2.

 薄汚れた狭い部屋には恐ろしいことにパイプベッド一つしかない。静雄一人が横になっても足がはみ出る小さなベッドを、さらに恐ろしいことに、ここ数週間ほど二人で使っている。意味もなく寝返りを打ち、することもないので壁を眺めていると、視界の隅をヤモリめいた生き物が横切った。イモリとヤモリの違いについてしばらく思考をめぐらし、知識がないと結論が出せないと気づいていよいよすることがなくなる。
 目立つ金髪を黒に染め戻し、トレードマークだったバーテン服を量販店のTシャツとズボンに替えた今の静雄を見て、「平和島静雄」だと認識するものは恐らくほとんどいない。だが直接静雄の顔を知るものがいればごまかしが利かないのはどうしようもなかった。伸びすぎた身長のせいで目立ち、絡まれて暴れることを避けるために外に出ることは禁じられている。食事なし、一泊二千円のドミトリーは、金がなく、深い事情を聞かれたくもない者がしばらく宿るには都合のいい場所だった。表向きは留学生や貧しい旅行客向けの安い民宿を銘打っているが、果たしてどれだけの客がその条件を満たしているか知ったことではない。金さえ払えば主は何も言わない。二人で一部屋を使っていることには恐らく感づいているだろうが、取り立てて咎めてはこない。与えられた部屋ならばどう使おうが自由だということらしい。投げやりなことだった。

 逃避行の間一番驚いたのは、彼が安宿に泊まることに何のためらいも持たないらしいことだった。ありふれた身なりをし、味気ない食事を淡々と摂るだけの最低限の暮らし。夏でも目立つファーコートを纏い、黒ずくめの姿で町を闊歩しては金を振りまいていた新宿の情報屋が、衛生的とは言いがたい安宿に泊まり、コインシャワーで体を洗う暮らしに容易く身を馴染ませたことには驚きを禁じえなかった。
 要するに臨也にとっては、金持ちの暮らしも貧乏人の暮らしも、それが人間の営みである以上等しく愛しいのらしい。彼には好みというものがないのだ、と静雄は思う。例えば、乱暴な話だが――静雄は牛乳が好きで、乳製品も好きだ。だがそれはあくまで食べて美味な食材としてであり、腐敗してしまえば何の意味も愛着もわかない。多少残念には思うだろうが、それだけだ。だが臨也は、例えばそれをわざと窓辺において、次第に変質してゆくさまをじっくりと眺めようとするだろう。腐りきって汚物と化した目も背けたくなるような液体にさえ、変わらぬ愛を注ぐだろう。
 相手が人間である限り、等しく臨也は愛している。たとえ殺される瞬間にでも、臨也は笑って殺戮者を迎えるだろう。死にたくないと叫び、力の限り抵抗しながらでも、確かにきっと微笑むだろう。折原臨也を殺そうとするその行為さえ、心の底から愛するだろう。

 冷房もろくに利かない部屋はそれなりに暑く、静雄はまた寝返りを打った。寝ているより他にすることがないのだ。腐り落ちてしまいそうなだるさが指の先からじっくりと体を這い上がってくるような気がした。何もせずじっとしていることがこれほど苦痛だなどと、いつも何かしら振り回したり投げつけたりしていたかつてには想像したこともなかった。物事に対して受身でいるのは性にあわないのだと思う。引きこもりと言われる人種がどうして外に出てこられないのか、少しだけわかるような気がした。閉じこもり、代わり映えのない景色と部屋を眺めるうち、人間は少しずつ少しずつ気力を奪われていくのだ。時間が掛かれば掛かるほど、悪循環のように意志の力は磨り減ってゆく。

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