どれだけつよくったって、どれだけじょうぶだって、安心なんかできるわけない。だって、生きているということはつまり、いずれは死ぬということで。そんな当たり前のことがわたしにとってはこわくてこわくて仕方ないのだ。
しかし、それをこの男はわかっていないのではないか。家のためなら、しんでもいいとか。そんなの。
「なにやってるんですか」
たぬきねいりなのか何なのか、目をとじているイルミにはなしかける。仕事でけがをしたとミルキくんから連絡があってきてみれば、かれはこのとおりだ。ほんとにもう、何やってるの。
かれの、いやかれらの仕事のうえでこうしてけがをすることは、よくあることだとはおもう。人のいのちを奪う仕事なのだもの、危険で、当然だ。でも。
「ばかやろう」
つよいから、けがなんかしないって、言ったくせに。これだから、ハンターってやつは。
すんでいる世界がちがうってこういうことなのだろうなあ、なんて。わたしにはイルミがどんなふうに毎日をすごしているのか、しらない。わたしはイルミが見ている世界をしらない。だからこわいんだ。
「あ、来てたの」
ぱちり。なんの予兆もなくただ平然と目をあけたイルミにおどろいて、息をのんだ。おきていたのか、それとも今おきたのか、かれの顔からは判断しようがない。
わたしはイルミとなかよくしていることをいまだに不思議におもう。不思議にはおもうけれど、もういまさら、他人にはもどれないし、もどる気もない。わたしにとってイルミはもうすでに、こうしてけがをしたと聞いたら息がとまるほどに心配してしまう相手なのだから。
「き、来てたのじゃないでしょうよぉ…」
「ミルキのしわざか」
「もっとほかに言うことないの?」
感情のない、たんたんとした声。能面みたいな顔。人間味がないかれの白い肌に作りものみたいな黒い目は、わたしを見てもなんら変わりなくて、ちょっとむかつく。と、どうじに、ひどく安心する。
おもったよりも元気そうで、よかった。ふう、とちいさく息を吐いてから、わたしは自分のかたくにぎっていた手のひらが震えていることに気付いた。
「危ないから来るなって言ってるのに」
「…そうじゃなくて」
「?、太った?」
「ちがうよ、ばか!」
鈍感、というか。ひとの気持ちがわからないやつなんだ、イルミは。殺し屋に感情はいらないって、ともだちも、こいびともいらないって、会ったばかりのころに言っていた。
イルミのいるベットのすぐよこ。そこにわたしはしゃがみこんで、ひざに顔をうめた。鼻声を聞かせたくないから。
「泣いてる」
「ないてません」
「じゃあ顔あげなよ」
「イルミくんの顔なんか見たくありません」
安心したら、なんか、へんな感じになってしまったじゃないか。これもどれもあれも、みんなかれのせいだ。顔についている傷が痛そうだった。傷だらけのイルミはつらくなさそうだった。いつもとおなじかおだった。だから、わたしはかなしい。
ずびっ、なんて汚らしいおとをたてて、鼻をすする。わたしがかれのせいで目から分泌物をながすのは、じつはわりとけっこうあるのだけれど、それを本人に見せるのはもしかしたら、もしかしなくても初めてかもしれない。
「…それ、ひさしぶりだ」
「なにが」
「イルミくん、ってやつ」
だから今言うことはそれじゃあないでしょうよ。あっそ、なんて気のない返事をすると、イルミは黙ってしまって、わたしたちの間には沈黙がうまれた。
いつ顔をあげたらいいのか、完全にタイミングを見失った。さいてい。イルミのばかやろう。
「……まだ泣き止まないの?」
うっとおしそうなかれの声があたまの上からふってくる。ひどいおとこだ。しってたけど。
返事のかわりにもういちど鼻をならしてやる。かれはわたしが泣いている理由なんてわからないのだろう。
イルミみたいな自分の感情すらよくわかってないやつに、ひとのきもちを理解することなんて困難だ。そんなの、わたしがいちばんよくわかってる。うん、わかってる。だからわたしが折れなきゃ。
「死んだかと、おもった」
「そんなヘマはしないよ」
「じしんかじょー…」
そう、自信過剰。だいじょうぶじゃないひとは、決まって自分はだいじょうぶだと信じこんでいる。そういうタイプが死亡フラグをちゃくちゃくと建築していくのだと、わたしはしっている。しらないけどしっている。
厚めのタイツになみだが染み込んでいく。あーなさけない。きもちわるい。でも、なんていうか。
「いきてて…よかった」
かれが死んじゃったら、どうしようって、ずっと、わたし。
むかし、近所のおねえさんの彼氏が死んだ。そのひとは、ひとを殺す仕事をしているひとだった。おねえさんは言った。「この仕事をしている限り、しかたないことだって、わかってたから」おねえさんは、わかってたくせに、泣いていた。
「うん」
「心配、させんな、ばか」
「頼んでないけど」
「ばかあ…」
自分勝手なことだとはおもうけれど、わたしはイルミにはしんでほしくない。彼が生きるためなら、ほかの誰かを殺したってぜんぜんかまわないのだ。なんてひどいおんな。わたしは最低だ。
イルミの気味が悪いくらいまっしろな手が、わたしのあたまに乗っかった。不器用な手つきで髪をなでられて、わたしの涙はとまるどころか、さらにこぼれる。
「困った」
イルミが淡々としたこえでつぶやく。もっと困ってしまえばいい。もっともっと、わたしのことであたまがいっぱいになってしまえばいい。それで、すこしくらい人間臭くなってしまえばいいんだ。
わたしは依然としてかおをあげない。わたしの涙がとまるまでは、イルミを困らせたままにしておこう。それから、かおをあげて、あたまをなでるのがへたくそだね、って言おう。そうしたら、きっとわたしたちはすこしだけ幸せになれるとおもうんだ。
20131117
きみのぶんまで泣いてあげたんだ