「いらっしゃいませ」
決まって金曜日の夕方。お店を閉める五分前に来店する常連さんがいる。山口君。彼は私のクラスメイトの水谷さんや吉田君と仲が良いらしく、たまにバッティングセンター(吉田君のご実家)で見かけた。よく考えればそこが私と彼の出会いである。私がバッティングセンターまでパンを配達した時、初めて彼に会った。
「今日もギリギリだね」
「…まあ」
それが何の縁か今はお店の常連さんなのだから、世の中は何があるか解らないなあなんて感慨深く考えてしまう。いやまあ、常連さんが増えることはとても嬉しいから構わないのだけれど。
私の両親が営んでいるこのパン屋は私にとって大事な家だ。私はウチのパンが大好きだから、色んな人がウチのパンを気に入ってくれれば嬉しいし。
「塾だったんだよね、すごいなあちゃんと勉強してて」
「アンタはもう少し勉強した方がいいと思うけど」
「うーん、私はこのお店継ぐから勉強しなくてもいいかなぁって」
ねー、お父さん!なんて奥で片付けや何やらをしている父に同意を求めれば、少しは山口君を見習いなさい!なんて母の怒鳴り声が飛んでくる。怒られてしまった。
「じゃあ山口君、今度勉強教えてくれないかな」
「別に、いいけど」
「えっ」
「…何だよ」
「いいの?」
冗談半分で口にしたお願いを了承されて驚いてしまった。山口君のことだから冷たくあしらわれると思ったのだが。
吉田君や夏目さんは山口君のことを散々にディスっていたけれど、そうでもないと、私は思う。何だかんだ優しいし、パン買ってくれるし。まあ確かに、不良っぽくてちょっと怖いけれど。
「…ダメなわけねーだろ」
「うん?」
「何でもねーよ!」
「そ、そんなに怒鳴らなくても」
ダメな訳が無いということはつまり、いつでも私に勉強を教えてくれる気でいたと考えても良いのだろうか。私はエスパーでは無いから言ってくれないと解らないよ、山口君…。というか私は山口君がそんなに勉強を教えたくなるほど、末期のおばかさんに見えるのかな…。
「何でアンタそんな鈍いんだよ…っとにありえねえ」
「えっ」
「俺が何の為にこの店通ってると思って、」
そこまで言ってバッと口許を押さえた山口君に私も頭が混乱する。彼に鈍いと言われた私でもそんな言葉を投げつけられれば、流石に何だかおかしいってことに気付くわけで。
「山口君?」
「あークソッ」
綺麗に染まっている金髪を掻きむしったと思えば、彼に渡そうとしていたトレーを引ったくられ、耳元に唇を寄せられた。さっきの言葉と今のこの距離のせいで、私の使えない頭は更に使えなくなってしまっている。
「この後、付き合え」
ふわりと香る彼の香水のような甘くて爽やかな匂いに意識が現実に引き戻されたようで、急に心臓がバクバクと早鐘を打ち出した。奥にいる両親に聞こえないように、私も小声でわかった、なんて返す。
「(う、わあ)」
案外満更でもない自分がいることに、一番驚いている。何にしても私の中の山口君の存在がすでに、常連さんという枠の中にいないことは明らかだった。
20130224
かわいいあの子はパン屋の子