君を見る


 幼い頃、体育の授業が門田は大嫌いだった。その頃から既に目に見えて体が大きかった門田は、結果としてほとんどの子供達よりも運動能力に秀で、遠巻きにされがちだったからだ。手を抜いて運動するのは面倒だったし、楽しくもなかった。
 だが中学、高校と成長するにつれ、状況は少しずつ変わる。この年代の少年達は、しばしば目に見える力を崇めるものだ。気立てがよく頼りがいもあり、腕っぷしも強いものの周囲には自然と人が集まる。結果本人も意識しないうちに門田はいわゆる「番長」のような存在として周囲の学校に名を知られるようになっていく。いつしか、体育が嫌いだったことなど忘れてしまった。わかりやすい力を欲する周囲の少年達に提示する能力として、運動が得意だと明白に示せることはきわめて役立ったからだ。

 だが。

 白くのぞくうなじから、細く汗が襟元に落ちる。わかりやすく汗をかいた首元の布地は既に大きな染みになっていて、肩甲骨と、その上の薄い皮膚がくっきりと透けて見えていた。皮膚に浮かぶ青白い血管の筋まで透けて見えるような気がして、無意識に硬く唇を噛む。知らない、そんなものは、見たことがない、ものをまるで目の前にあるかのように想像してしまう自分がおかしいと、知っている。固まる視界と、動かない手脚と、言葉を発することを禁じられたように錆び付いた喉。タオルで額を拭う仕草一つに身動きが取れない。
 ふと、彼がまっすぐこちらを向いた。呼吸が止まる。赤い瞳の瞼の端が猫のようににいっとつりあがって、そして直ぐに元に戻った。唇の周りに粒になった汗のしずくを見せ付けるように舐めて、そして彼はいつものように平然と笑ってみせるのだ。
「ドタチン」
 ささやく声が、彼の声が、脳内を木魂する。計算されつくした甘い響きが、優しい蛇のような締め付けで、門田をどこにも行けなくさせる。
 知っている、わかっているのだ、彼は見抜いているのだと。わかっているから笑うのだ。わかっているから名前を呼ぶのだ。門田の感情を、視線を、見つめる意味を、欲望を。
 だがきっと、彼は知らない、折原臨也は何も知らない。門田が知っていることを、彼の視線の向く先がどこか。彼が誰を見るために、こんな馬鹿げた学校行事に、真剣になって参加をするのか。視線に気づいて振り向く前に、そのまっすぐな赤い瞳で、誰の背中を眺めていたのか。
 報われないと、愛されないと、わかっているくせに視線は揺るがない。例えば彼の呼びかけに、わざとらしい挑発に乗ったら、ひととき彼の大事なものに、暇を紛らわす玩具になれるのかもしれない。だが、それ以上には決してなれない。門田京平は静雄ではない。平和島静雄になることは決してできない。あんな化け物になることは、どうしたって。
 だから門田はきっと動けない、これからも臨也の後ろで、彼の首筋とそこに伝う汗を眺めながら視線の先を追うことしか、できやしないのだ。

 幼かった頃と違い、体育は嫌いではなかった。むしろ好きになってすらいたはずだった、のに。
 もしかすると、また昔のように嫌いになってしまうかもしれないと、どうしてかそう思った。

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