2.

 何度もキスをされながら、臨也は微笑む。
 昨日、腕をつかまれたときには、こうなることなど微塵も想像していなかった。顧客に呼び出され、波江とともに池袋に赴いた帰り。いくらか買い物もして、二人で大荷物を抱えながらタクシーを捕まえようと歩いていたら、静雄に見つかったのだ。

 いきなり腕をとられ引き寄せられて、驚いた。波江に口早に先に帰るよう指示し、静雄を見上げる。様子がおかしかった。いつもの静雄なら臨也の姿を見かけた時点で怒鳴り散らさずにはいられないはずだというのに、今日は不気味に静かだった。だから臨也も裏をかかれたのだ。
 何れにせよ今臨也が圧倒的に不利な状況にいることには変わらない。静雄は万力のような力で腕を握りしめていて、逃れることは不可能に思えた。諦めて、2,3発で満足してくれればいいけどと考える。

 静雄に対する感情について、ある程度臨也は自覚していた。明確に好きだと考えていたわけではないのだが、例えば天然の言動をかわいいと思っていたし、独占欲や嫉妬めいた感情を覚えることもあった。かといってどうなるものでもない。このままでいいと思っていた。告げればそこで終わりだ。何も言わず宿敵のままで関わっていられる方がましだった。

 だから、・・・だから、静雄に服を引き剥がされて唖然としたのだ。抱えあげられたときも壁に押し付けられたときも、静雄の行動が「そういう意図」を持ってのものだなどと夢にも思っていなかった。焦れたように布地を探り、上着を力任せに破かれて皮膚に歯を立てられてようやく、ああこれはいわゆる「強姦」だと客観的に思った。

 初め臨也は死ぬ気で暴れた。好きな相手に強姦されるなど冗談ではない。増して静雄は臨也を憎んでいるのだ。見せしめだとしても鬱憤晴らしだとしても、惨めでならなかった。真正面から頼み込んでくれれば応じてあげるのに、とちらりと思う。君が俺を好きじゃなくても、セフレにくらいなってあげるのに。だがまともな頼みごとなどしたこともない間柄では所詮無理なことだった。
 そのとき、静雄が唸った。

「あの女、誰だ」
「シズ・・・ちゃんの、知ったことじゃ、ないだろ」
「てめえの女か」
「・・・は?」
「答えろ!!」

 尋常ではない形相で怒鳴られて息を呑む。言葉の意味がわからない。だが、真剣な、どこか必死なまなざしで臨也を見据える静雄を見てはっとした。
 この場で、静雄が波江の素性を問いただす意味など、一つしかない。臨也の希望的観測でなければ。
 それを確かめるために、同じくらい強く尋ねた。

「それを知って、どうするの」

「うるせえ!!てめえは俺のもんだ!!」

 恐慌状態に陥っているらしい静雄の、恐らく自覚などまるでない言葉。
 それを聞いて、臨也は抵抗をやめた。懸命に閉じていた脚を開き、張っていた腕をゆるめ、そして静かに目を閉じた。

 最中のことはほとんど覚えていない。激痛で記憶が途切れている。始まって間もないころ、力任せにねじられたせいで右脚が外れたことはぼんやりと覚えている。めちゃくちゃに突き上げられ、壁に背中が何度も当たったことや、その度に揺らされる脚の痛みで意識が遠のきかけたことも。
 だが臨也は懸命に耐えた。一度も逆らわず、声一つ上げなかった。誰にも見つからないように、静雄のために。ぼろ雑巾のように振り回されながら、ただ、静雄の言った言葉の意味を考え続けていた。


 我に帰った静雄はただ茫然としていた。わけがわからないと表情が告げていた。最中のことなど―言った言葉を含め―何も覚えていないようだった。
 脚を嵌めさせ、タクシーを呼ばせて一緒に乗り込む。彼は献身的に振舞ったが、それが心配からなのか罪悪感からなのかは、臨也には判断ができなかった。
 だが部屋に入れ、寝室に案内させた時、彼の肌が一瞬緊張に震えたのを敏感に感じとった。だから、決断した。
 服を脱がさせ、露わになった肌にたじろぐ彼を手招く。
 誘いに彼が乗るかどうか、賭けではあった。だがどうしてもしてほしかったのだ―我を忘れてめちゃくちゃにではなく、あくまでも「平和島静雄」として臨也に触れたとき、彼がどう振舞うのか知りたかった。
 交感条件を提示したのは、そういえば彼も触れやすいだろうと考えただけのことだった。ところが、思いがけなく慎重な手つきで静雄が触れるから、なんだかくすぐったくなった。
 力を込めすぎないよう、少しでも傷つけないように恐る恐る彼は髪を洗う。大事にされているのだ、彼は臨也を大事にしたいのだと、思ってもいいのだろうか。
 丁寧に泡を流す彼の、名前をそっと呼んでみる。

「シズちゃん」

 眠っているとでも思っていたのだろうか、彼が驚いた気配がした。シャワーヘッドを取り落としかけて、慌てて握りなおしている。

「何だ」
「シズちゃん、俺のこと好きなの」

 なんでもないように聞けたかどうか、自信はない。静雄が息を呑んだ。答えようとしないのに焦れて、もう一度問う。

「俺のこと、好きなの」

 僅かな逡巡の後、答えが帰ってきた。

「・・・ああ」

 低く確かな答えが、臨也の胸を満たす。静雄にとって、答えることは困難だっただろう。同じ答えなど帰ってこないと、彼は思っているはずなのだから。
 一瞬、臨也の胸を躊躇いがよぎる。
 告白を受け容れず、突き放すべきなのではないかと。きっと傍にいればお互い苦しむ、傷つく。二人はどうしたって同じにはなれないし、なろうとすれば自分を失ってしまう。互いの愛した替えられない個を失くしてしまうだろう。妥協することのできない自分をぶつけ合って生きていくのは、きっと途方もなく大変だ。結局お互いぼろぼろになるまで傷つけあって、そのまま離れてしまう未来だってありうるのかもしれない。それくらいなら、今のうちにこの手を離すほうが彼のためなのかもしれなかった。

 だが。

 静雄の言葉を思い出す。てめえは俺のもんだと叫んだ必死な声を。そして思う、もし見知らぬ女が静雄の隣を歩く日が来たとき、それを冷静に受け入れることが果たして臨也にできるだろうか。
 傍にいてもいなくても結局苦しむことになるのなら、そして、静雄が本心から臨也のことを好きだといってくれるのなら、

「なら、いいや」

 それでいい。きっとそれだけでうまくいくと、臨也は信じることができる。
 静雄が驚いたように目をまるくし、緊張に張っていた表情を緩めるのが解った。シャワーを片手で止めながら、名前を呼ばれる。

「臨也」

 ぶっきらぼうなキスがふってくる。重ね合わせるだけのそれから伝わる剥き出しの感情に臨也は笑った。こぼれるように笑った。

「リンスもしてよ」
 そこの棚にあるから。
 要求しながら上を向いて、もう一度彼のまなざしをうけとめる。

 出会ったころからすれば途方もない年月をかけて、ここまで来た。積み重ねてきたことはお互いの中に残っているし、これからも残るだろう。今日の日がただの記憶に埋もれていくことだって、この先あるかもわからないのだ。
 だがきっと、それでいい。臨也は静雄を信じることができる。今この瞬間だけでなくこれからもずっと、二人で生きていたいと思うことができる。
 言われるままに髪を洗う静雄を少しばかり可愛らしく思いながら、臨也は笑って振ってくるキスに応えた。

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