灯台

「っ!」
「あ、」

図書館に、ドサドサと私の手から本が落ちる派手な音が響いた。鳶色が目の前を舞ったと思えば固まっていた私の手に元通り本が戻る。

「え、あ」
「余所見していて、ごめんね。怪我は無い?」
「あ、は…はい、大丈夫です、こちらこそすいません」
「それなら良かった。それじゃあ」

にこりと笑って鳶色の髪の彼はローブを翻し、大きな本棚の間に消えた。
それが、一週間前の出来事。

「それって、あの一つ上の?」
「うん。多分そう」
「…グリフィンドールよ?」
「うん…」

まああんたがそれでいいならいいけど、と友人は溜め息をついた。
あれから私は図書館に行くのが日課になりつつあった。鳶色の髪の彼は、リーマス・ルーピン。一つ上の学年で獅子をモチーフとした勇敢なグリフィンドール。

「それにしても、コウキが一目惚れとは」
「自分でも驚いてるよ…そんなベタなやつ」
「相手がスリザリンならまだしも、グリフィンドールでしかもあの有名な悪戯仕掛け人ねえ…」
「だから誰にも言わないで、ね?」
「勿論、コウキの恋は応援するわ。出来る限り」
「う…」

私はスリザリン、彼はグリフィンドール。
生まれて初めての一目惚れが、既に前途多難。こんな事ってあるだろうか。

「コウキ、先に行くわよ」
「あ、待って!」

鞄に教科書と羊皮紙を押し込んで、くわえていたパンをオレンジジュースで流し込んだ。
次の授業は魔法薬学、グリフィンドールとの合同授業だ。もし私があと一年早く生まれていれば、同じ教室で授業を受ける事が出来たのに。

「っ!」
「おっと悪い―――スリザリンか」
「何よその言い方。そっちがぶつかったくせに」
「あ?」
「ちょ、ちょっと!あの、ごめんなさい!」
「コウキ、」
「ぼうっとしてた私が悪いのよ、行こう!」

彼女の手を引き、魔法薬学の教室へと一気に走った。運動があまり得意で無い私は、それだけで息が上がり、顔が火照って熱い。

「全く…同じ悪戯仕掛け人でも全然違うわね、シリウス・ブラック」
「まあ、まあ…仕方ないよ。それに先輩に歯向かっちゃ駄目だよ」
「貴女は優し過ぎるの。そんなんじゃなめられて終わりよ?」
「それはそれだよ」

席について一息つけば、授業開始のベルが鳴った。
ここに、あの人が座ったかもしれない。ここであの人も授業を受けてる。知らないからこそ、どんどん深みにはまっていくような感覚。
我ながら乙女思考だな、と自分に突っ込みを入れて妄想は終わり。そんな事ばかり考えていたら、授業もすぐに終わってしまった。

「じゃあ、図書館行って来るね」
「毎日よく続くわね…」
「宿題やってる分もあるから」
「まあ、いってらっしゃい」

もしかしたら会えるかも、そう思えば足取りも軽くなる。片想いだけど、片想いだからこそ楽しい。

「あ、おい」
「え?」

ふとすれ違った人に肩を掴まれる。振り向けば昼に会ったシリウス・ブラックだった。

「あ…」
「あー、さっきはすまなかった」
「え…?」
「その、言い方が悪かった」
「あ、全然気にしてないですよ!私も余所見してたし、こちらこそすみません」
「ああ、いや、悪かったな。怪我してないか?」
「ぷ…ああすいません!大丈夫です!」

謝ることに慣れていないのか、少し口ごもった謝罪に思わず笑いが漏れてしまった。年上の男性に向かって失礼なのは重々承知だが、可愛く見えてしまったのだ。

「何だよ、変なこと言ったか?」
「いえ、意外と優しいんだなと思って」
「ああ?俺が優しくないとでも思ってたのか?」
「ふふ、そんなことありませんけど」
「そりゃリーマスよか気はきかねえけど」

リーマス。
その名前を聞いただけで、どきりとした。そんな事はあり得ないのに、私の心を覗かれたような気がしたのだ。

「僕の話?」
「よお、リーマス」
「あれ、君この間の」
「っ!」

ひょっこりとシリウス・ブラックの肩口から顔を覗かせたのは噂の彼だった。体中の血が物凄い勢いで巡り、顔に集中するのがわかった。私は今、茹で蛸のようになっているだろう。

