※シリアス、嘔吐表現注意


あーあ、可哀想に。
結局お前は女でしかなかったわけだ。

聞き慣れたような聞き慣れないような、くぐもった声に刹那は勢いよく背後を振り向く。ぐにゃりと歪んだ視界は前方の景色を、水面に揺らぐ波紋のように変形させ、その先に立つ人間のような影の視認を酷く困難にする。お前は誰だと問う前に、明瞭に見えないはずのその人が誰なのか理解してしまい、刹那の表情が蒼ざめる。無意識に一歩後退った。それは遠野刹那だった。紛れもない、遠野刹那自身だった。

可哀想な俺。
男にもなれず、女にも戻れない、どっちつかずの失敗作。
カワイソウに。

それは遠野刹那だった。
刹那が焦がれた、男の遠野刹那だった。ふ、と、見下ろした自分自身の身体。膨らんだ胸、華奢な肩、細まったくびれ。遠野刹那は女だった。




そこで目が覚めた。
ばっと布団を蹴落とす勢いで身体を起こし、荒い呼吸で酸素を求める。乱れた息遣いだけが、月明かりが差し込むだけの静穏な室内にやけに大きく響く。慌ててシャツのボタンを引き千切る様に肌蹴させ、自分の身体を確かめる。…硬質な、肌。しっかりと付いた筋肉。少しだけのくびれ。それ、から…。


「……いやだ…」


僅かに、膨らんだ、胸。


「っ、いやだ…っ!!!っう、ぁ、げ、ぇ…」


一気に襲い来る不快感、嫌悪感。それらが嘔吐感と絡み合って、一気に喉元へと迫り上げる。堪らず胃の中の物を吐き出し、それが切欠となったかのように、次から次へと、溢れて止まらない。何も食べず、否、何も食べれずに眠りについたせいで、吐くものが碌になく、返って恐ろしいまでの嘔吐感に襲われる。吐きたいのに、吐けない。伏せって何とか、何かを吐き出そうとするうち、ついに胃液が口から逆流する。誰か助けて、苦しくて、気持ち悪くて、堪らないんだ。助けて。―――――スズちゃん。

ふ、と、朦朧とした頭に、柔く笑う一人の顔が浮かんだ。一度吐き終え、ふらつく身体を無理矢理に起こす。そのまま、覚束無い足取りで洗面所へと向かえば、顔を洗い、気持ち悪い咥内をひたすらにすすいで、冷や汗で張り付くシャツとズボンを脱ぎ捨てる。鏡に映った気持ち悪い胸に嫌悪感を露わにして、力任せに鏡を叩き割った。硝子の破片が散らばり、そこに一筋、刹那の手から滴る血潮が、赤い染みを作った。痛い、と、思う感覚さえどこか擦り切れている。治療どころか、血を拭うことすら億劫で、赤い滴を滴らせたまま、明日着るはずだった新しいシャツへと腕を通す。白いシャツが、ところどころ赤に染まった。歩くたび、どこかしらに血を落とす。鍵を引っ掴み、携帯だの財布だのといった必要最低限のものさえ忘れて、ふらふらと部屋を出た。オートロックのマンションのドアは、刹那が出た途端、勝手に閉まる。賑やかな夜の街、喧騒と車の排気音が飽和する。ネオンのライトから隠れるように、刹那はただひたすらに、一か所だけを目指して歩いていった。普段はただひたすらに、明るく馬鹿みたいに笑っているから目立たたないが、表情を消せば大人びた顔だちと呼べるだろう刹那の面立ちは、シャツとズボンだけ、それも滅茶苦茶に着用しただらしない恰好によって、すっかり学生特有の雰囲気を掻き消している。気だるげに、否、実際に気だるい気分のまま酩酊したような足取りで歩く様は、明暗激しい夜の街に驚くほど噛み合っていて、隣を通る巡回の警察官でさえ、刹那に気を止めることはない。ふらつく足取りで目指す場所、それは、三桜学園の学生寮。


「……スズ、ちゃん」


インターホンすら、鳴らす気力はなかった。ドア越しに、ただ小さく、名前を呟く。現在の時刻は、午前二時。こんな時間に、彼が起きているわけがない、同室の彼もいる、解っている、解っていた。ここまで来て、そうしてどうしようとか、何がしたかったとか、そんなことは何も考えていなかった。それでも、嗚呼、本当、どうしてかな。


