実存と概念


臨也が編み物したらかわいいよね

 踊るように編み棒を動かす臨也の手の下で、見る見るうちに黒い塊が大きくなってゆく。何も考えていないかのような投げやりな手つきの下で、編地は前後左右に細かい網模様を正確に描いてゆく。呆然と見とれていると、臨也は面倒くさそうな顔をした。
 元はといえばトムが自慢げに、新しくできた彼女にもらったマフラーを見せびらかしてきたのがいけなかった。職場の男たちがこぞって”彼女の手編み”だとかいう手袋や帽子を身につけてくる中――果たしてその中の何%が『本当に』彼女の手製かどうか、そもそも彼女の存在自体がどこまで確かなのかあやふやだが、いずれにせよ静雄はその熾烈な見せびらかし合いからは距離を置いていた。取り立てて興味がなかった。形のあるものを大切にしたところで、いずれは壊してしまうだけだと思い知っていたからだ。思い知っていたはずだというのに、何故だろう。
 セーター編むのって重労働なんだよ、知ってる?ほんと気まぐれでこんな手間かけさせないでよ。だるそうに言うくせに飾り模様にも手を抜かない臨也は、こういうことに凝るたちなのかもしれなかった。お前器用だな、と感心して言うと、このくらいのこと簡単だよとあっさり答えられる。いや簡単じゃねーだろ。そう思うんなら頼まないでよ、まったくどういう気まぐれなんだか、ぼやきながらも編地はどんどん形を大きくしてゆく。
 職場の男たちが誰一人セーターを持ってきていないのに気づいて、不思議に思ってトムに聞いてみたのだ。小さいころ見たドラマの影響で、こういうときには手袋や帽子もいいが、セーターも定番だという印象があった。だというのに誰も持ってこないのは何故だろう。
 トムは呆れたように、「セーターってのはな、そう簡単に編めるもんじゃないんだよ」と説明した。まず何といっても大きいから単純に時間がかかる。布地のように切ったりできないからサイズも考えて編まなければならないし、毛糸の種類によって編みあがる大きさはまちまちだから、いくらか編んで実際にサンプルを作らなくてはならない。前身頃、後見頃、両袖の三部分をきっちり目数を計りながら増やしたり減らしたり神経を使わなくてはならないし、色を変えたり模様を入れたりしようとすればいくらでも手間は増える。そのくせ初心者ではなかなかきれいには編みあがらないし、失敗してやり直してばかりだ。掛ける手間と仕上がりが割に合わない衣服なのである。熟達者でも編み上げるまでにはそれなりに時間がいる。ある日ふと思いついて編んでみる、ということはまずできない衣服なのだ。
 そうなのか、と納得しながら聞きつつ、――心のどこかで、あいつなら、と思ってしまった。指先も器用で体力もあり、何より色々要りもしない知識を溜め込んでいる、彼なら。
 仕事帰りにドンキホーテで黒い毛糸を買って、そのまま埼京線で新宿まで一駅、押し付けた袋とその中身に唖然とする臨也に、「セーター編めるか」と聞いた。

 あーあ、何で俺こんなことやってんだろ、ぼやきながらも彼は編み針を動かす。黒一色のはずなのに、編地が細かいからだろう、模様に光が当たって銀色に光ってみえる。編みはじめてから数時間が経つというのにまったく変わらず作業を続けられる集中力はすさまじい。それをまったく飽きずにずっと眺めている自分も大概だとは思うが。
 それにしても、何故こんな唐突な頼みを聞き入れてくれる気になったのだろう。今更ながらそれがふと疑問になって、尋ねてみた。臨也は編地から目も話さず、投げやりに答える。