「あ、あの、その」
「お邪魔したかな?それじゃあ」
「違えよ、ばかたれ」

恥ずかしさで顔も上げられず、足元を見ている目が泳ぐ。頭が沸騰しそうで足が地に付いていないような気もしてきた。完全に動揺している。

「あいつもこんなところで油売ってる場合じゃないだろうに」
「え?」
「下級生に呼び出されてたはずだからな」
「そ、そうなんですか」
「まあそういうの頻繁だからな、あいつも」

沸いていたはずの体から、さっと血の気が引いていく。更なる動揺がばれないよう、元向いていた方向に向き直り少しだけ振り向いた。

「あの、友達が待ってるんで、それじゃあ!」
「おう、時間食わせて悪かったな」
「いえ!こちらこそ、わざわざ有難う御座いました!」
「…もしかして俺まずいこと言ったか…?」

本日二度目の猛ダッシュで図書館へと向かった。息が上がるのを我慢しようとすると涙が零れそうになる。まだあの人に恋人が出来た訳でもないのに。
私の顔を覚えてくれていた嬉しさと、誰かに先を越されるかもしれないという焦りが頭の中をぐるぐると回る。
ここでこうしていても仕方ない、とりあえず本でも読んで落ち着こうと図書館の隅に落ち着けていた腰を上げて、適当に選んだ本を持ち、いつもの机へ向かった。

「…っ!」

音を立てないように今来た道を戻る。心臓がばくばくと鳴って煩い。見間違いかもしれない、でも確認したくない。
窓際にある小さな机。特殊な本棚が並ぶ奥の方。あまり人が入ってこないので、とても静かで落ち着ける場所。そこが私の定位置だった。
今、そこで。

「っ…う、」
「コウキ?」
「!あ…」
「どうしたの、何かあったの?」

リーマス・ルーピンとグリフィンドールの子が、彼女の視界に入る。何か言いたげな顔をして、しかし何も言うことなく私の頭を撫でた。

「現実って辛い」
「…まだ確定した訳じゃないんでしょ?」
「でも」
「聞いてみたら?」
「…無理だよ」
「諦めるの?」
「…」
「コウキ」

私は何も言い返す事無く自室へと歩き出した。
溜め息が零れる。今までこんな風に恋をしたことが無かったからか、どうしていいかわからない。
もしあの二人が付き合っていなかったとしても、あの子と私は同じ目をしていた。同じように、慕う目、焦がれる表情。
一歩踏み出したあの子と、何も出来ない私。情けなくて落ち込む一方だ。

それから数日経って、何度かあの二人が一緒にいる所を目撃した。そしてそれが私の中の否定したい疑問を確信に近付けている。

「なあ、お前リーマスのこと好きなのか?」
「え?な、いきなり何を」
「そんな気がしたからよ」
「どんな気ですかそれは」

何故かあれからよくシリウス・ブラックと喋るようになった。それがよからぬ噂になっているのは何となく耳にしていたけど、私が話しかけている訳でも会いに行ってる訳でもない。
偶然会えば声をかけられ、挨拶をする。図書室で会えば、宿題に埋もれる私を助けてくれた。

「まあ…否定はしません。届かない現実だってのもわかってます」
「やっぱり…そうだったのか」
「誰にも言わないで下さいね、知ってるのは一人だけなんです」
「あの怖い女か」
「優しいですよ、すごく」

軽やかな笑いが漏れる。
シリウス・ブラックと居ると飽きないし楽しい。でもあの時のようなときめきを感じないのは、やはり恋とは違うから、だと思う。どちらかと言うとこれは安心感だ。

「告白しないのか」
「え?だって彼女いるじゃないですか」
「彼女?あいつに?」
「え…あの、よく一緒にいるグリフィンドールの美人な子ですよ、私の一つ下の」
「あ?…あー?ああ!あいつか!」
「声が大きい!」

わかった!と言いたげな、パン!と手を合わせた音が図書館に響く。どこからか舌打ちが聞こえた。

「彼女じゃないぜ、あいつ」
「え!そうなんですか!」
「最近よくリーマスに引っ付いて来るんだよな、でもただそれだけだ」
「前に呼び出されたって人なんじゃ…」
「そうそう、でも断ったって言ってたからな。あいつ、相当惚れ込んだ女じゃなきゃ付き合ったりしないと思うけど」
「そうなんですか…」

ほっとしたような、余計壁が高くなったような。微妙な心境が顔に表れていたようで、変な顔だぜ、と笑われた。

「仕方ねえな、俺様が応援してやるよ」
「何かあまり嬉しくないですね…」
「なんだと?もう宿題教えてやらねえぞ」
「う…」
「ま、今度からはリーマスに教えてもらえるように頑張れよ」
「あ、ちょ、」

