留学して半年くらい



「あ…、その曲、好きかも」


なんとはなしに弾いていた曲だった


「少年のピアノがキレイなのはいつもだけど、うん、この曲好きだな」


彼女は音楽、特にクラシックにはてんで疎かったから、キレイだのスゴいだのという感想はよく言っていたけれど


「なんか気に入っちゃった」


ここまで明確に言うのは初めてだった。だからだろうか、その曲はいつのまにか僕の中でも特別な曲になっていった







「サク、お前またその曲弾いてんの?」


アパートの自室でピアノを弾いているとジャンが茶々を入れてきた

課題が終わらないと泣き付いて来たから仕方なしに部屋に入れてやれば、真面目にやっていたのは最初の30分だけであとは勝手にご飯や酒を飲み始めた。追い出してやろうかとも思ったが、ソファに陣取ってる男をひっぺがす労力を思うとやる気が失せてしまった

歌ったりなんなりと煩わしくあったが無視を決め込みピアノを弾いていたら、あの茶々だ。呆れてため息を思い切り吐き、鍵盤から手を離した


「…そっちこそ課題は終わったの?」
「おう! 大体な!」
「大体、ね…。だったら出てけ」
「んなこと言うなってー!」


アルコールによって幾らか気分が高揚してるのか、否、いつも通りか。相変わらず関わりにくい相手だ。クラスメイトで部屋が隣同士じゃなければこうならなかったかな

ワイン(瓶)片手に立ち上がった彼の足取りに不安はなく、やっぱり酔っているのではないみたいだ。どちらにせよ、面倒な事には変わらないけれど


「お前、この半年、何かしらでその曲弾いてるだろ? なんか思い入れでもあんの?」
「…、そんなに弾いてた?」
「弾いてた弾いてた。2、3日に1回は言い過ぎかもだけど、1週間に1回は確実に弾いてた。隣に住んでる俺が言うんだから絶対だ」


自信満々に言われ、口を噤んでしまった。そんなに弾いていたつもりは無かった

その曲は彼女が初めて好きだと言った曲で、あれから何度もリクエストされて弾いた曲だった。ある意味で彼女を思い出す曲だけれど、そういった感情から弾いていた訳ではなかった

ピアノを練習する指ならしで何を弾こうか考えた時、1番に思い付く。だから弾いていた、それだけだった

今だってただの指ならしのつもりだったのに


「サク?」


思わぬ観察力を発揮されて少し動揺したけれど、悟られないよう首を竦めて否定する


「特にはないよ」
「本当かー?」


あからさまな疑いに口元が緩みそうになる。表情がころころと変わる様が彼女に似ている気がした。ジャンには可愛さの欠片もないけど


「怪しいな」
「……」
「もしかしてアレか? ナデシコガール関連か?」
「その言い方やめない?」
「なら名前教えろよ」
「拒否」
「お前ってヤツは…」


首を振ってオーバーリアクション。それから喉が渇いたのか瓶から直接ワインを飲んだ。少しでも溢そうものなら即刻追い出してやろう


「なぁ、お前気付いてるか?」


ジャンはピアノに背を向け凭れた


「その曲弾いてる時、スゲーいい顔してんだよ? あとパソコンとか電話してる時もな」


振り向き様に笑われてイラッと来たが、そんな事で突っ掛かるのもバカらしくて止めた


「いいねぇ、遠距離でも相思相愛とか」


ジャンに彼女の話をした事はなかったが、隠している訳でもないから知られていても別に構わなかった。恥じるような事でもないし

言葉を返すのも面倒でピアノをまた弾く。曲は同じ。ジャンは体を反転させて笑った


「なぁ、その曲のタイトルなんだっけ?」
「…Salut d'amour」
「あぁ! エルガーのだっけ。ふーん、なるほどねぇ」


意味あり気に頷かれたのを視界の端で捉えた。また下世話な勘繰りでもしてるんだろう

彼女はこのタイトルを知らないとか、僕も深く考えてなかったと言ったところでジャンの表情はきっと変わらない。むしろ、もっと酷くなる気がする


「飽きない訳だな」


俺なら同じ曲ばっか弾いてたら飽きるもん、と馬鹿にしているのか誉めているのか微妙な言い方。表情だけなら確実に誉めてはいないけれど

それに深い意味はないと思っていたけれど、本当は

本当は、彼女のために弾いていのだと。気付かされてしまって少し悔しい。この曲はもちろん、毎日弾いているピアノはいつの間にか彼女のための演奏になっていた。意識してではなく根本にあるもの。彼女に伝わればいいと、彼女が笑っていてくれたらいいと、願っていたのかもしれない


「なんか羨ましいかも」


考え込んでも手元が狂う事はなく、ジャンに見抜かれる事もなかった。これ以上からかわれるのはごめんだ


「半年以上会ってないんだろ? よく耐えられるな」
「まぁ、でも電話とかしてるし」
「そうだけど。会いたい時に会えないのは辛いだろ」


それは当てはまっていると思う、僕もそれに彼女にも。メールを毎日する訳でもないし、電話だって気軽に掛けられない。時差を考慮して、向こうの都合だって考えないといけない。僕も必ず電話に出れるとは言い切れない


「だからこそ僕は、毎日ピアノを弾くのかもしれない」


僕のピアノは彼女のためにあるから


「ジャンの言う通りだよ。この曲は彼女のために弾いてるし、僕がピアノを弾いていられるのは彼女がいたから」


彼女がいなければ僕はピアノを弾く意味を見失ったままだった


「ラブレターみたいなものかもしれないね、僕のピアノって」


曲が終り、音が途切れた。それでも何の反応もないジャンに違和感を感じて見やれば、間抜けな顔をしてこちらを見ていた


「何?」
「…サクってたまに凄い事言うなって」
「そう?」
「むしろ、そんな事言わせるナデシコガールが凄いのか? ってか俺、惚気られただけじゃね? もうなんのお前!」
「は? 何言ってんの?」
「しかも無自覚! 余計にタチ悪いな!」
「騒がないでよ、煩い」


そばかすが乗った頬が薄く赤くなっていた。やっぱり酔っ払いなのかもしれない。関わりたくないな


「そろそろ帰れば?」
「え、冷たい。サク、絶対めんどくさいって思ってんだろ。今日は帰らないからな! ナデシコガールの事教えろ!」
「拒否」


愛の挨拶
またの名をラブレター


「せめて写真見たい!」
「無理」
「年齢とか!」
「やだ」


Salut d'amour by Elgar Edward


20120515


演奏者、恥ずかしい子!笑


ジャン・エイムズ
Jan Ames

演奏者と同じ学校同じアパートに住む、ピアニスト志望の男の子。カナダ人。そばかすが特徴。演奏者より1歳年下だけど、身長はジャンのが高い。

ずーっと出したかった子の1人です。この話を考えていたら、ジャンもカナダで好きな子いたんじゃないかなって思いました。でもきっと別れてるんじゃないかなって思いました。いつか書きたいなって思ry


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