たまに、どうして私はこんなヤツを好きになったのかと考えることがある。もしも好きになったのが同じ自転車部でも東堂や新開だったら、こんなにひっそりとただ苦いだけの恋なんてしなくてすんだのにな、 と思う。それはまあ、結果的に惚れてしまった私が悪いのだろうけれど。それでも、この痛みを誰かのせいだと思いたくなる時があるのだ。
「オイ、手ェ止まってンぞ」
好きな人と放課後に二人でのこって日直の仕事なんてシチュエーションの中には甘さはまったく含まれていない。いつもどおり態度もでかいし口も悪い荒北と可愛げも色気もない私。何か起こるはずもない。別に期待していたワケではないからいいけど。むしろほっとしているくらいだ。自分が荒北の中では仲の良い男友達というポジションにいるであろうことは、きっちり認識している。
付き合いたいなんて思ってない。告白することも考えてない。私はただ今の心地よい友達ポジションを死守すべく、生まれるもどかしい気持ちを見て見ぬ振りすることに努めている。だってどうしたらいいかわからない。まったくさっぱり、わからないんだ。
「聞いてンのかヨ!」
ぼーっとそんなことを考えていたら荒北に思いっきり頭を叩かれた。これはあきらかに女子を叩く力じゃない。手加減くらいしてくれてもいいじゃないか。ばか。あほきた。
頭を叩かれた衝撃で、そのまま机に突っ伏した。結構な勢いで額と机がぶつかった。叩かれた頭もぶつけた額も、こんなヤツが好きだと喚く心臓も、ぜんぶ痛い。すごい痛い。
「いたい…」
「ッセ!早く日誌書け」
「私のやる気は死んだ、荒北のせいで」
「もう一発いっとくかァ?」
しぶしぶ机の中から日誌を取り出す。あんなクソ痛いもんを何発も食らってたまるか。それを見て満足したらしい荒北は、私に背をむけて黒板のほうへと向かった。ばーか、そのほそい線の後ろ姿にむかって口パクでそう言ってやった。
今日の連絡、のところに荒北くんに殴られました。痛かったです。とシャーペンを走らせる。チクってんなヨ、と私の脳内の靖友クンが喚いた。
「あらきたやすとも」
「へーへー、なんですかァ?」
「またリーゼントにしなよ」
「アア!?」
黒板消しをもって機嫌悪そうにふりむいた顔にへらっと笑ってやった。私はあのわかりやすく「グレました!」って感じが嫌いではなかった。むしろ面白いと思った。時代錯誤だし言動がチグハグだしで、すごくかっこ悪かったなあ。かっこ悪かったのに、今覚えば私はあの頃から荒北に惚れていたのかもしれない。
たぶん、どんな荒北でも嫌いになんかなれなくて。それどころか、日に日に汗臭くかっこ良くなっていく彼を見てると、自分の中の気持ちが溢れそうになる。
「似合ってたよ」
「ウソつけテメエ会うたびに爆笑だっただろ」
「まだそのこと根に持ってんの?」
「ッセ!つーか、今更なんでそんな話すんだよ」
「…いや、あの頃は楽しかったなあって」
あの頃のかっこ悪い荒北のままでよかったのに。性格の悪い私が呟く。だって、だって。君はあのやたらかっこいい自転車に乗って、どんどん遠くへ行ってしまう。
何も考えずに、ただ荒北のことバカにしたりふざけあったりしてたあの頃に戻りたい。荒北を好きになった私なんて、死んでしまえばいいんだ。こんな苦くてまずい気持ち、いらない。私にとっても荒北にとっても、邪魔にしかならないから。
「なんか今日、変だぞお前」
「私はいつも変だよ」
「胸張って言うことォ?」
「あー、日誌おわったからもう行くね。出して帰る」
空白だらけの日誌のページにぱたりと一粒涙がおちた。やだな、なんで泣いてるんだろう。声が震えないように気をつけて荒北にそう告げて座っていた席から立ち上がる。どうか、気付かないで。なんなら、気付かない振りでもいい。
