ぼんやり空を見上げると、まばらに散った星が輝いていた。冬の星空はきれいだと言うけれど、わたしには夏となにがちがうのか、よくわからない。
なにをやっているのだろうか、わたしは。こんなところでひとりむなしく空を見ている自分に悲しくなる。さむいし。ばかみたいだ。みたいというか完全にばかだ。
バレー部の練習がおそくまでつづくということは知ってはいたけれど、まさかこんな真っ暗になっても誰もでてこないとは。さすが強豪。どこまでもストイックなスポーツ少年たちの根性はおそろしいな、と根っからの文化系のわたしはおもう。
ひとこと、おめでとうと言いたかっただけなのだ。一年に一度しか言えないから、どうしても、言いたかった。クラスが同じで席も近いというのに、わたしはそのひとことを言うタイミングを逃しつづけ、授業はおわった。しかたなく、彼の部活おわりに声をかけようとおもって待ってみたらこの有様。もうほんとうに、バレー部はどんだけがんばるんだ。
さむさで麻痺した鼻をすする汚いおとは、くらやみに消えていった。
「うわっ、なんかいる」
やけに腹の立つセリフが聞こえた。体育館から顔をのぞかせたのは、及川徹。わたしの待ち人ではない。
体育館から漏れるひかりで逆光になっているけれど、判断材料は声とシルエットでじゅうぶんだった。
「うるさい及川きえて」
「ヒッドー!というか、なに?え?なにしてんの?」
かおなんか見なくてもわかる、にやにや小馬鹿にした笑顔。わかっているくせにそういうことを聞いてくるからこいつは、顔のわりにモテないのだとおもう。
ただでさえ下がっているテンションと体温はここにきて氷点下に達した。まじうざい及川。なにしてるかなんて、わたしが聞きたいくらいだ。
ただおめでとうと言うためだけにこんな寒い場所で何時間も待ってるなんて、どうかしているとしかおもえない。
「もしかしてマッキー待ってんの?うっわ健気!彼女でもないのに!」
「うるっさいなあ!」
及川のちゃかした声があたまに響いて、かおが熱くなる。わたしだって、こんな時間までまっているつもりはなかった。ちょっとさりげなく声をかけて、自然なかんじで帰るつもりだったのだ。
しかし、バレー部の練習はおわらないし、ここまで待ったならもうすこし、という気持ちであとに引けなくなり、今に至る。及川のいうとおり、彼女でもなんでもないくせに。正直、自分でも引いている。
「あ、そういうこと言っちゃう。……マッキー!なんかお客さん来てるよー!」
「ちょっ」
このときほど、及川を殺したいとおもったことはない。すこし開いていた体育館の扉から顔をだしているだけだった及川は、がらりとおおきくその扉をあけた。
さらにそれだけでなく、及川クソやろうはわたしの手首をつかんで、端に立っていたわたしをむりやり扉の真ん前に立たせたのだ。
もう練習終わってるから、という及川の言葉はほとんどわたしの耳には届いていなかった。あかるい照明に照らされて、目がくらむ。
「オレ?」
バレー部のひとたちの視線がわたしに突き刺さるなか、花巻が声をあげた。
わたしが待っていたのはまちがいなく彼だ。でも、それにうなづくことをわたしの羞恥心は許さない。ああ、どうしよう。
「は、なまき…」
「なにその顔」
大股あるきで近づいてきた彼に、冷や汗がふきだすような感覚におちいる。穴があったら埋まりたいというのは、まさにこの状況をさす言葉であるとおもった。
こんなに注目されていたら、緊張して言えることも言えない。まじでゆるさない、及川徹。
「……」
「……」
絶望のいろに顔をそめたわたしは、どんなふうに花巻の目に映っているのだろうか。きえたい。
ただ無言でおたがいに見つめあうわたしたちに、しびれを切らした岩泉が舌打ちをした。ごめんなさい。しにたい。
こうなったら、言うしかない。たったひとことのために、いつまでも花巻を拘束するわけにはいかないし、言うだけ言ってさっさと帰りたい。いっこくもはやく、この光線銃のごとく突き刺さる視線からのがれたい。
「た、んじょうび、おめでとう……」
言うには言えた。
及川の「告白じゃないの!?」という叫びが体育館に響いたのと同時に、わたしは踵をかえして、その場から逃げ出した。もう耐えられない。泣きそう。
あした、どんな顔して花巻に会ったらいいのだろう。もしかしたら、わたしが彼に好意をだいていることも、バレてしまったかもしれない。及川の茶化し方はそういうやつだった。こんなつもりじゃ、なかったのに。
「待って!」
「…っ!?」
花巻が、追いかけてきた。おもわず振りかえると、彼があんまりに真剣な顔をしていたから足をとめてしまった。
自然に言うどころか、注目をあつめてしまって、花巻にも迷惑をかけた。九割は及川のせいだけれど、あきらめきれずに待っていたわたしもわるい。どうしようもない。
冷えた足先にぎゅうっと力をこめる。感覚は、もうない。
「ごめん…」
しぼりだした声がふるえている。たんじょうびの人のまえで出す声じゃない。それ以前に、すきな人に聞かせるような声でもない。
うつむいたわたしに近づいてくる花巻の気配をかんじながら、今さら、ばかな自分を恨んだ。でも、及川はゆるさない。ぜったいにだ。
「なんで謝んの」
「……」
「ていうか、もしかしてずっと待ってた?」
うつむきつつ、首をよこに振った。ウソだ、ほんとうはずっと待ってた。だけどそれはわたしが勝手にやったことだ。
きゅうに頬に手がそえられて、上を向かされた。かおの両側にふれている彼の手が熱いのか、わたしの頬が熱いのか、もはやわたしにはわからない。
「いるなら、もっと早く言えよ…」
「はなまき…?」
「…あー、さっきの。サンキューね」
うれしかった、だなんて。そんな照れたみたいな微妙なかおして言われて、わたしは口をあけてしまった。なんですか、そのかおは。そんなかおされたら、わたし、期待してしまうよ。
あたまが混乱して、なみだがにじんできた。長い時間そとにいたから、鼻はきっと真っ赤だし、髪もボサボサだし、さらになみだまで出るなんてさいていだ。
「見、ないで」
「ごめん、ムリ」
「……」
頬を包んでいる花巻の手に、わたしの手をかさねる。わたしより背が高いから、ずっと上を向かされているのはすこし辛いけれど、それ以上に心臓が痛い。
こうして触れてもらえるなんておもっていなかったから。花巻にとって特別な日に、彼とこうしているなんて、おもっていなかったから。
「そんな顔したらダメだって」
花巻のかおのうしろには、ところどころ星がきらめいている夜空がある。夏の空も冬の空も、わたしにはちがいはわからない。でも、彼といっしょに視界に映るそれはやけにキラキラしていて、とてもきれいだった。
だんだん近づいてくる花巻のかおをから目を離すことができない。目を閉じて、その呼吸にふれることができたら、わたしはただのクラスメイトから脱却することができるだろうか。
20140127
それは確かな愛になる