか!?」 「こっちじゃよくあるけど、都会じゃないだろ……名状しがたき、何かと遭遇したんだ」 めいじょーしがたきなにか、と秋穂は口の中で坂城のことばを繰り返す。そう言ったとき坂城は腕の力を強めたから、とにかく怖い目に遭ったのだろうと、秋穂は勝手に納得した。 「怖い目にあったんですね」 「……そういうことにしておこう」 坂城は秋穂を腕の中から開放し立ち上がって「お前、さっきの終電だろ。どうやって帰るんだ」と秋穂に聞いた。 「あ」 「はあ……」 「えへへへ……?」 帰りのことはまったく考えていなかった。そもそも、少女は正午発の高速バスを調べて、大体着く時間に当たりをつけて電車できたのだ。帰りは帰りで、なんて無鉄砲な行動力だ。坂城は彼女の手を引いて、実家に方へ歩き出す。 「今日は泊まっていけ。実家、誰もいないらしいが」 「なにそれだいじょばない」 「移動に疲れて何かする気力もない。でも、抱き枕くらいにはなれ」 「明日寝不足になるのでご遠慮ねがいまーす」 「ひきずりこむから遠慮しなくていい」 「それを強制っていうんですよ!」 「嬉しいくせに。明日学校はあるのか」 「何も嬉しくねえわっ。ありますよ……」 「じゃあ始発で見送らなきゃな」 「やだ。サボる」 「わかった、布団から蹴り出す」 「いつもそう……あなたは何もわかってない……!」 「何も分かってないのはお前じゃないか……!」 茶番めいた会話を繰り返しながら、ゆっくりと二人は手を絡め歩いていく。そのうち坂城の生家につき、家の前で坂城が「あっ」と思い出したように秋穂を振り返って口を開いた。 「言い忘れていた――……秋穂、ただいま」 秋穂は驚いて目を見開く。すぐに破顔して、明るい声で返事をした。 「坂城さん、おかえり!」 ∴今、会いにいきます クトゥルフ神話TRPGというゲームがありまして、坂城でキャラクターを作ったときに思いついた話です。生還した彼の後日談。 9月1日 騎亜羅 [←戻る] [←main] [←top] |