cacao


「落としましたよ」

午前で一旦捜査を切り上げ後藤黒澤と本庁に戻ってきていた。
公安部に向かっていると前を歩いていた女性警察官のファイルから紙が一枚落ちたのが見えて、俺はそれを拾った。
「あり・・・がとうございますすみません!!」
女性警察官はにこやかに振り向いたが、俺の姿を認めるなりえらく恐縮した。
「いえ・・・どうぞ」
「すみませんありがとうございました!!!」
女性警察官はそう繰り返すと素早く三回お辞儀をして去っていった。
(そんなに怯えなくても・・・まぁ仕方ないか。“公安の特殊兵器サイボーグ石神”とか言われているもんな)

そう思っていると黒澤が訳の分からない事を言い出した。
「クーデレの威力はすさまじいですね!!」
「・・・は?」
「いいなー俺も修得したいなー」
「なんだそれは」
「クーデレですか?まさに石神さんの為にあるような属性ですよ!」
「・・・・・・」

黒澤と会話するのにうんざりし始めた頃、自分の机が目に入った。
今日初めて見た自分の机は、大きさも色もまちまちな箱であふれていた。
「なんだ、これは?」
「やだなバレンタインですよ〜。石神さんモッテモテですね!」
黒澤がそう言いながら俺の肩を叩いてきたので、素早くその手を振り払う。
石神さん冷たいっ、などという声を聞きながら俺は腕を組んだ。
(バレンタインか・・・しかし何故今さら増えたんだ?確かに入庁した頃はもらう事も多かったが公安に配属されてからは減る一方だったのに・・・)

「クーデレ効果ですね!最近石神さん人気急上昇なんですよ!」
「・・・さっきから言っている意味が分からないんだが」
「石神さんはクールで近寄りがたいイメージでしたけど、最近柔らかい表情をしている時があるって注目されていたんですよ。そこにきてさっきみたいに優しくされちゃったら、その破壊力には計り知れないモノがありますよ!!」
「さっきの人は完全に怯えていたじゃないか。余計なお世話だったんじゃないか?」
黒澤はやれやれといった様子で肩をすくめた。
「分かってないなぁ〜〜」
その仕草に腹が立ったが、俺はそれよりも気になる事があった。

「私が優しくなったとでも言うのか?」
自分が少し変わった自覚はある。しかし、それを表に出しているつもりはなかった。
「以前の石神さんが落とし物に気付いて無視したとは思いませんけど・・・そもそも気付かなかったんじゃないかなって。自分に必要な情報しか目に入れてなかったでしょう?」
少し驚いた。しかし黒澤は馬鹿に見えるし実際に手はかかるが、致命的なミスをおかした事は一度もないのだ。
(人から見て分かるほど、俺は変わったのか・・・)


俺が黙っていると、後藤がもうやめとけと言うように自分の机の上の箱を片付けながら黒澤に声をかけた。
「お前、怖いもの知らずだな」
「やだなぁ。俺だって石神さんは怖いですよ。石神さんに取り調べられる位なら悪い事はやめとこうって思いまもん。でもほら、怒らないじゃないですか」
したり顔を浮かべる黒澤を無視し、俺はあれも他の人に優しくした事になるのだろうかと考えていた。
(安易に約束してしまったが、難しいものだな)










明日か明後日になるだろうと思っていた報告書を黒澤が珍しく早く仕上げたと思ったら、半ば無理矢理追い出され俺は官邸へ行く事になった。
(今日はなるべく官邸に近付きたくなかったんだが・・・)
葵が居るような気がした。そして、いつものようにSP達に囲まれているような気がしたから――。



「失礼します」
俺は中の喧騒に気付かない振りをしてSPルームの扉を開けた。
案の定中にはSP全員とアキさん、そして葵が居た。
初詣の後も数回家庭教師で葵には会っている。
とりとめのない内容のメールも相変わらず来ている。
しかし初詣の時の話はなんとなく避けられているように思えて、マフラーの事も言い出せずにいた。
何も変わらないように見えて、やはり何か違う。
俺は葵との距離を計りかねていた。