そう言い残してシリウス・ブラックは図書館から出て行った。いつでも風のように現れ、風のように去っていく人だ。
こうやって応援してくれる人がいる。なのに自分は何も行動を起こさないなんて失礼だろう。当たって砕けてしまえば、こうやって悩むこともなくなる。

「とは言うものの…」

さすがにグリフィンドール塔へ行けても、寮まで行く勇気は無い。ただでさえ異色な目で見られているというのに。
折角振り絞った勇気もこれ以上は作用してくれないらしい。

数週間経ち、相変わらず私は行動出来ずにいる。
その中で違和感を覚え始めていた。言い知れない不安のような、もやもやとするもの。
リーマス・ルーピンのことを想う以上にそのもやもやとした不安が頭と心を支配する。

「はあ…」
「1日1回はため息つくわね」
「う…ごめんなさい」

何度かすれ違うこともあるし、目が合えば挨拶だってしてる。これでも進歩している方だ。前までの自分ならばそれで十分満足していただろう。
でも、何かが足りない。

「図書室行ってくる…」
「ええ、いってらっしゃい」

どうしても解けない宿題がある。解けないというよりは、理解が出来ない。
人よりも変な拘りがある私に勉強を教えるのは難儀だ、と友人に言われた事がある為、出来るだけ自己解決したいが、頭が働かない。

「はー…っと、またため息ついちゃった」

がくりと頭をうな垂れる。自分で自分が難儀だ。
教科書通りに覚えても、何故そうなるのか、どうしてこうなったのかまで深く知らなければ気が済まない。その所為で勉強が人より遅れるのだ。

「ああ…わかんない」

自然と空いた隣のイスを見遣る。どっかりと座り、お前はばかだな、と笑うシリウス・ブラックが見えた。

「あ、あれ?」

ごしごしと目を擦る。
やはりイスは空席だった。

「…何で、来ないの」
「誰かと待ち合わせか?」
「っ!シリウス・ブラック!」
「いつまでフルネームで呼ぶ気だよ、お前」
「お前じゃないですもん」
「どうした、コウキ」
「え…?」
「え、じゃねえよ」

まったく、と呟いて先ほどまで空席だったイスにどっかりと座る。心が躍った、気がした。

「リーマスと待ち合わせか?」
「ち、違います」
「…宿題やってるのか」
「そういう場所です、ここは」
「まあな」

そう言って私の羊皮紙を自分の目の前に引っ張る。
あ、やばい、ラクガキとかしちゃってるよ。

「またこんなところで突っかかってんのか」
「だ、だって」
「頭固いよな、教科書のまんま頭詰めときゃいいのに」
「それじゃすぐ忘れちゃうんです…」
「ほら、羽ペンよこせ」
「あ、はい」

ひらりと差し出された手に羽ペンを乗せる。
すぐに私の落書き付きの羊皮紙に黒文字が並んでいく。字、意外と綺麗なんだよなあ。
線を引いたり、丸を付けたり。わかりやすいように書かれたそれは、私が知りたかったもの全てだった。

「さすがです…」
「これくらい出来て当然なんだよ、俺様は」
「…それが無かったら素敵なのに」
「なんだって?」
「なんでもありません」

頭を羽ペンで小突かれ、私の手に戻ってくる。
改めて羊皮紙を見れば、おおと歓声をあげたくなるようなものだ。

「先生になれますね」
「生徒はお前一人で十分だよ」
「え?」
「お前一人で何百人分も時間を食うってことだよ、ばか」
「う…否定出来ない」

ガタン、と音を立ててシリウス・ブラックは立ち上がった。ふと心の中に焦りが生まれた。

「じゃあな」
「え?あ、まっ…」

去って行こうとする背中に思わず手が伸びる。
あれ?と思っても、掴んだ右手を離せない。なんで、どうして。行っちゃうの?

「何だ?まだあるのか?」
「ちが、う…けど」
「俺は忙しいんだよ」
「…そ、そうです、よね」

彼の表情は困惑を現していた。私をどう対処していいのかわからないのだろう。それもそうだ。私も私がわからない。

「あ、あの」
「…あ?」
「…」
「…リーマス、呼んで来てやろうか?」
「え?」
「最近、何度かグリフィンドール寮の近くに来てるんだろ」
「う、うん」
「そこまできて告白出来ないってことは無いだろ。連れて来てやるよ」
「い、いや!いい!」
「はあ?告白しないのか」
「す、するけどっ」

