あれ?
わたしは頭をひねった。なんだか遠くにいる井吹くんに睨まれている気がする。わたしはベンチにいて、井吹くんはゴール下にいる。かなり遠距離なわけだけれど、やっぱり睨まれているような気がする。
「井吹君が睨んでいるね」
「うわあ!?」
ひとり訳がわからず首をかしげていると、いつの間にかとなりに立っていたらしい皆帆くんが興味深そうに井吹くんを眺めていた。
かれは突然現れたりするので、よく驚かされる。びっくりする。
その間も井吹くんはわたしを睨みつけていた。なぜ。ちょっと意味がわからない。
「ああ、驚かせてしまってごめん。それより、何で井吹くんはあんなに君を睨んでいるのかな」
「こっちが聞きたいくらいなんだけど…」
わたしは井吹くんに何か不快な思いをさせてしまったのだろうか。身におぼえはないけれど、もしかしたら知らないうちに失礼なことをしてしまっていた可能性もある。
「まあ彼は基本的に気が短いから、あまり気にする必要はないと思うよ」
皆帆くんの言葉に苦笑いをかえしたところで、練習が再開された。わたしはひとり、井吹くんに睨まれる原因をもんもんと考えながら、タオルの洗濯にむかった。
○○○
練習がおわるまで、わたしはグラウンドからなるべく離れた場所でマネージャーの仕事をこなしていた。わたしのせいで井吹くんが集中できなかったら困るから、という理由と、わたしがあの蛇のごとき眼光に耐えられる自信がなかったから、という理由である。
葵ちゃんに不思議そうな顔をされたけれど、説明するのは気が引けたので、とりあえず笑って誤魔化した。
のだが。
「ど、どうしたの井吹くん…」
わざわざわたしに会いにきたらしい井吹くんに怯み、どもりまくる。どうしよう。これはもしかして、わたしが彼の視線を避けたことによって自体が悪化したということだろうか。
いくら年下でも、彼は身長が高いし声も大きい。こわい。殴られるんじゃないのこれ。
「今日、何でグラウンドにいなかった」
「えっ、いやタオルを…」
「いつもはいるだろ」
「ごめんなさい…?」
今日の夕飯はわたしの好物ばかりだったから、たぶんそこで運気を使いはたしたのだろうなあ。葵ちゃんと談笑している最中に突然井吹くんにこんなひと気の無いところまで連れてこられて。びびらないわけがない。
葵ちゃんはなぜかキラキラした目でこっちを見ていたけれど、彼女は盛大なかんちがいをしている。彼女のすきな少女漫画みたいな展開ではないことは、この状況をみればすぐわかるだろう。
「体調がわるいとか、そういうんじゃねえんだな」
「ん?…うん」
「そうか」
体調?なんで今体調について聞かれたの?え?井吹くんはわたしがベンチにいなかったから、体調がわるいのかと思ったとか、そういう?
疑問文ばかりが頭にうかんでくる。
表情に混乱の色を出さないようにがんばりながら頭を回転させれていると、井吹くんは突然腕をわたしのほうに伸ばしてきた。
「っ!?」
「あっ、いや一応熱とかあったらまずいと、思って…」
「あ、熱…」
叩かれるかもと反射で身構えてしまった自分が悲しい。井吹くんは本気でわたしの体調が優れていないと思っているのかもしれない。…言えない、井吹くんに睨まれているのが怖くて逃げたなんて…。
でも、わたしの体調を心配してくれるなら、どうしてあんなに睨んでいたのだろう。睨んでしまった罪悪感、とか?
「…んで、そんなにビクビクすんだよ?」
心底不思議そうな井吹くんの言葉でわたしの推論はどこかに飛んでいった。何でって、あんなに睨まれたら誰でもビビる。とくに、メンタルの弱さに定評のあるわたしなんてひとたまりもない。
でも、言わなくちゃ。
「井吹くんこそ、今日、なんで」
わたしを睨んでたの?なんて小さな声でせいいっぱい言う。年上のくせに情けない、って思われてしまったかもしれない。それくらい、自信のない声だったことは、わたしも自覚している。
まあでもそれはもういい。今さら、井吹くん相手に年上の威厳もなにもあったものじゃないし。
びくびくしながら、彼の返答をまつ。何て、返されるんだろう…。
「ハア!?」
「!?」
「俺がいつお前を睨んだんだよ!」
自覚なしですか!?とは言えなくてわたしはただ口をまっすぐに結んで、彼の怒りが鎮まるのをまった。今だって思いっきり怖い顔をしているし、すごい、怒鳴られてるし…。
びっくりしたせいで、目に涙がじんわりとにじんだ。もう井吹くんわかんない…こわい…。
「お、俺はただ見てただけで、睨んでたワケじゃ」
「うん…ごめん…」
「だぁーっクソ、俺が悪かった!だから泣くな!」
井吹くんのごつごつした指がわたしの目の下あたりをそっとぬぐった。そっと、というかおそるおそるだった。
見た目からはあんまり想像できないやさしい触れ方にまたびっくりして、涙がこぼれた。
ほんとうは、睨んでたんじゃないなら、どうしてわたしを見ていたのとか、聞きたいことはあったけれど、今はなにを言っても泣いてしまいそうだっからそれはまたの機会にすることにした。
20130923
ハッピーエンドしかえらべない