彼女は嘘つきでわがままで、ピアノが上手かった。涙が出るくらい上手かった。

今もまだ耳の奥で響いてる、彼女の音色。




「水森はさ、先生が向いてそうよね」


軽やかにピアノを弾きながら彼女は言った。


「なにそれ。俺には演奏の才能が無いって言いたいワケ?」
「いいえ? まぁ半分くらいはそれもあるかしら」
「おい」


とは言っても、彼女の凪がれる演奏と違って俺のは淀んでる。星が煌めくような音と石が転がり落ちるような音が同じピアノから奏でられる。彼女と連弾するには差があり過ぎた。

自分の弾き方にうんざりなんて、耳が良いのも善し悪しだ。


「ふふ。でも私、水森の音好きよ」
「そりゃどーも」
「水森は耳がいいでしょう? それに的確に人の弱点を見抜くし、歯に衣着せないではっきりと言ってくれるし」
「イヤミ?」
「違うわよ。真面目な話」


彼女の細い腕が鍵盤の上を滑る。それを追いかける、腕。音。


「水森は不良ぶってやる気ないみたいな顔してるけど、本当は面倒見が良くて根気強いのを知ってるわ」
「…だから先生に向いてるって?」
「そうよ」


すぐ隣りに座る彼女は自信満々に笑った。その顔をされると逆らえなくて困る。


「…さなこは留学だろ?」
「しないわ。飛行機こわいから」
「は?」
「嘘。飛行機乗るの大好きだもの。今のところプラハとベルリンが候補よ」
「そう」
「淋しい?」
「まさか。せいせいするっての」
「そうなの? 私は、…淋しいのにな」
「………」
「あ、今ちょっと淋しいと思ったでしょ? やーい、引っかかったー」
「…うっざ」


彼女は笑う。美しい音色を奏でながら、ころころと笑う。彼女のピアノはきっとすぐに世界に認められるだろう。世界中で彼女の音が聞けるだろう。

だから淋しくなんてない。


「ねぇ水森。先生になってこの学校に戻って来てよ」
「は? 先生って高校の? 大学とかじゃねーの?」
「水森には高校の先生の方が合ってるわよ。純真無垢で思春期で反抗期で迷い込んでる子達に音楽の楽しさを教えるの。それにここなら音楽科もあるし、ぴったりじゃない」
「勝手に人の進路決めんなよ」
「あら、イヤなの? 水森は音楽から離れられないでしょう?」
「さあ、どーだろな」
「ふふ。約束よ、水森」

アナタはきっとこの場所に戻ってきて


彼女がどんな気持ちでそう言ったのか、俺にはもう分からない。





受験で忙しくなって彼女と会わない日が多くなった。自分に教師なんて向いてるとは思えなかったが、彼女に言われるとそれも有りかと教員資格の取れる大学に行く事にした。

でもそれは俺が音楽から離れないでいられる方法だった。

結局、彼女には見抜かれていたようで複雑だけれど。それでもやっぱり音楽のそばにいたかった。

冬になると彼女は学校をよく休んだ。向こうも留学の準備で忙しいんだろうと思っていた。単位はもう十分で、あとは卒業するだけだった。それだけだったんだ。








「さなこが、しんだ……?」


俺の前にあるのは、遺骨の入った小さな骨壷と、黒縁の額に入った彼女の写真。

卒業式の数日前に聞かされた話だ。

彼女は生まれつき体が弱かった。ハタチまで生きれるかどうかだった。本来なら学校なんて通えない体、それでも彼女の強い希望により叶った事。

小さな頃から好きだったピアノを学べる学校に通う彼女はとても楽しそうだったという。まるで普通の子みたいに。まるで病気なんてなくなったみたいに。

けれど、無茶が祟った。

当たり前だ。ピアノを、楽器を弾くというのは見掛けによらず体力を必要とする。健康体でも疲れるのに、それを病弱な人間がやるなんてどうかしてる。なのに彼女は楽しそうにピアノを弾き続けた。

そして彼女は倒れた。帰らぬ人になった。

彼女の母親が言うには、学校に通えて良かったと、ピアノをいっぱい弾けて幸せだったと、彼女はそう残して逝ったらしい。


「さなこ」


お前は本当に嘘つきだよ。

留学はプラハに決まったんじゃなかったのか? 夏が苦手なのは冬生まれだからじゃなかったのか? よく学校を休んでいたのはサボりじゃなかったのか?

どうして俺は、気付けなかったんだ?

彼女の腕はピアノ弾きじゃないみたいに細かった。日に当たってないくらいに色白な肌。ほんの一瞬、笑顔に混ざる苦しみ。

思い返せばいくらでも出てくるのに。本当、嫌になる。嘘つきにはかなわない。

彼女の遺影の前では泣かなかった、泣けなかった。






「おばさん、ピアノどうするんですか?」


彼女と一緒によく弾いていたピアノに布が巻かれていた。どこかに運び出すみたいに、厳重に。


「…処分、しようと思ってるの」
「え…?」
「あのピアノね、大婆さまのピアノなの。とても古いのよ。……でもあの子はこのピアノがいいって、よく弾いていたわ」


彼女からも聞いた事があった。彼女の家では、彼女と彼女の大婆さんしかピアノを弾かなくて。小さい頃に弾いてもらったピアノが忘れられないと言っていた。


「でも、もう…誰も弾く人いないから。……それに、このピアノにはあの子の、さなこの記憶があり過ぎるわ」


寂し気に笑った顔が彼女に似ていた。

その時、突然思い出したのは用済みになった音楽室。新しい校舎を建てて、古くなった音楽室は物気のからになった。ピアノのなくなった音楽室。


「処分するなら、俺にください」


彼女はあの音楽室が好きだと言っていた。だったらあそこにいればいい。

俺もいつか戻るから。








それから月日は流れて俺は教師になった。

コネとか権力とか色んな物を使って母校で先生をできるようにもなった。彼女の言った通りに。

旧校舎と呼ばれるようになった場所にある音楽室には、まだ、あのピアノがある。

ピアノを見た時、初めて、涙が出た。

もう何年も経ったというのに、あの時は僅かも出なかったのに。馬鹿みたいに涙が出た。


「戻ってきてやったぞ、さなこ」


彼女の音は変わらないまま。



20110709




なんで水森先生は教師やってんだろうーと思ったら、出てきたのが最初のさなこさんの台詞でした。

さなこさんと水森先生はカレカノではなく、お互いの気持ちは知ってるけど離れ離れになるのは分かってるから言わない、みたいな関係です。

ちなみに今現在の水森先生には彼女がいます。10歳年下の姉御肌な女性で、そろそろ結婚すべきか?とか考えてます。
そして少年が留学後くらいに強制結婚をします笑。強制、またの名をでき…授かり婚です。しかも彼女さんの計画的犯行です笑。
そろそろ結婚したいと思っていた彼女さんは、なかなかプロポーズしない水森先生に痺れを切らしたのですね!
妊娠4ヶ月で初めて知らされ、逃げ道をなくし、めでたく結婚であります。

幸せになってね、水森先生! こんなん考えてごめんね! でも多分、話としては書かないよ!笑 でもでも、きっと彼女さんが幸せにしてくれるからさ!

あと、産まれるのは女の子だと思います。
以上、蛇足でしたー

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