「もしもーし、私だけどー」
「…何だよ」
「ねー、今まだ学校?」
「そうだけど」
「やった! じゃあさ、シチューの素買って来てよ」
「……何故、俺が」





理数系に進んだこちらは、文系に進んだあちらとは当然だが授業の時間割が違う。こちらが早く終わっても、あちらは遅く終わる事がある。逆も然り。まぁ、あいつの予定など俺には関係ないけれど

けれど、こういう使われ方をするなら同じ時間に終わる方が……、それはそれでまた面倒か(放課後に構われるから)

教室を出て廊下を歩いていたらケータイが振るえて(マナーモードにしてた)、出てやればコレだ。自然に足が重くなる。が、電話の向こうは明るいまま続けた


「お父さんとさー、寒いからシチューにしようって言って野菜とか切って煮込んたところで素がないって気付いてさー」


誰が素が必要になった理由を言えと。ため息を吐いたところで電話の向こうには伝わらないようだけど


「コンビニでもどこでもいいから買って来てよ」
「だから、何で俺が」
「え、家の場所だいたい知ってるでしょ?」
「…。日本語、通じてますか。答えになってないんだけど」
「あんただったら丁度いいと思って」
「……」


この「丁度いい」というのは、俺ならば丁度帰る頃で外にいて、あいつの家も丁度知っていて、パシリにしても丁度差し支えないって事だろう。…スゲームカつく

下駄箱を蹴りたくなったが足が痛くなるだけだと諦める。靴を履き替え、外に出るともう夕暮れが広がっていた


「ついでにウチで夕飯食べて行けばいいじゃん」


さも、良いこと言ったみたいな声。怒るのもバカらしくなる


「今日のシチューはお肉が豪華なんだよ! 圧力鍋で煮込むから野菜の原形もわりとなくなるし。付け合わせはマカロニサラダと、あともう1品作りたいねってお父さんと言ってるんだけど。あ、なんかリクエストある? 材料あったら作るよ?」


こいつの中で俺がシチューの素を買って行く事はすでに決定事項らしい。いいと言った覚えはないのに。どうしようかと考える。が、考える時点でほぼ決まってるようなものだ

もとからコンビニには行こうと思っていたし(夕飯を買うために)、コンビニ弁当じゃないものが食べられるし、何より片付けをしなくていい。利点はそれなりにあると妥協点を見繕う。デメリットはない、という事にする


「春巻き」
「え。…お父さーん! 春巻きの皮ってウチにあったっけー?」
「冗談だから。いいよ、買ってくから待ってろ」
「本当? じゃあ待ってるからね。あ、春巻きは無理っぽい。食べたかったらコンビニで買って来て」


強いて食べたい訳ではなく、なんとなく浮かんだ食べ物だった。てか、シチューに春巻きって微妙だろ。ツッコミも入れず真に受けてた奴は嬉しそうに続けた


「そうだ。シチューは―――」


銘柄まで指定してされた。やっぱ良いように使われてるなーと、思わなくもないが頷いて電話を切った。あとはコンビニに行くだけ






マンションに住んでいるのはあちらもこちらも同じだが、俺のとこはオートロックが付いていない。寂れたやたら階数だけはある古いマンションだ。だからこのエントランスでのやり取りって苦手だ

あ、そういえばあいつの家って何号室だったろうか。確か60…6?7?8? 電話で聞くという手もあるが、面倒で止めた。間違えたら間違えただと割り切って、608を押した


「はーい、どうぞー」
「…」


声だけであいつだと分かり少し安堵していたら、応える前に自動ドアが開いた。向こうにはカメラが付いてるんだろうが、それにしたって些か無用心じゃないか。まぁ、あいつがどうなろうと知った事じゃないけれど

エレベーターを使って上がる。6階まで行って608号室を探し出した。表札にはあいつの苗字が刻まれている。ここがあいつの家だと確認してからインターホンを押して少しするとあいつの声が流れた


