Q.どうして、一緒にいるんですか?
「隣にいても気にならないから」
御堂筋翔と私の出会いは中学時代にあった。無口で人間らしからぬ動きをたまにするクラスメイト。私の持つ彼への印象はそんなものだった。
「愛想が欠片もない」
「顔が怖い」
「何考えてるか全然わからへん」
「御堂筋君って気持ち悪い」
クラスメイトからの彼への印象は最低だった。たしかに、御堂筋君には欠片も愛想がなかったし、見た目は爬虫類みたいで、体育の時間もこっちがハラハラするくらいのポンコツ具合を見せていた。
中学生の私は、よく考えもせずにその言葉にへえと相槌をうつ。御堂筋君は自分の評判なんて気にもしてないというようにどこかを見つめていた。そんな彼の横顔は、むしろ周りのクラスメイトよりもよっぽど混じり気のないきれいなものに見えた。
「そうなんかなあ」
御堂筋君は、本当にみんなが言うように気持ち悪いのだろうか。
自転車に乗ってる御堂筋君を見たとき、正直ドン引きした。こわかった。奇声を発しながらものすごく速く走る彼は、本当に人間じゃないみたいだった。
それから、普段何にも興味ないみたいな顔をしている御堂筋君がこんなに生き生きとしていることにびっくりした。チリチリ、とまぶたの裏側で何かが光った気がした。
「御堂筋君って自転車に乗ってると、まるで別人みたいなんやね」
「……」
ちょっと彼に興味が出て、話しかけてみたけれど、ほとんどは無視された。みんなが御堂筋君を悪く言うのは彼のこういうところが原因だと思う。私はなるべく彼に話しかけずに、彼に近寄ることにした。なぜ近寄ろうと思ったのかは、自分でもわからない。
「キモ」
御堂筋君は私が近寄るたびにそう言ったけれど、私はその度に無視をした。私たちは都合の悪いことはお互いに無視をするような関係になっていた。なんとなく隣にいて、申し訳程度の会話をする。
希薄で、他人から見れば訳のわからない関係だったと思う。けれど、御堂筋君の傍は友達といるよりも居心地がよくて、一人でいるよりも安心できた。
なんて、不思議な関係を続けてもう何年になるんだったか。私も御堂筋君も立派に成人して、私は大学生として、御堂筋君はプロのロードレーサーとして日夜がんばっている。
私たちの関係にあまり多くの変化は見られていない。強いて言うなら帰る家が同じになったことくらいだろうか。御堂筋君はあまり家に帰ってこないから、同棲と言われてもあまりピンとこない。
「それでいいん?」
「それ?」
「だから、彼氏と。そんな冷めた関係不安になるやろ、ふつー」
大学の友達はそんなふうに言うけれど、これもいまいちピンとこない。まず御堂筋君に普通を求めることがおかしい気がする。彼はいろんな意味でぶっ飛んでいるから。というか、それよりも。
「そもそも、私、御堂筋君と付き合っとらん」
「それ!それが一番わからんねん」
「なんとなーく隣におったからなあ」
「同棲までしとんのに、恋人やないとかありえへん」
私と彼の関係は恋人というにはあまりに甘さが足りなかったが、友達というにはあまりに近すぎた。彼と出会ってからゆうに10年は経っている。御堂筋君は主にロードのことで色々あったけれど、私の方は小学生の時からほとんど変わっていない。
いつも他人の意見に流されるように生きては、御堂筋君にキモいと言われる日々。そんな毎日になれきってしまって、案外悪くないとさえ思ってしまっている。
「……ただいま」
「おかえり」
なんか久しぶりやね、と言って笑う。我が家に御堂筋君が帰ってきたのは久しぶりだ。ロードレーサーという職業は海外を飛び回る仕事らしい。ほとんど海外ですごすわけだから、私との同棲なんてあってないようなものだ。
それでも、御堂筋君が帰ってくるとちょっと安心して、嬉しいなって思う。おかえりっていうと、ただいまって帰ってくることも。
「これ、やるわ」
「お土産?ありがとう」
それに、毎回こうしてお土産を買ってきてくれる。私のことを考えて選んでくれてるのかな、とか、チームメイトに頼んでるのかな、とか、想像するとおかしくなる。
ぎょろぎょろとした目を泳がせて、視線を合わせてくれないのはいつものことだ。まっすぐ見つめられるとそれはそれで、恥ずかしいのだけれど。
「毎回大変やろ、気ぃ使わなくていいのに」
「別に使うてへんわ」
「そんならええけど」
恋人ではない、と思う。御堂筋君に好きとか付き合おうとか言ってもらったことはないし、私もそういうことを言ったことはない。けれど、この人の隣は意外にあたたかくて、幸せな気持ちになれる。
落ち込んでたときに、不器用に頭を撫でてくれたこと。ぎこちなく抱きしめてくれたこと。一度だけ、キスをしたこともある。どれも、御堂筋君だからイヤじゃなかった。むしろ。
「なあ」
「なん?」
「今度、フランス」
今度はフランスなんだなあ、と漠然と思った。フランス……行ったことないけど、どんなとこなんだろう。御堂筋君の目指しているツールドフランスがあるところ、ということは分かる。もしかして、出られるのだろうか、ツールドフランス。
もしかしたら、もしかしたら、かもしれない。いつもは行く場所なんか言わない御堂筋君が帰ってきてすぐ口に出したということは、つまり。
「ツ、ツールドフランス?」
こっちを見ないままうなづいた御堂筋君に目に見えないはずのしあわせが広がった気がした。ずっと、隣で見てた。ツールドフランスに出ることが夢だったこと、自転車に乗ってる時の御堂筋君は辛そうで、でも生き生きしてること。
よかったね、とかそんな言葉じゃ足りない気持ちが胸のなかで飛び跳ねる。
「…観に来てや」
「ええの?ついてっても」
「悪かったら言わん」
「フランスかあ、遠いなあ」
「ヘラヘラすんなや、キモい」
御堂筋君に海外のレースを観に来ていいと言われたのは初めてだ。そもそも、観に来てや、なんて言葉も初めて聞いた。御堂筋君の一番だった自転車。その一番に私を踏み込ませてくれたという事実に純粋に驚いた。
御堂筋君はいつだって、一人で抱え込もうとする人だったから。
「御堂筋君が走ってるとこ、カメラで撮ったるよ」
「撮れたことあったん?」
「ない、けど、今度こそちゃんと撮る」
御堂筋君が鼻でふんと笑い飛ばす。可愛げのない態度はいつものことだ。ロードレースは一瞬すぎていつも、写真が撮れない。御堂筋君が走っているところ、ちゃんと撮ってアルバムにでもしたいと思っているのに、増えるのは雑誌の切り抜きばかりである。
「そんなん撮らんでもええから、ちゃんと見とき」
「え?」
「ボクが走っとるとこ」
「あ、うん。わかった」
そんなかっこいいことも言えるようになったのか、彼は。海外暮らしが長いからだろうか。ちょっとだけ頬と目の奥が熱い。
何考えているかは、いまだによくわからないし、そっけないし、会えない日はたくさんあるけれど。それでも彼の隣は十数年前から、変わらない私の居場所だ。
御堂筋君が隣にいるだけで、明日も明後日も、ずっとずっと、生きていけるような気がする。彼の隣がどれだけ安心できるか、どれだけ私が救われてきたか、きっと、彼は知らないだろうけど。
今なら中学時代の私にちゃんと言える。御堂筋君は、とてもすてきな人だと。
20141025
花の降るスクリーン