いくじなしと嘘つき


クロスケさんリクエスト
来神×情報屋の年の差パラレル


 学校帰り、電車に乗っていつものように新宿の事務所に向かうと、臨也はソファの上に横になって眠っていた。
 珍しい、と思う。呼び鈴も鳴らさなかったし(暗証番号は教わっている)、ドアを開けるときに特別うるさくしたわけでもないから起きなかったのだろうが、それにしても珍しい。職業柄あちこちから恨みを買わずにいられない彼は、いつも用心深く警戒を怠らない。めったなことでは他人のいる前で眠ったりなどしないのだ。ところが、これほど近くに寄っても目を覚ます様子がない。
 疲れているのだろうか。どうせまた何日も徹夜をしたのだろう。趣味と実益を兼ねた仕事だかなんだか知らないが、臨也はいつも無茶をしすぎるきらいがあった。
 周囲を見回すと、いつも冷静に控えている美人秘書の姿はない。休みなのだろうか。思わぬ幸運に嬉しくなった。いつもここで二人は静雄には理解できない難しい仕事のやり取りを丁々発止に繰り広げている。彼女にかなわないことを思い知らされるような気がするから、正直その様子を見るのはあまり嬉しくはなかった。

 折原臨也と出会ったのは今から半年ほど前、静雄が高校に入って間もないころのことだ。入学早々他校の不良たちに取り囲まれ乱闘をする羽目になり、いつものように怒りのままに全員を薙ぎ払って我に返ったときのこと。
「きみが、平和島静雄くんだね?」
 突如掛けられた声に、驚いて振り返った。青空のように澄み切った、心が洗われるような声だ。静雄の背後の歩道橋の上に立っていたのは、まさにその声にふさわしいと言うべき美しい男だった。夜の色の髪と同色の服、光の加減によって真紅にも見える複雑な色をした猫のような瞳。小首をかしげる仕草がおそろしく似合っている。他の男がしたら間違いなく殴りつけたくなるに違いないわざとらしい所作も、この男がすると不思議に似合って見えた。
「・・・誰だてめえ」
 用心深く尋ねる。見た目は害があるようには見えないが、喧嘩の直後で気が立っている静雄の背後に気配もなく現れた男だ。
「俺?そうだなあ・・・とりあえず名乗ろうか」
 ひらり、と男はそのまま、歩道橋から道路へと何のためらいもなく飛び降りた。
 唖然とする静雄の目の前に綺麗に着地し、にっこりと笑ってみせる。
「俺の名前は、折原臨也。一応の職業はファイナンシャルプランナーだよ。
 噂は聞いてたんだけど、すごいねえ。感動しちゃったよ、池袋の喧嘩人形くん?」
 うざったい、と確かに思ったはずなのに追い払えなかったあのときから、あるいはすでに始まっていたのかもしれないと静雄は思っている。
 とにかくそれが、彼との最初の出会いであり、会話だった。

 それからというもの、街中で派手な喧嘩をするたびにどこからともなく彼が現れるようになった。手助けするでも妨害するでもなく、ただじっと、襲いかかってくる相手を静雄が薙ぎ倒すさまを見ている。最初のころはそれにひどく苛々したりもしたのだが、どうやら彼に悪意がないらしいことを悟ってからは逆になんだか居心地が悪くなった。気まずい、というのが一番近いかもしれない。静雄の力を子供のように楽しげに眺める彼の前で剥き出しの怒りをさらすのは、まるで自分を丸ごと彼に見せつける行為のように感じられて、気恥ずかしかったのだ。
 遭遇を繰り返すたびに言葉を交わすようになったころ、初めて彼の事務所に行った。というよりも、拉致されたとか略取されたと表現したほうが近いかもしれない。放課後校門を出たら、そこにタクシーが停まっていて、中に彼が乗っていた。そのまま強引に車内に連れ込まれ、わけもわからないままに新宿のビル街にいて、そのままマンションの一室まで腕を引かれて連れて行かれたのだ。どうしてわざわざ部屋にまで、と思考はひどく混乱していたが――ドアを開けるとそこは部屋というよりも事務所で、そしてそこには見知らぬ美貌の女性がいた。
 秘書だと紹介されながら、なんだか妙に苛々した。二人がお互いを呼び捨てにしていたり、気安く同等の会話をしているのを聞きながら、その苛々は募っていった。そのくせ臨也は楽しそうに、「これからもこっちに来るといいよ」と言うのだ。
「喧嘩を売られるのがいやならさ、放課後迎えに来てあげるよ。ここにいとけばまさか誰もシズちゃんのこと見つけられないでしょ?」
「その呼び方やめろっつってんだろ」
 子ども扱いされているようで、ひどく腹が立った。だが臨也は意にも介さない様子で、「だってもうこの呼び名が俺の中で固定しちゃったしねえ」と笑った。
「で、来るの?来ないの」
「・・・行く」
 でも迎えには来んな、と無愛想に付け加えた言葉に、臨也は楽しげに笑った。

 苛立ちの原因と、何度腹が立っても結局ここに来てしまう理由を悟るまでには、かなりの時間が必要だった。静雄はこれまで恋愛の類とはまったく無縁だったのだから、無理もないとも言える。たとえ可愛いなと思う女の子がいたとしても、触れば傷つけてしまうだろうことを知っていれば安易に近づくこともできない。一生恋などできないのだろうと、自然にそう思っていた。
 ところが、臨也が現れてしまった。静雄よりも年上で世の中のことをよく知っていて、まるで翁のような目をしているくせに時折ひどく無邪気に笑う男。彼は静雄に簡単に殴られてはくれない。10代のころ身につけたとかいう特殊な逃走術と護身術を何度か目の当たりにして、それを知った。彼は強く、静雄とは違う種類の強さを持っていて、華奢に見えるその体の奥には、誰より深い闇を抱えていた。人間が大好きだといい、だから君みたいなおかしな子には興味を惹かれずにいられないんだとあっけらかんと笑う臨也のことを、静雄は、

 彼は目を覚まさない。
 こうしてここに来るのが当たり前になってからも、彼はまったく今までと変わらなかった。きっと静雄は数多くいる彼に興味をもたれた人間の一人にすぎない。静雄はまだ高校生で、彼と同じ世界に立つには年齢が足りない、早く早く年をとりたいと祈るように思う。
 ソファを離れ、彼のすぐ傍に歩み寄る。柔らかそうな産毛に覆われた繊細な眉と睫毛、彫刻のように通った鼻筋、きゃしゃな頬骨とまっすぐとがったほそい顎。完璧に配置された小さな唇の赤さに脳が焼けつく。このまま唇を落とし重ねたところで眠っている彼は気づかないだろう、誘惑が頭をよぎる。慎重に、恐る恐る、顔を近づけてゆく。彼は目を覚まさない。髪が額に当たるほど間近く顔を寄せても。寝息が一つ一つ聞こえる。繰り返される微かな呼吸音、頬に当たる暖かな息。

 顔を背けた。
 背を向けて、それきり彼を見ないまま、乱暴に玄関まで走った。

 ドアを力任せに閉める大きな音が部屋中に響き渡る。少年が出ていったことを確かめるような静寂の後、ソファの上の男の唇は小さく小さく動き、ひとつの言葉をえがいた。

「・・・シズちゃんのいくじなし」

End.

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