「石神さん!いつもありがとうございます!」
SPルームもバレンタイン一色だった。
アキさんが差し出してきたのは各々の前に置いてあるのと同じ、丁寧にラッピングしてあるが“義理”と一目で分かるそれ。
アキさんがチョコレートを配っているのに一柳の機嫌がいい所を見ると、奴には“本命”が用意されているのだろう。

「ありがとうございます」
俺はゆっくりとアキさんからチョコレートを受け取ったが、頭の中では早くこの部屋から出る事ばかり考えていた。
SPルームに溢れる箱の中に果たして葵の“義理”はあるのか。
一瞬葵と視線が交わった気がしたが、俺は目をそらした。
――奴らと同じ箱を貰うのも、違う箱を貰っている奴を見るのも、嫌だった。


「桂木さん、この前の件の報告書です」
俺は目的を果たそうと桂木さんに封筒を渡した。
「あぁ、ありがとう。早かったな、助かるよ」
「いえ・・・では、失礼します」
「なんだ、忙しいのか?悪かったな」
「いえ・・・手渡しが一番確実ですから」
俺はいくつもの視線を無視して、軽く頭を下げるとSPルームの扉を開けた。










「・・・・・・」
俺は一言では表せない自分の気持ちを持て余していた。
(葵は何故ここに居たのだろうか。やはりSP達にチョコレートを渡す為?それとも、広末に・・・。最近広末の話はあまり出て来ないが、どうなっているんだろうか。特に奴に彼女が出来たという話は聞かないが・・・葵を遊び相手などにしたら、人生を後悔させてやる。真剣ならば・・・いや、それでも広末はちょっとな。それならば、藤咲の方がいくぶんマシ・・・やはり、葵を送るべきだったか?しかし、まだそう遅い時間でもないし・・・)


「・・・さん!石神さん!!」
俺はそこでようやく自分を追いかけてくる声と足音に気が付いた。
足を止めて振り向くと、軽く息を切らした葵が居た。

「あの、石神さん・・・」
「なんでしょう」
気を付けているつもりだったのに、冷たい声音になってしまった。
葵は一瞬ひるんだが、姿勢を正すと真っ直ぐ俺を見た。

「石神さん、この後お仕事じゃなかったら、私を送って下さい!!」
予想しなかった言葉に一瞬面食らった。
(珍しいな。官邸に居た葵を送った事は何度もあるが、葵から送ってくれと言われた事はない。・・・と言うか葵が夜も遅いのに帰ろうとしないから強制的に車に乗せているといった方が正しいか)

「ああ、かまわない。今日はもう上がりなんだ」
小さな子供のようにまだ遊んでいたかったと口を尖らせながら。それでもどこか楽しそうに助手席に乗る葵を思い出して俺は少し優しい気持ちになった。
――こうしていつだって葵は一瞬で俺を落ち着かせてしまう。
(まぁ、今回はささくれ立った原因も葵なんだが)
「ありがとうございます!」
葵はそう言って、ここしばらく見ていなかった少し困ったような笑顔を見せた。




葵はあまり喋らなかった。
いつものようにころころと表情を変える事もなく、そわそわと動く事もなく、じっとしていた。
その少し大人びた様子は俺の知る葵と言うよりテレビの中の“サキ”に見えて、自分達の本当の距離に少し胸が痛んだ。
葵を笑わせたいと思った。
しかしその方法は分からなくて、俺はいつもより少しだけゆっくり、車を走らせるのだった。


「石神さん、お散歩しませんか?」
もう少しで小杉家に着くという時だった。
今思い立ったというよりあらかじめ考えていた事のように少し固く、葵は言った。
「今日は注文が多いんだな」
(何か話があるみたいだが・・・テストで失敗でもしたか?)
俺は少しからかうように言ったが、葵はじっと俺を見ているだけだった。

俺は公園の近くに車を停めた。










そこまで広くない公園をやはり言葉少なに歩く。
冬の活動時間の短い太陽は、もうすぐ完全に沈んでしまいそうだ。
(このままでは、すぐに一周してしまうな・・・)
そう思った俺は自動販売機の前で立ち止まった。
「何か飲むか?」

「あ・・・ありがとうございます。ミルクティー、お願いします」
葵は心ここにあらずといった様子だ。
「これでいいか?」
指を差しながらもう一度聞くと、ようやく葵ははっきりと俺を見てうなづいた。



