きったねぇ、という言葉を唾と共に地面に吐き出した。血混じりの唾は赤黒く、俺の服も同じ様に、血で染まっていた。――薄暗い工場。そこは色濃い血の臭いで充満していた。





「若、」
「いい、どうせ捨てる」





シバがせめて顔だけでも、とハンカチを渡すが押し返す。コイツの物を汚して捨ててしまうのはもったいない。どうせ今日身に付けていた物はすべて捨てるんだ。服も、時計も、ハンカチも、全部、全部。血に濡れた手で、ポケットからハンカチと煙草を出す。……そのハンカチを持ってきたことを、後悔した。



「……シバ」
「はい」
「あとでこれと同じもん、買ってこい」
「……それなら私のを」
「二度も言わせんな」
「……はい」



どうせ汚してしまったんだ。だからと言ってこのハンカチで返り血で濡れた顔を拭く気にはなれなかった。――妹から貰ったハンカチ。どうして今日、持ってきてしまったんだろう。



『おにいちゃん、あそんで』



可愛い可愛い俺の妹。9歳年の離れた妹は、小さく可愛らしい。もう14にもなったけれど、まだまだ小さく感じる。いとおしい俺の妹。――こんな汚れた姿を見たら、どう思うだろうか。





……身体を綺麗にすることは諦め、煙草を吸いながら組員の「撤収作業」を眺める。手際が良いもので、淡々と「死体」を処理していく。





ふぅ、と煙を吐き出して、まずい、と顔をしかめる。苦い味と鉄の味が混じって、まずい。仕事終わりの煙草は大抵まずいが、こんなにまずいと感じたのは初めてかもしれない。





――廃工場で、薬で頭がイカれた連中がお互いを殺し合った。それで一番胸糞悪いのは……ソイツらの年。妹と同じくらいの学生で……底辺とは言え、金持ちの子息ばかりだった。その親たちから手に負えないと呼び出され死体の処理が今日の仕事だった。……まさか、くまなく工場を見て回っていた時、一人が生き残っていて――目の前で頸動脈を切られるとは、思わなかった。おかげで血濡れた。頭はイカれて痛みはなかっただろうが、血を大量に流しながら狂い笑う惨めな姿に……銃で息を止めてやった。





「は……人が物だ」
「……食い物にされたんでしょうか」
「たぶんな。最近増えてやがる……」





親元を離れた学生が多数住む三桜町で増えている事件だ。……学生を食い物にして、金を吸い取って甘い汁を啜る連中。





早急に、なんとかする必要がある。







「若、系列のホテルに車を回します。血濡れで気持ち悪いでしょう……」
「良い。見届ける……俺の仕事だ」



シバは気を遣って……というより「こんな仕事若がすべきではない」と思っているのだろう。汚い仕事を見ずに「高坂」を継げるわけがない。



上に立つなら、綺麗な物ばかり見ていけるわけがない。―― 綺麗な物だけを見せるなら、妹に見せてやって欲しい。代わりに俺が、汚物を見続ける。





「シバぁ…」
「はい」
「人は脆いな……」



人は脆い。簡単に死ぬと自分の手が、知っている。今転がっている死体を見ても"物"としか思えない。人だった"物"だ。シバは頷きはせず、ただ目を伏せて首を振った。







「若、無理なさらないでくださいね……千百合嬢が悲しみます」
「ああ……無理なんてしてない」





これが俺の日常だ。妹が見なくて良い世界。







――妹をとびきり甘やかして、遠ざけた世界。





ここが、俺の居場所。




















「お兄ちゃん」
「千百合、お帰り」



仕事を終えて、目が冴えて寝れず居間でごろごろしていると、妹が帰ってきた。家だと仕事とは違う口調になる。オフとオンのスイッチだと思う。




「今日も可愛いね。髪も伸びてきた」
「お兄ちゃんはすぐわたしをほめる。やめてほしい」
「かわいいから、褒めてダメなのかい?」
「良いけれど。見て、数学で満点とったの」


後ろ手に隠していた紙を見せる。「数学 100点」と赤字で大きく書いてあった。


「すごい!頑張ったね、千百合」
「……うん」



固まったような無表情だが、嬉しそうだ。



「千百合は才色兼備でお兄ちゃん鼻が高いよ」
「……うん」



千百合はすごいなあ、と感心して眺めていると妹が俺をじっと見ていた。



「なに?」
「……お兄ちゃん、わすれてる」
「え?」


妹は視線をさ迷わせ、俺の手をちらちら見ていた。それに気づいて……焦って動揺した。



「……千百合がやめてって言うから…」
「だから……って、いじわる」



妹は、俺に頭を撫でて欲しかったらしい。いつも褒めるときは目一杯褒めてやるから、足りなかったんだろう。



「ごめんごめん」



――あはは、と笑いながら、内心平静を装うので精一杯だった。震えを抑え、千百合の頭に手を伸ばした――が、撫でることはなかった。





「すみません、若、今よろしいですか」



襖が開きシバが、俺に声をかけた。



「ん……あぁ、良いよ」



……助かった、と思った。自然を装い手を引っ込めた。



「む……シバさん」
「あぁ、千百合嬢が居るなら後ででも…」
「急ぎだろう? 今行く――千百合、ごめんね。また」





悪いとは思ったけれど、逃げるようにシバに仕事の話を振った。





「……はははっ」
「若?」





居間から大分離れたところで、笑った。シバが訝しげに俺を見る。





「笑えるなぁ。笑えるよ…たぶん、一生触れられなくなるんだろうなぁ!一生……はははっ」



こんな手で、大事な妹に触れられようか。――さっきまで、血で赤く染まっていた手で、触れられるわけがない。



「若……どうしたんですか?」
「なんでもねぇよ。俺、しばらく家に寄り付かねぇから。一ヶ月に一度は戻る」
「えっ!? どうしたんですか、若!」





――シバに話せば楽になるだろう。シバなら分かってくれる。でも、楽になんてなりたくなかった。この痛みは――一生つきまとうものだ。







「――全部、俺のエゴだけどな」





はっ、と嘲笑って血で汚れきった手を握り締めた。







太陽の匂いと、降り注ぐ日に目を細めて――俺は薄暗いごみ溜めのような臭いが鼻につく場所へ、帰る。





そこが俺の居場所だ。






∴兄のエゴ
(大切だから、汚したくない)
 
 
 
 




2013/11/23 騎亜羅
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