タブラ・ラサ

1.

 じりじりと這い上がるように、眠りの淵から目を覚ます。
 キッチンのテーブルに突っ伏したまま眠っていたせいで関節があちこち軋むが、気にせずゆっくりと伸びをする。別に仕込みをしているうちにうっかり眠ってしまったのではなく、わざとここで眠っているのだ。そう思い出すとともに、脳内で、今自分の置かれている状況について慎重に記憶をなぞる。

 大丈夫だ。覚えている。

 右手の甲に視線を落とす。そこには「灰色のノートを見ろ。鍵は胸ポケット。今日の不寝番はウソップ」と書かれている。昨日これを手の甲に書いた時のことも覚えている。苦笑いをし、背伸びをした。

 コックにとって神聖な「手」に、油性のペンで文字を書くという行動にはやはり抵抗があるし、こうして眺めている今もあまりいい気持ちはしないが、こればかりは仕方がない。訳が分からないままに目覚める朝が来た時、自分が最初に確認するのはこの両手だろうと知っているからだ。書いて一晩もすれば、石鹸で念入りに洗えば落ちるくらいには文字も薄まるし仕方がないのだと言い聞かせている。

 まだ外は暗い。不寝番のウソップ以外は誰も起きてはいないだろう。今のうちに、と壁の棚に歩み寄って、一番右に置かれた、鍵の掛けられた分厚いノートを手に取った。いつも右端からノートを取る自分の癖を知っているので、わざとその配置にしてあるのだ。そう思い出した。ではあとでこれを仕舞うときにも右端に配置しなければ、と脳裏に刻み込む。

 せわしなく胸ポケットをまさぐり、鍵を取り出す。

 慣れた手つきで解錠し、そのまま急いでノートに書かれた文字を目で追っていく。全員が起き出す前に料理の仕込みをしなくてはいけない。つまりその前にここに書かれたことすべてを読み返し、記憶と照らし合わせねばならない。最も重要なこと、今の自分の置かれている状況と、そうなったきっかけに関する内容が最初に書いてあり、今自分が取るべき行動が事細かに記されている。そこに記憶との矛盾は見つからない。ほっと安堵して、次にこの船の船員たちについての内容の書かれたページに目を通す。船長。航海士。考古学者。狙撃手。船医。彼らとの出会いと、そして冒険の記憶。大丈夫だ。矛盾はない。まだなにも忘れていない。
 そして、恐らくはわざと最後に回したのだろう、犬猿の仲であるところの剣士についての内容に目を通す。目を通し・・・息を呑んだ。

 どうして、と声を上げて叫びたいのを必死でこらえる。どうして、なぜ、よりにもよってこいつが。書かれている内容が信じられない。けれど、自分がここに嘘を記すことはないと知っている。

 これから、どうすればいいのだろう。
 何も考えられないまま、ノートを抱えて茫然と座り込んだ。

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