するけど、何だ。
私は今何をしたいのだ。

「じゃあ―――」
「す、すきです」
「…は?」
「私はっ、シリウス・ブラックが!」
「ちょ、ちょっと待て、お前っ…」

私がロボットだったら、頭から煙を噴き出しているだろう。よくわからない焦りと不安が、何なのか。今、気付いた。

「あれから、あんまり会わなくなって、図書室に来てもいなくて、それで…っ」
「お、おい、落ち着け」

立ち上がっていた体を半ば強引にイスに沈められる。向かい合うようにシリウス・ブラックもイスに座り直した。
深呼吸を繰り返し、そこでやっと自分が泣き出している事に気が付いた。

「確かに、あの人の事は好きでした、でも、シリウスと、話すようになって、でもまた居なくなって」
「…」
「ずっと不安で、もやもやしててっ…いま、気付いた」
「今かよ…」
「う…うん。シリウスが、また、いなくなるって、」
「はー…」
「ご、ごめんなさい」
「…何で謝るんだよ」
「だ、だって…呆れられたかと、思って…」
「ばーか」

ぐずぐずと泣きながら垂らした頭を、シリウスが荒々しく掻き回した。

「…はい」
「嬉しいんだよ」
「え?」

両手で顔を覆っている為、シリウスが今どんな顔をしているかわからない。でも、声色は明るく聞こえた。

「だから。嬉しいんだよ、お前がそう言ってくれて」
「ほ、ほんと?ころころ変わる女だって、思ってない?」
「そんなの関係ねえよ。今は俺を見てるんだろ?」
「う、うん…というより、ただの憧れだった気がしてきました」
「そうか、それなら尚良しだ」
「すいません、急に…」
「まあ、驚くほど急だったな」
「自分でも驚いてます、でも今言わなきゃもう会えなくなるような気がして…」
「大正解。俺はもうお前から身を引こうと思ってた」
「え?」
「俺はコウキが気に掛かっていた。だから、謝って仲良くなろうと思ったんだ」
「そ、そうだったんですか…」
「でもお前がリーマスを好きだって知って、もう近付かないようにしようと思ってたんだよ、邪魔しないようにな」
「何か、すいません…」
「死ぬんじゃないかってくらいには落ち込んだぞ」

そう言ってシリウスはまた私の頭をがしがしと撫で、嬉しそうに笑う。ああ、この笑顔が私を安心させてくれるのだ。つい、私もつられて笑顔を溢す。

「ま、上手く纏まってよかったな」
「は、はい」
「まずその敬語、直せよ」
「は…う、うん」
「よし、じゃあ宿題も終わった事だし…中庭でも行くか」
「うん!」

羊皮紙と羽ペンを鞄に突っ込んで、本を元の場所に戻す。ドアの横に立っていたシリウスがはやくしろ、と手招きしていた。
改めて見ると、立ち姿がなんて絵になる人なんだ。私がその横を歩けるなんて夢のような話だが、この差し出された手の温もりが現実だと教えてくれる。

「何かあったらすぐ言えよ。絶対隠すな、んで溜め込むな」
「う、うん…わかった」
「まあ…コウキの方が前途多難なのは目に見えてるからな。出来るだけ傍に居るようにするが…」
「大丈夫だよ、そんなのに負けないから」
「ああ。だがな、俺にも守らせてくれよ」
「ありがとう、シリウス」

―――…

「しかしあのシリウスがスリザリンの子と付き合うとはね!世界が滅びるんじゃないかい?」
「うるせーぞ、ジェームズ」
「コウキとシリウスは寮という壁を越えたんだ。素敵なことじゃないか」
「陰湿なスリザリンに苛められてないかい?」
「ううん…元々スリザリンに適してないとか言われていたから、特に?」
「どちらかというと他の寮の方が風当たり強いわよ」
「確かにそうかも…?」
「コウキって鈍感なのかい…?」
「ええ」
「え!そんなことないよ!」
「そんなことあるだろ。俺も正直お前の図太さには驚いてる」
「ええ!?」
「真性の馬鹿、あるいは無頓着、天然」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん…」
「否定は出来ないな」
「シリウスまで!」
「はは、でもシリウスの彼女なら、それくらいじゃないとやっていけないよ」
「うう…喜んでいいのか、悲しむべきなのか…」
「そういえば君も、コウキといつも一緒にいる友人なんだ、風当たり強いんじゃないのかい?」
「私は別に。気にしないもの、馬鹿が勝手に騒いでるだけでしょ」
「かっこいい…」
「コウキー!どこにいるの?」
「あ、リリー!今行くね!ほら、行こう」
「はいはい」

「…コウキって本当にあのスリザリンなのか?」
「正直俺もあの帽子が一瞬だけ狂ったんじゃないかと思ってる」



灯台もと暗し

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