消えてしまえ、私の恋心。こんな男好きになったって幸せになれないさ。教科書なんか入ってない軽いカバンをひっつかんで教室のとびらを目指して足を踏み出す。
「オイ」
「さようなら、荒北くん。また明日」
「オイ!」
わたしの名前はオイじゃありませーん、なんて茶化したようなことを言えば、鋭い声で私の名前が呼ばれた。名字じゃなくて、名前でだ。今まで名前で呼ばれたことなんて一度もないのに、どうしてこのタイミングで。
諦めたい。好き。嫌いになりたい。でも好き。痛い。苦しい。でもやっぱり好き。ぐるぐるといろんな感情が湧き上がる。節々に混ざる好意は簡単には消せなくて、涙がにじむ。
「ンで、泣いてんだよ…」
手首をつかまれて、無理やり足を止めさせられた。顔は見られてないはず、声だっていつもと同じだったはず。それなのに泣いてるって気付かれてしまった。無駄にいい勘に腹が立つ。
荒北が好きだ。好きだよ。涙が出るくらい、好きだ。簡単に諦められるかばかやろう。
「ごめん、離してほしい」
「離したらオマエどっか行くだろ」
「日誌出さなきゃ、だから」
「なァ、こっち見て」
「………なんで、そういうこと言うの」
揺らいでしまう。蓋をして、見ないふりをして、必死に繋ぎとめていたのに。ふざけあったり、一緒にバカみたいなことで笑ったり、そういう小さなことができなくなることが怖い。どうしていいか、わからないの。
それなのに、荒北が優しいから。優しくない優しさをふりまわす荒北が憎い。ずるい、そんなふうにされたら嫌いになれない。
「いいから、こっち見ろブス」
「ブスがブスって言うな…!」
「あーくそ喚くな泣くな!ちゃんと聞いてやっからァ!」
ぎゅうぎゅう握られた手首は痣になってしまうんじゃないかと思うほど痛い。やっぱり女として見られていないんだろう。もう今更、なんだっていいけれど。
ふりむいて、ちゃんと好きだって言えたら、荒北はちゃんと答えてくれるのだろうか。顔は怖いけど意外といいやつだから、きちんと考えてくれるかもしれない。そういう律儀なところにも私は惚れているのだから。でも、私は。
体をひるがえす。涙の膜ごしに映る荒北の顔はすこし驚いていた。イケメンとは言い切れないような顔なのに、どうしてこんなに好きなんだろう。
「言えないよ」
好きだから、言えない。ごめんね、不完全燃焼を繰り返すかわいそうな私の思い。涙に溶けてぜんぶ流れていってくれ。
優しくしないで、触らないで、これ以上、好きになりたくない。ぼろぼろこぼれる涙を拭う余裕すらなくて、頬をすべって床に落ちた水滴が増えていく。言えるわけないじゃないか。ゆらゆら揺れる荒北の姿が痛くて辛くて、私はまた、自分の中の自分が分からなくなる。
「絶対、言わない」
ぐちゃぐちゃな、笑顔とも言えないようなへたくそな笑顔で泣く私はきっとブスだ。いとも簡単に私の気持ちを攫っていく荒北がずっと好きで、これからもずっと好きで。だからたぶん、涙が出るんだと思う。
引き寄せられて、荒北との距離が縮まる。片方の手は私の手首をつかんだまま、もう一方の手はなぜか私の背中に回っていた。どうして。額に当たる荒北の胸に意味が分からなくてまた涙が出る。
「…言えねえンなら、聞かねえから。はやくその顔なんとかしろヨ」
だから、もう、優しくしないでってば、ほんとに。とんとん、と背中を優しく叩かれて、自分でも引くくらい涙が出てくる。好きだなあ、すごい好きだなあ。痛いと泣く胸を押さえ付けて、下唇を噛んだ。
だめだな、私は。一瞬だけ見えた荒北の顔が私と同じような表情に見えたこと、気のせいに出来そうもない。
20140321
ここが痛いのわかるかな