ベンチに座り、ゆっくりと日が落ちるのを見届けてから俺は口を開いた。
「何かあったのか?今日はやけに大人しいじゃないか」
「あ、いえ・・・あの、はい」
葵は非常に歯切れの悪い返事をした。
「葵さん?」
俺が顔をのぞき込むようにすると、葵は弾かれるように立ち上がった。
少し驚いて葵を見上げると、葵はゆっくりと手を伸ばして、俺の眼鏡を取った。
俺はその手を避ける事も、とがめる事も出来なかった。
―――葵が、眼鏡が無くても見える距離で、張り詰めた表情で俺を見ていたから。


(本当に、この人は綺麗だ)
俺は葵がこれからするであろう話の内容も考えずに、呆然とそんな事を思っていた。
葵はこれからますます綺麗になっていくだろう。まるで姉のような母親を見ればそれは明らかだ。
(大人になって、勉強をする必要がなくなって。すでに仕事をしているんだ、社会人として一人前になるのも早いだろう。そうして、俺の手助けなど、必要なくなる・・・)


「石神さん」
静かに俺を呼ぶ声にぶれていた焦点を合わせると、目の前に片手で持つには少し大きい位の青い袋があった。
淡いピンクのリボンで綺麗に結ばれたそれは、義理というには少し・・・特別なものに見えた。

「葵さん、これは・・・」
「石神さん、私石神さんの事が好きです」

(―――なんだって?)


「石神さんがアキさんの事が好きな事は分かってます。でも・・・ごめんなさい、私はそれを、応援出来そうにありません」
(だから、それは違うと、何度言ったら分かるんだ)
「石神さんと居ると私、いつも石神さんを独り占めしたくなって・・・石神さんが私にしてくれる事は、全然特別な事じゃないって、分かってるのにどんどん欲張りになっていくんです」
(いつだって、葵を独り占めしたかったのは、俺なのに)
「だから、すごく不純な動機なんですけど・・・でも、勉強は頑張りますから!だから、もし嫌じゃなかったら、これからも家庭教師してください!」
(葵との約束があると思えば、どんな仕事だって時間内に終わらせられた)
「ただ、なんかもう我慢できなくて。完璧自己満です、ごめんなさい」
葵は最後はわずかにおどけるように言ったが、俺は笑えなかった。
笑う所か、眉一つ動かせなかった。
葵はそんな俺を見て少し悲しそうな顔をしたが、もう一度しっかり目を開けると笑顔を作って俺の膝の上にプレゼントを置いた。
(違う、そんな顔をさせたいわけじゃない)

「石神さん、大好きです」
葵は袋の上に眼鏡を置くと、俺の頬にキスをした。
そして、今度は俺の好きな笑顔を見せると、音も無く去っていった。



(葵が、俺を、好き・・・?)
俺は、葵が好きだ。
年甲斐もなく、一喜一憂して心を乱す程に。
だが無条件に喜ぶ事は出来なかった。
嬉しくない訳ではない。しかし、葵の隣に自分が居る未来は想像出来ない。
葵の年、仕事、俺の立場・・・考えれば考える程、それは現実的ではないとしか思えなかった。


特別な袋の中には手作りのチョコレートと、俺が葵に預けてあるマフラーにそっくりな、新品のマフラーが入っていた。









*an extra
葵が去った後のSPルームにて。

そら「あーぁ・・・行っちゃった」
アキ「どうしよう緊張してきた・・・」
昴「お前が緊張してどうするんだよ」
そら「葵ちゃーん・・・あんなサイボーグみたいののどこがいいの」
海司「葵ちゃんが石神さんをってのも驚きですけど、石神さんも葵ちゃんをって、マジですか?」
瑞貴「マジですよ。海司さん、見てて分からなかったんですか?」
海司「瑞貴、今日は一段と厳しいな・・・」
桂木「まぁ、詳しい事は分からんが・・・石神、最近本当にいいカオするようになったよな」
そら「でもアレ、はにかむスパイとか、ちょっとキモくない?」
アキ「どうしよう、大丈夫かな・・・」
昴「まぁ、今に分かるさ」
 
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