「……せっちゃん、」


どうして、君は、いつだって俺の声に気付いてくれるんだろう。
静かに開けられた扉と、そこから覗いた可愛らしい顔に、刹那は情けなく表情を歪める。気付いたら、彼に抱き着いていた。どうしたの、とか、何があったの、とか、きっと彼だって聞きたいだろうに、何も言わずに抱きしめ返してくれるスズの身体は、小さくて、温かくて、それでも、ふとした違和感に襲われる。あれ、何だろう、これ。拭えない違和感に思わず身体を離す。ふ、と視線を落とした先。へにゃりと涙を堪えたみたいに笑ったスズの顔が、先ほどの自分に重なった。


「……スズ、ちゃん」
「……、…せっちゃん」


入りなよ、と、スズが扉を大きく開く。黙って中へと足を運ぶ刹那の手のひらから滴る血潮に気づいても、スズは何も言わなかった。真っ暗な部屋の中、彼がベッドの中に入っていた形跡はない。ただ、部屋の窓が、大きく開いていた。開け放たれた窓の先、広がる夜空と、散らばった星屑と、降り注ぐ月光。スズが寝ていないのは明白だった。同室の、いつだって明るく、笑顔の綺麗な彼はいない。何故いないのか、もう、それを聞くのすら億劫で、刹那はただ黙ってベッドへと腰を下ろす。床には、様々のものが散らばっていて、座れそうになかったからだ。ゆっくり、目の前に佇んだスズが、刹那の身体を跨ぐようにベッドへと膝をついて、そして、未だ滴り続ける血液で濡れた手を、持ち上げる。抵抗一つなく、される儘の刹那と目を合わすこともなく、そっと傷痕へと舌を這わせた。赤く濡れていくスズの唇を、舌を、ぼんやりと眺めながら、刹那はそっと、口を開く。喉がからからに渇いて、掠れた声を出すのが精一杯だった。


「……スズちゃん」
「…なぁにぃ、せっちゃん」
「俺ね…女なんだぁ…」
「……うん、知ってるよぉ」
「スズちゃんは……、男、だね…」
「……、…うん…」


そこで、初めて、二人の視線が重なった。泣きたくなるくらい、二人は、男と女だった。男と女に、なって、しまった。ぽろ、と、スズの大きな瞳から、透明な涙が滴り落ちる。それは深い夜と月の雫をふんだんに受け、きらきらと宝石のように輝いている。それはきっと、スズの頬を伝う間だけ、無二の輝きを誇り、刹那のズボンに染みを作る瞬間には、既に煌めきも何もかも、漂う静寂の間に霧散してしまうのだろう。刹那はスズを抱きしめて、スズは刹那を抱きしめた。男のようだった刹那の身体は柔く、細くなり、今までの逞しさを徐々に失いつつある。女のようだったスズの身体は固く、強く、しっかりとしたしなやかさを纏い、既に女装に違和感が表れ始めている。そっと、スズが刹那の身体を押せば、いとも簡単に、二人はベッドへと転がった。二人で狭いベッドに寝転がって、抱き合って、ぼんやりと夜を見上げる。視界に輝く星は数え切れず、宇宙に横たわっているようだった。ふたりぼっち、だと、泣きながら思った。いつの間にか頬を伝っていた自身の涙を拭うことも忘れ、刹那はスズへと身体を寄せる。白いスーツに染みを作る血潮はようやく勢いを収め、掠れた涙の痕によく似て白に擦れる。


「……寝よう、せっちゃん」
「……」
「…寝よう、ふたりで、今だけは僕ら、ふたりぼっちだから」
「っ、ふ…スズ、ちゃん…」
「宇宙みたい、だね」
「…このまま、…このまま漂って、スズちゃんと二人、沈んでしまいたい、なぁ」


へたくそな笑みで、刹那が無理に笑う。痛そうに、スズが表情を歪めた。笑みを作るのに、失敗した、表情だった。眠ったって、暴れたって、これから迎える未来に、変わりなど、ない。それでもただ、今だけは、全てを忘れてしまいたかった。ひろい、広い宇宙で、ふたりきり。ふたりぼっち。


大好きと呟く声すら慰めにもならないのなら、ただ二人、黙って寄り添って、星になろう。朝なんかこなければいいと人知れず願った。





∴ふたりぼっちの宇宙
 
 
 
 




ツイッターで仲良くさせていただいているルカさまより、コラボCPスズ刹ちゃんをリクエストさせてもらいましたー!!
以前ツイッターで呟いていたネタを覚えていてくださって…!! それもまた感動しましたし、こんなに素敵な文をいただけて本当に嬉しかったです! ありがとうございました!
2014/0910 騎亜羅
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