すきなひとがいます。
わたしのそんな些細なひみつをしっているのは、ほんとうにごく一部のともだちだけ。そのひとりが、潔子ちゃんだ。その信頼できるともだちはわたしのとなりでもくもくとお昼をたべている。
お弁当のとなりに広げてあるスコア表やらなにやらにするどい視線をおくる彼女は、ちっともわたしを見てはくれない。
「潔子ちゃん、おひるくらいゆっくり食べたら?」
「うん」
「うんじゃないよ、もう」
ため息をついて、わたしもかわいくもなんともない平凡なお弁当をつつく。バレー部がだいじなのは、よくわかるけど。すこしはわたしに構ってくれてもいいんじゃないかな、なんて。
熱心な潔子ちゃんを見ながらはしをすすめていると、廊下のほうの女の子になまえを呼ばれた。お客さんだよーなんてあかるい声でいわれて、視線をそっちにむけるとわたしから潔子ちゃんを奪ってみせたバレー部の方が立っていた。
「どーしたの、菅原くん」
すきなひとがいます。
やさしくて明るくて、うれしいときは太陽みたいにわらうひと。どきり、とすこしだけ痛んだ心臓に気付かないふりをして、わたしはイスから立ち上がった。
こまったみたいに笑った顔は、きまってすこし気恥ずかしいときにするものだ。そんなことさえわかってしまう自分に、ちょっと引いた。
「電子辞書、もってない?今日英語あんだけど忘れちゃって」
「あー、あるよ」
「さすが、何でももってる女」
「それヤメテ」
すこしだけ申し訳なさそうにそう言い出した菅原くんに、わたしもすこしだけ笑ってみせた。女の子らしさなんて欠片もないおおきなカバンには必要なものはだいたい入っている。妙な収集癖と完璧主義に拍車がかかったのは彼のせいでもある。
一年、二年、とおなじクラスだった菅原くんはなにか忘れるたびにわたしに借りるにくる。ひとになにか貸すのはわたしにとっては、そうめずらしいことではない。でもやっぱり菅原くんに、すきなひとに頼られるのはうれしい。三年生になってクラスは離れてしまったけれど、こうしてたまに会えるのも、ほんとうはとてもうれしかった。
「まって、取ってくるね」
喜んでいるのを悟られないように、慎重にじぶんの席にもどる。恋をすると、こんなちいさな出来事でもにやけてしまうくらい嬉しくなるらしい。
席にもどると、潔子ちゃんと視線がからんだ。メガネの奥のきれいな目が、わたしにまっすぐ向けられるのが恥ずかしくて、苦笑いでごまかした。
「また忘れもの?」
「みたいだね」
「…ふうん」
ごそごそとカバンを漁るわたしに潔子ちゃんは、興味ありげな視線を送ってくる。菅原くんは部活のマネージャーの潔子ちゃんではなくわたしを頼ってくれる。べつに潔子ちゃんに嫉妬してるとかじゃないけれど、やっぱりおなじ時間をおおく共有できる彼女がうらやましいとおもってしまう。だから、すこしの優越感にひたるくらいは、ゆるしてもらいたい。
潔子ちゃんの机のうえに広がっている菅原くんのなまえが一番に目にとびこんできて、ああ、重症だ、なんて。
かたくてつめたい感触の電子辞書をもって立ち上がる。機能性のみを重視しているそれは、わたしに似てかわいげなんて欠片もない。
「…告白、すればいいのに」
近くにいるわたしにしか聞こえないくらいちいさな声でつぶやいたのは、彼女の気遣いだったのだとおもう。しらっと、なんでもないようにそう言った潔子ちゃんを見下ろす。
辞書をかたてに、彼女の髪をすこしだけ乱暴になでる。潔子ちゃんの髪はまっすぐでさらさらだ。不服そうなかおで見上げられる。そんなかおしないでよ、潔子ちゃん。
すぐに彼女からはなれて、菅原くんのもとへむかう。いつまでも待たせているわけにはいかない。
「ごめんごめん、はいこれ」
「サンキュ。あいかわらず清水と仲良いね」
「それほどでもー」
辞書をわたすと、菅原くんはうれしそうに笑ってくれた。彼の笑顔は、目がくらんでしまうほど眩しい。そのかおのためなら、わたしは何でも貸せてしまう気がする。
それからすぐに、菅原くんの手がのびてきて、わたしのあたまに乗った。つむじのあたりから感じる重みと温度に、わたしは完全に動きをとめた。
「さっき清水にしてたべ?」
マネしてみた、なんてそんな笑顔で言われてしまったら。わしわし、と豪快に髪をかきまぜられて、わたしはただ呆然と菅原くんをみつめた。
あわてて貼り付けた笑みは、おそらく取り繕ったようなおそまつなものになってしまっていただろう。
「だめだよ、菅原くん。かるがるしく女の子に触れちゃあ」
茶化すようにそんなセリフを並べたけれど、あたまが、かおが、ぜんしんが、熱い。きもちを隠して、笑顔をつくるのは正直しんどい。
それでも、やっぱりわたしは菅原くんがすきで。すごく、すきで。会えなくなってしまうくらいなら、距離がはなれてしまうくらいなら、きづかないで、しらないままでいてほしい。たとえ、友達っていう存在でもかまわないから。
「ごめんごめん、なんか撫でやすい位置に頭があるから」
「…自分だってそんなに身長たかくないくせに」
「怒るぞ」
怒った顔も泣いた顔もむつかしい顔も、ぜんぶ知りたいなんてわがままは言わない。ただ、笑った顔くらいはみせてくれる、そんな関係でいい。潔子ちゃんにまでもどかしい思いをさせてしまって、もうしわけないのだけれど、わたしにはこれくらいがちょうどいいらしい。
いつまでつづくかはわからない。菅原くんに好きなひとができてしまったら、わたしに会いに来てくれることもなくなってしまうだろう。だからそれまでの少しのあいだ、忘れものを借りにいく相手がわたしだけであったら、しあわせだ。

20140212
見付けてくれたらそれでいいです
いつか、もしくはある日のはなし様に提出