小説 2 | ナノ

 かちゃ、と上品な音を立てて開いた大きなドアの向こうから、ゆっくりとした動作で静かに現れたのは、真っ白なウエディングドレスに身を包んだ名前ちゃんだった。

「…………」
「……ちょっと、徹。こんなに綺麗な新婦さん見といて無言はないんじゃないの」

 くすくすと笑いながら、いつもより上品な仕草で口元に手を添えて微笑む彼女は、息をのむほど綺麗でたまらなかった。「すごい綺麗、世界で一番綺麗だよ」なんてありきたりな言葉しか出て来ない俺に、彼女は笑いながらゆっくりと手を伸ばす。その白い手は俺の着ていたシャツの襟元を整えるとすっと俺の手に触れた。長いまつ毛、赤く彩られたくちびる、白い肌。そこにいる名前ちゃんは世界で一番、泣きたくなるほどに、綺麗だ。

「…わたしね、今すごいしあわせなんだ」

 ぽつりと囁かれた小さな呟きが耳に入って、俺は静かに目を閉じる。手袋越しに触れている彼女の手がぽかぽかと暖かくて、まるで彼女の気持ちが体温になって伝わってくるみたいだった。幸せ、しあわせ、しあわせ、か。天気にも恵まれた今日、この日。今、俺の目の前に居るのは真っ白なウエディングドレスに身を包んだ、世界で一番綺麗な名前ちゃん。
 ああ、なんて素晴らしい日だろう。






 名前ちゃんと初めて出会ったのは高校一年生の春だった。岩ちゃんと同じクラス、しかも隣りの席になった彼女とは、何度か顔を合わせているうちに仲良くなった。当時、俺は女の子からきゃあきゃあと持て囃されてうんざりしていたのだけれど、俺の容姿に一切興味を示さない名前ちゃんは、俺にとってとても新鮮で、すごく心地よかったことを今でも覚えている。もうその時点でなかなかに好きだったとは思うのだけれど、決定的になったのは、高校一年生の秋。名前ちゃんが何組のだれそれさんとかいうやつに告白されたらしいという噂を聞いて、俺は心臓が握りつぶされそうだった。たったそれだけのことで、だ。別に告白されたからと言って名前ちゃんがオーケーしたとは限らないし、最早、本当に告白されたのかすら怪しい、ただの学校の噂話。それなのに、たったそれだけのことで俺は死んでしまいそうなほどに苦しかった。そのときに気付いたのだ。俺は名前ちゃんのことが好きなんだと。
 それからは早かった。もう居てもたっても居られなくて、その日のうちに告白をした。何組のだれそれさんと彼女がもし上手くいっていたら、なんて考えるヒマもないくらいには必死だった。今考えると格好悪すぎる。それでもそんな俺の告白を最後までしっかり聞いて、「わたしも好きだよ」と名前ちゃんが言ってくれたときは、本当に本当に本当に、幸せだった。名前ちゃんの返事を待っていたあの一分は、俺の人生で一番長い一分だったと今でも思う。「徹、顔真っ赤だよ」なんて笑われたって本当に幸せだったのだから仕方ない。
 名前ちゃんと付き合ってからはいろいろなことをした。もちろん二人で遊びに行ったし、俺の試合を見に来てくれたりもした。ああ、そう言えば、三年間で俺は、コートからでもすぐに名前ちゃんを見つけ出すことが出来るという特技を身に付けた。岩ちゃんには「使えねえ特技だな」と笑われたけれど、俺にとっては超必要な特技だったりする。それから、もちろんケンカもした。いつだって仲を取り持ってくれるのは岩ちゃんやマッキーや松つんといった面々で、今思うと本当に頭が上がらない。あのときはありがとう。おがげで仲良くやっていけました。
 それから、当たり前に恋人みたいなキスもしたし、それ以上のこともした。初めてキスしたときのことは今でも覚えている。顔を真っ赤にした名前ちゃんが「なんか、恥ずかしい、ね、」と笑ったのが本当に本当にたまらなく可愛くて、思わずそのままもう一度キスをした。キスとかくちびるがくっつくだけだろ、なんて考えていた時期もあったけれど、名前ちゃんと付き合ってからそんなことを思ったことは一度も無い。ほんの一瞬くちびるがくっつくだけの、そんな曖昧なままごとのようなキスでさえ、本当に本当に幸せでたまらなかった。人の体温がとんでもなく暖かいことを知ったし、ただ手を繋いでいるだけで満たされた。かけがえのない存在、ってこういうことを言うんだなあとかガキながらに思っていたし、本気の恋というものを初めて知った。
 高校を卒業するときに岩ちゃんやマッキーや松つんに「結婚するときは呼べよ」と笑われたのが懐かしい。「まだまだ先の事じゃん」なんて笑ったけれどあれから、こんな風になるなんて、そのときは思っても見なかった。今思い返すと、早かっただとか、あっという間だったとか、そういう言葉を並べたくなるけれど、きっと俺の時間はずうっとあの頃をなぞって繰り返しているんだと思う。






「徹?」

 ぼうっとしたので、彼女に声を掛けられてはっとした。「ごめん、ちょっと考え事してた」なんて言って笑う俺を、責めることもしない名前ちゃんはにこにこと微笑みを絶やさない。真っ白くて静かな部屋の天井付近に取り付けられた大きな窓からは太陽の光が降り注いでいた。きらきらと彼女に射し込んで、ふんわりと空間へ溶け込んでいく。きっとしあわせを形にしたらこんな風になるのだろうな、とか、そんな柄にもないことを思った。

「あ、徹、そろそろ時間かも。行かなきゃ」

 「うん、そうだね。足元、気をつけて」。俺の言葉ににっこりと笑ってありがとうと口にした彼女は、ずっと触れたままになっていた俺の手をゆっくりと離した。熱の離れていく感覚が名残惜しい。ふわふわのベールと白いレースを揺らして彼女は静かに進んでいく。ぴんと伸びた綺麗な背筋が出会ったころのままで、思わず笑ってしまいそうだった。きっと外にはもう随分前からみんなが集まってきているだろう。何年も前から見知った顔ぶれたちが、今日、世界で一番しあわせになる彼女を祝福にやってくる。
 彼女は部屋の扉まで歩くとこちらをくるりと振り返って、「徹?」と俺の名前を呼んだ。行かないの?、なんて不思議そうな顔でこちらを見る名前ちゃんは世界で、ああそうだ、世界で一番、綺麗。

「…ねえ、名前ちゃん、」
「ん?なあに?」


「結婚おめでとう。幸せになりなよ」

散りかけた花を贈る


 「ありがとう」と言って少しだけ驚いたようにはにかんだ彼女は、今日、俺が名前も知らないどこかの誰かと結婚する。そうして、世界で一番幸せな花嫁になる。ねえ、本当は俺が、名前ちゃんのこと世界で一番幸せにしてあげたかった、なんて。
 天気にも恵まれた今日、この日。俺の目の前に居るのはウエディングドレスに身を包んだ名前ちゃん。何年も前から見知った顔ぶれたちが、今日、世界で一番しあわせになる彼女を祝福にやってくる。ああ、なんて素晴らしい日だろうか。

 この、くそったれ。



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