「だってシズちゃんが俺に形に残るものくれって言ってくるの初めてだろ」

 完全に意表をつかれて絶句した。見抜かれていたことに?そうかもしれない。本当にそれだけか?いや、違う。彼の口調が、それが当然だとでも言うような淡々と乾いたものだったからだ。
 しばらく無言で思考を動かす。それはもう必死だった。誰かと傍にいることなど初めてなのだ、こういうときのノウハウなどまるでない。
「・・・ノミ蟲」
「何」
「・・・ほかにもよこせよ」
「はあ?何言ってんの、面倒だって・・・」
「そうじゃねえよ」
 もどかしく言葉を捜す。
 こんな大層なものじゃなくていい、編み物でなくてもいい。いっそ自ら作らなくてもいい、既製品を買ってくるだけでもいいから、形のあるものをたくさん、たくさん、壊してしまっても構わないほど。傍にいないとき、嫌でも互いを思い出すように。決して忘れられないように。
 臨也がこれまで形あるものを要求してきたことがあったか、考えてみる。着替えすら静雄の部屋に残さないのは、普段から言っていたように綺麗好きだからだという、本当にそれだけの理由だろうか。触れるのを怖れるのが静雄なら、踏み込まれるのを恐れるのが臨也ではなかったか。傷つくことを予期し、少しでも痛まずにすむよう、二人の間に予防線を張り巡らせてきたのだとしたら。
 鉄条網ごと彼を抱きしめ、そんなもん痛くねえよ、と笑ってみせなくてはならない。そういう人間でなければ彼を、独り善がり以上の意味で愛してやれないのだ。
「俺は、てめえのよこすもんが、欲しい」
 何だこれは。
 言った自分が脱力するような子供っぽい言葉になってしまった。これではいつぞやの臨也の台詞ではないがジャイアニズム100%だ。焦って言い直そうと言葉を捜していると、
  臨也が、笑った。
 尋常な笑い方ではない、腹の底からだ。投げ出された編み針が床に転がるのにも構わず、体をくの字に折って腹を抱えて笑っている。
「お、お腹いたい、シズちゃん馬鹿すぎてつ、つらい」
「おい」
「やば、ちょっとマジで腹筋痛いんだけどとまらない、く、くるし」
 こんなに爆笑する人間というものを久しぶりに見た。唖然と見守る静雄をよそに臨也は笑い続ける。
「あはは、は、あーっはっはっは、もうおかしすぎてどうしよう、シズちゃんほんともう」
「・・・おいてめえ」
「ちょっマジタンマ、殴らないで今手を出されたら抵抗できないから!!マジで!!!」
 だがとにもかくにもそれで笑いは止まったらしい。しばらく痙攣したようにソファの上で転がっていたが、数回深呼吸した後、がばりと起き上がって座りなおした。座ったまなざしでこちらを見てくる。
「・・・ったくもう、シズちゃんはこれだから嫌だよねえ」
「・・・何がだよ」
 地味に傷ついた。傷ついて聞き返すと、臨也は気にも留める様子なく肩をすくめる。
「あっさり踏み越えてくるからだよ。こう見えて結構警戒してるのにさ、こんなとこからあっさり破っちゃう馬鹿力がだよ」
 それが俺にとってどれくらい恐ろしいことか、シズちゃんにはわからないんだろうね。不思議に遠いまなざしをして、臨也はそう言う。
「でも、たぶん俺の負けだよ。わかっちゃった」
「・・・は?」
 床に落ちた編みかけのセーターを拾い上げて、臨也は笑う。
「諦めた、ってことだよ」
「・・・何をだよ」
「諦めることを、だよ。終わるつもりで身構えることをだよ」
 編んであげるよ、いくらでもさ。それこそ彼女が作ってくれたんですって自慢してきてよ、職場で。どこにもいけないように自分を追い込んできてよ。俺は諦めたから。シズちゃんの傍にいるから。
 なるほどこれはどういうことなんだと完全に意表をつかれていた静雄にも、さすがに今すべきことが何なのかということくらいはわかった。今度こそ失敗すまいと慎重に考え、そして結局そのままを言う。
「好きだ」
  臨也は一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まり、そして深い深いため息をついた。
「ほんと、シズちゃんはこれだから」
 そうぼやくくせに回す腕を拒まない彼を、いとしい、と思った。

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