「はいはーい、カギ空いてるから入っ…きゃーっ! お父さん鍋がー!!」


がちゃんっ。そんな効果音と共に切れた。どこまで無用心なんだ、あいつは。もしも俺じゃなかったらどうするつもりなんだろう。まぁおじさんがいるからかもしれないが

呆れながらドアを見る。入れと言われても、勝手に入っていいものかと数秒躊躇うが、住人がいいと言ったしあちらの雰囲気からすると出迎えはさらさら無理っぽいし。覚悟を決めてドアを開けた

途端、野菜を煮込んだ香りがした。ついでにあいつのうるさい声も。寒い外とは違い、中は暖かい。ドアを閉めて、鍵をどうするか悩むが勝手にするものではないし元から開いていたし、大丈夫だろう

リビングに続くだろう廊下を通れば、あいつの声が近くなった。より明るい方へ行った


「お邪魔します」


声を掛けてリビングに入った。おそらく一般的なマンションのリビング。綺麗すぎず、程よく整頓されている。壁にいくつか写真が飾られていた。幸せそうに笑うあいつとその両親。母親は見た事ないがあいつとどことなく似ているし、3人での写真が多いからこの人が母親だろう。本当に幸せそうに笑ってる

見惚れていた訳ではなく、なんとなく見入ってしまった。だからだ、あの言葉に反応が鈍ったのは


「あー、おかえり!」


茶碗を3つ持ったあいつがキッチンからこちらに来ながら言った。対面式のキッチンの向こうにいるおじさんが何かを作っていた手を止めて、笑った


「おかえり。荷物はその辺に置いてね。あ、洗面所はあっちだよ」


暗に、手洗いうがいをして来いと。借ります、と断ってから向かった

洗面所は電気が点いてないから薄暗い。スイッチはすぐに見つかったが押さないでおこう。今、自分の顔を見たくない。落ち着かなくては


「はぁー…」


どうして。どうして、あの2人はああも簡単に、当たり前みたいにあんな事を言うんだろう。俺は部外者なのに。これじゃあまるで、家族みたいだ。嗤える。本物の家族にはもう何年も言われた事ないのに、まさか赤の他人から言われるなんて。動揺してるなんて。馬鹿だ

あんなのただの挨拶だ。あの2人にはどうって事のないものなんだろう。なのに、どうしてだろう


「…あー、嫌になる」


どうして、こんなに不安定になるんだ。たった4文字の言葉にどうして普通に返せないんだろう

答えが出なくてドツボに嵌まりそうだ。気分転換に手を洗おうと、蛇口を上げた。水の流れる音を、排水口に吸い込まれるのを見る。冷たい水が痛いが、頭は少し冴えてきた。そして、ふと思い付いた

あぁ、そうか。言い慣れてないし、言われ慣れてもいないからか。そうだ、そうに決まってる。こんなにも動揺したのは、慣れていないからだ

やっと結論を見つけて、水を止めた。掛かっていたタオルで手を拭いて、鏡を見た。いつもとなんら変わらない自分がいる


「…よし」


よく分からないが気合いを入れて、来た道を戻った


「あ、シチューの素ありがとね。勝手に漁ったよ」


リビングに入るとアイツがシチューの箱を手に言った。おそらくアレは空だろう。軽そうに振ってる


「こっち座ってー。あとちょっとで出来るから。だよねーお父さん?」
「そうだね。あと牛乳入れて一煮立ちしたら完成するよ。あ、サラダ持っていってくれる?」
「はーい。スプーンも持ってくね」


着々と進む夕飯の支度をイスに座りながら見る。何も乗っていなかったテーブルが賑やかになってきた。3人分の食器が並ぶ食卓。極普通の夕飯時の風景だ、ウチでは数える程度しか見た事はないけれど

メインのシチューが出てきて2人も座った。嬉しそうに笑いながら手を合わせた。やっぱり親子だ、笑顔が似てる。頭の片隅で思いながら2人にならって手を合わせる


「それでは皆さんご一緒に。いただきまーす!」
「いただきます」
「……いただきます」


どうして自分がここにいるのかよく分からないが、とりあえず今は腹が減ったので素直に頂く事にしよう


I'm home
ただいまは言えないまま


20130114


高校2年の冬くらい


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