狐を孕む


本気で気持ち悪い R15

 絶叫を上げて、自室の寝台の上から跳ね起きた。真ッ青な顔で、あえぐように息をひゅうっと吸って、がたがた震える体を押さえつけようとする。・・・一人なのだから、と悪魔のように囁く声が在る。一人なのだから、どんな醜態を晒したって構うもんじゃない。怯えるんなら怯えればいい、子供みたいに悲鳴を上げたって誰も見て居ないさ。
 断固として首を振って、また深く息を吸う。繰り返すうちに次第に鼓動が治まり、ひたひたと迫る悪夢の残滓が少しずつ消えて行く、のを確かめて折原は漸く安堵した。夢を見ていたのだ。これで何度目になるかも判らない、寸分違わぬ同じ夢。

 初めて夢を見たのは、出会った夜の眠りの中だった。向けられた暴力、のあまりの圧倒に、言い知れず高揚していた。人間ばかりを一途に愛してきたら、とんでもない化け物を差し向けられた!正気を疑うほどの絶大な暴力に、彼は眩暈のするほど興奮した。命がけの鬼遊びに町中を駆け巡り、漸く自室に戻ってきた今でさえ、興奮は尾を引いている。十六の体を荒れ狂う欲にかまけて勃起した性器を慰めながら、疲れ果てて倒れこんだ寝台の上で、折原臨也は夢を見た。

 アザミの茂る山野の、何も無い平野の中に、耳の大きな狐が立っている。前後肢は短い。黒味がかった黄褐色の体毛に睨む様な黒い眼差しをして、何をするでも無く「じっ」と此方を見ている。臨也も同じように狐を見つめ返す。身動きのひとつも無く。ただ、ほんの数メートルの距離で、狐と見つめ合っている。
 それだけの夢だ。

 次に夢を見たのは、彼に腕を折られた時の事だったと思う。腐れ縁の友に処置をして貰ったは良いが、熱を持って疼く腕の痛みに眠ろうにも眠れず、漸く浅い睡魔がやって来た時だ。あの狐は相変わらずアザミ野に立っていた。寸分違わぬ姿で、こちらを見ていた。

 それから、彼に怪我をさせられたり、逆に彼を傷つけたときに、狐の夢を見るようになった。何度も何度も繰り返し見る狐の姿に何時しか臨也は親しみすら感じ始め、口にして呼ぶことは無いものの、名前まで付けるようになった。シズちゃん、と、心の中で狐に呼び掛けるごとに、人間の静雄との関わりを確かめているような気がした。

 最後に夢を見たのは何時のことだっただろうか。彼を陥れ、警察に捕らえさせたときだったろうか。そうだ、あの夜、予め用意しておいた新宿の新しい事務所の、今と同じこの寝台に寝転がって、そしてあの狐を夢見た。
 狐に向かって、シズちゃん、と呼びかける。シズちゃん、たぶんもう、俺と君が会うこともなくなるんだろうね。俺は今日、あいつと縁を切った。俺とあいつの間にあった、少しだけ柔らかいものを、徹底的に踏みにじってきた。これから俺はあいつとはもう出会わないように命を懸けるし、――余程のことが無い限り、あいつも俺を探さないだろう。二度と会わないとは思わないけど、当分はきっとお別れだよ。
 狐は変わらず、何も言わない。何も言わない瞳の上に、怒り狂って叫ぶ彼の歪んだ顔が、どうしてか少しだけ重なって見えた。それでも臨也はその狐を、忌々しい、気味が悪いとは思わなかった。柔らかな毛並みを、大きな両耳を、いとしくさえ思えた。

 静かにため息をついて、もう一度身震いをする。
 いつもと全く変わらない夢、などではない。そうだ、今朝見たのは紛れもなく、悪夢だった。

 狐が静雄の姿写しなのだとしたら、すこしは楽に思えるのだろうか。追いかけられ、捕まえられ、路地裏に引きずり込まれ、――拒絶しても叫んでも構うことなく、あの男は臨也を犯した。残忍に、残酷に。
 別れを告げたはずの夢の獣が、胎内に今、脈動となって宿っている。アザミを踏みしめて走り寄る狐の足音、血みどろに裂けた足の裏が腹の上に押し付けられる生温さ、――
 飛び込んできた狐を、抱き止めたくなど無かった。胎内に入り込んできた毛のザラザラした触感も、そのくせ妙に生温い体温も、臨也の肌を酷く粟立たせた。あれほど親しく思えた大きな耳は、今や不気味な、得体の知れない化生の産物に過ぎず、本心の見えない黒い瞳は、単なる硝子細工にしか思えなかった。剥製のほうがまだ温かみがあるに決まっている――見つめようとしていない自分にも気づいては居たが、それが何かを変えるわけでも無かった。

 彼に傷つけられたあらゆる物を、このまま殲滅せしめれば、すこしは楽になれるのだろうか。喘ぎえづくたび駆け巡る怖気を、振り払うことができるのならば、できるなら、

 孕んだ狐を産み捨てる術を、臨也は持たない。

End

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