8.

 ゆっくりと瞼を開ける。体がうまく動かない。
 どうやらまだ格納庫の中だと確認し、懸命に体を起こす。腕を戒めていたネクタイは解いてくれたらしい。と言うよりも切ったのだろう、ばらばらになった残骸がすぐそばに落ちていた。くっきりと痕の残る手首に舌打ちしながらも、足首に引っかかったままのスラックスを元の通りに引き上げる。片手で散らばった服をかきよせて懸命にボタンを留める。
 軋む体を抱えて起き上がる。強引に押さえつけられていた関節を伸ばすと、小さな呻き声が漏れた。脚の間にはまだゾロの感触が残っている。無理やり押し入られたせいで後蕾からは血が出ている。全身どこもかしこも痛い。
「ちくしょう・・・」
 口からため息が漏れた。まさか船の上で強姦されるなんて誰が思うだろうか。いや違うか、と考え直す。ゾロにしてみれば強姦したつもりなんて微塵もないだろう。第一、抵抗しなかった自分も自分だ。
 でも、どうしようもなかった。てめえで考えてたことも忘れちまったのか、と嘲笑うように言ったゾロの声があまりに冷たくて。こいつは本当に俺の感情のことなんか何にも考えてやしないんだなと思ったら、何もかもがどうでもよくなってしまった。まさか本当に覚えていないなんて言えるわけがない。それにどうせ何を言ったって今のこいつは聞き入れやしないだろう。そう、思ったら。
 いつも俺たちはあんなセックスをしていたのだろうか。俺はマゾか?と苦笑を洩らす。
「・・・クソマリモめ」
 覚えてないこっちにしてみれば初めてと変わらないんだぞとか。てめえも一遍男に無理やり捩じ伏せられる恐怖を味わってみやがれとか。言いたいことは沢山あるのに。
 情けないことに、触れてくる手にどうしようもなく体が強張った。どうにでもしやがれと開き直ってみたくせに、武骨な指が後ろを探った時は恐怖で脚が細かく震えた。それでも、あの鈍マリモはこちらの状態なんか気づかいもせずに無理やり押し入って、血が出ようがいたわりもせずに動きつづけた。
 いたわってほしいわけじゃない。ただ。
 ただ、何か一言でも、言ってほしかったのかもしれない。
「ちくしょう・・・俺の大馬鹿野郎が・・・」
 今苦しいのは、俺のせいだ。
 俺が肝心なことから目をそらして逃げ続けていたから、こんなことになってしまった。
 あんなゾロは知らない。あんな、欲望だけを宿して凶暴に俺を求めるゾロの姿など、知らなくてよかった。知りたくなかった。
 ぐちゃぐちゃに乱れた服を何とか整え、でもそれ以上に乱れた心は整理できないまま、チョッパーのもとへ向かった。







「遅れてごめんな、チョッパー」
 夕飯の仕込みが長引いちゃってさ、と笑って言う。笑顔を作るのにひどく苦労した。
 いつものように採血をし、体温と拍動を測定する。特に異常はなし、と言われてほっと安心する。
「・・・それで、サンジ。記憶の喪失はどの程度進んでいる?」
 これも毎日聞かれる質問だ。だが、今日ばかりは答えに窮した。
「・・・サンジ」
 正直に言ってよ、とチョッパーが呟く。サンジが言わなければ、チョッパーだってどのような対処をすればいいのか分からない。だから正直に言って、と、これだけは約束させられていた。
「・・・今日、たぶんかなり大きな記憶を丸ごとなくした。自覚はねえが、ゾロについての俺の記憶とノートに書かれた内容に矛盾がある」
「ゾロの?」
 チョッパーが驚愕の表情で顔を上げる。何をそんなに驚くのかと若干こちらが驚きながらも、頷いた。
「ああ。・・・基本的なことは覚えてるんだが、ある部分に関する記憶だけが丸ごと抜けてるらしい」
「ある部分・・・って」
「大したことじゃねえよ」
 日常生活に影響はない程度のもんだ、と言って笑顔を作る。
 確かに、嘘ではない。あいつとそういう関係だったということを忘れていたとして、これまでと生活が変わるわけではないのだ、と自分に言い聞かせる。
「・・・嘘だ」
「チョッパー?」
 驚いてはっとした。チョッパーは何故か、何かを懸命にこらえるかのようなまなざしでこちらを必死に見つめていた。
「・・・言わないでおく、つもりだったけど」
 小さな船医は、今にも泣き出しそうな眼をして言った。
「今、サンジの体から、ゾロの匂いがするんだ」
 言葉に詰まった。
「それだけじゃない。・・・かなり濃い、血の匂いもする」
「・・・チョッパー」
 言葉が見つからない。
「これまでも、何度かあった。そのたびにサンジ、そんな辛そうな顔して」
「・・・いつから」
「結構、前からかな」
 始めは気のせいかと思ってたんだと、チョッパーは呟く。
「だって、お前らオス同士だし。いっつも喧嘩ばっかりしてるし・・・そんなわけないって思った」
 でも、何回か続くうちに、気のせいではないのだと確信を強めていった。そしてそのたびに苦しそうな顔をするサンジに心を痛めていた。でも、チョッパーにはどうすることもできない。これはゾロとサンジの問題だからだ。だから、言いたくても何も言えず、ただじっと成行きを見守っていたのだという。
「だけど、今は状況が違う。だって、サンジは病気なのに・・・悩んだり、苦しんだりしちゃいけないのに」
 何かについて悩むたび、記憶の失われる速度は増していくのに。
「・・・なんで」
「チョッパー・・・」
「なんで、サンジが苦しまなくちゃならないんだよ!」
 何にもしてないのに、ただ、ナミとルフィを庇ってくれただけなのに!
 そう言ってチョッパーは泣いた。幼い子供のように泣いた。
 普段はあんなに子供扱いされるのを嫌うトナカイが、サンジに抱きついて、手放しで大泣きしている。泣き止むすべを忘れてしまったとでも言うように。サンジは何も言わず、何も言えず、ただチョッパーの背中を撫でながら、彼をそっと腕の中に抱きしめていた。ああ、こいつをこんなに悲しませているのは俺なんだ、と後悔に苛まれながら。

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