「高尾の目が羨ましいな」
放課後の教室。
日直だった俺と彼女は、ちょっとした庶務のため居残っていた。
和やかで話しやすい隣席の彼女は、俺が少なからず好意的な感情を持っている女の子。
そんな子と二人きりというテンションの上がる状況の中、日誌を書く俺に、彼女が唐突にそう呟いた。
「……なんで?」
「よく見えるから」
なにそれ、と苦笑する。
つられたように笑う彼女に向かって、はいはい笑ってないで手を動かして、とおどけて教師のように促すと、はあい、とこちらはまるで教え子のように、(実際生徒な訳だが)掃除中の黒板に向き直った。
「でもほんとにそう思ってるんだよ。視野が広いと便利でしょう?」
「……そうなの?……まー、便利っちゃ便利、なのかな。俺はこれがスタンダードだから、イマイチよくわかんねーけど」
「……そっかあ」
黒板消しを右から左、ゆっくりと隙間のないように動かして行くのを眺める。
白く粉っぽかった黒板は、彼女の掃除によって徐々に綺麗になっていった。
「……でも、日常生活ではそんなに役立つことないぜ?ーー強いて言えばバスケやってるときくらい、かな」
そう言った瞬間、ぴたりと彼女は動きを止めて振り向いた。
「……そっか、」
一瞬目を伏せる。
影を作る睫毛が幻想的で、思わず目を奪われた。
「……高尾」
物憂げに表情をぼかした彼女が俺を呼ぶ。
ーーたかお。ねえたかお、わたしあなたが、
「なにやってるのだよ」
突然響いた声。
馴染み深い、少々不機嫌そうなその声音は、俺が現在進行形で青春をかけているそれの相方。
彼女が、彼の方を向いて僅かに息を飲んだのが分かった。
「真ちゃん」
「遅いのだよ。たかが日直の仕事にどれだけ長くかかっている。今日はフォーメーション練習をするのだから、お前が早く来ないとしょうがないのだよ」
「……うん、オッケー。今行くよ」
たかがとか、言うなよな。
今日のこの時間は、部活ばかりで録に好きな女の子にかまける暇がない俺にとって、二人でいられる大事な時なんだぜ。
「急ぐのだよ」
言うだけ言って、彼は出て行く。
はいはーい、と言ってひらりと手を振った。
「いいなあ」
ぽつり。
彼女が静かに、だけどいやにはっきりと呟いた。
そして、一歩、二歩、俺の元に近付く。
視線が、合う。逸らせない。
黒目がちな彼女の瞳に、俺の姿が映っているのがわかった。
「……いいなあ」
うっとりとそう溢し、俺の頬に、ひやりと冷たい手を添えた。
親指が、下瞼に沿ってそろりと動く。
手の温度が心地よくて、いっそ瞼を閉じてしまいたかったが、どこまでも沈んでいきそうな黒い相貌から目を離せなかった。
「この目は、あの人をよく映せていいね」
静かに、静かに、慈愛をひたすら滲ませて、そう言う。
ーー分かっているよ。君が俺を通して誰を見ているか。
ーー高尾の目が、羨ましいなあ。
繰り返し呟く彼女から視線を逸らせないまま、そうかな、と答える。
ーーなんで全部あいつなんだろう。
ずっとそうだ。俺の欲しいものは、全部あいつが攫っていく。
悔しいなー。俺の方が君を見てるのに。なんでもしてあげるし、なんでもあげたいと思ってるのに。
ーーああそうだ、
この目だって、君さえ望めばいくらでも、
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