矢一郎はとても真面目な狸であり、わたしはとても不真面目な狸であった。つまり。わたしと彼はちぐはぐで正反対な性分を持っていた。それも生まれつきである。
「兄さんとあなたがずっと仲良しなことが、俺はいまだに不思議だ」
「仲良しねえ…そう見える?」
「…兄さんがベタ惚れしているように見える」
「あらあら」
「でもあなたも満更でもなさそうに見える」
矢三郎くんはなかなかに鋭い。実に的をえた見方をしている。たしかに、矢一郎はわたしのことが大好きなのだと思う。愛ゆえにわたしのだらしない生活態度や気まぐれな交友関係を叱ったり喚いたり泣いたりしているのだと、わたしは信じている。
そして、わたしはそれを、まあ多少面倒だとは思っているが嫌というわけではないのである。
「あなたは兄さんのためになら、一生懸命になる」
「だって、見ていられないのだもの」
「あなたという狸が見ていられなくて手を貸すのは、いつも矢一郎兄さんだけだ」
「そう?わたしはいつだって困っている狸の味方だよ」
「この嘘つきめ」
「矢三郎、毎度のことだから今更強くは言わないけれど、いちおうわたしは年上なのよ」
何度言ってもいっこうにわたしを年上扱いしない矢三郎には苦く笑う。それから自分にも。わたしには年上としての威厳が足りないのかもしれない。
わたしは矢一郎を面倒臭く感じているけれど、その面倒臭さが嫌いじゃなかった。
矢一郎は必死になってわたしの間違いを正してくれようとする。わたしのことを気にして、一生懸命になってくれる彼が大好きなのだ。なんだかんだ言って。
「矢三郎!」
くるりと振り返ると、よく見る眉をつりあげた矢一郎。彼はわたしと矢三郎くんが一緒にいると機嫌が悪くなる。ろくなことをしないからだそうだ。
矢三郎くんはいかにも面倒臭そうな顔をして、矢一郎兄さんと呟いた。わたしはへらへら笑って彼に手を振る。
「それじゃ、俺はもう行く」
「ええ、行っちゃうの?」
「兄さんがヤキモチを焼いているから」
「やきもちねえ」
矢一郎がこっちに向かって歩いてきている。歩幅がいつもよりおおきい。矢三郎くんは脱兎のごとく逃げ出した。狸であるが。相変わらず逃げ足がはやい。
それを目撃した矢一郎も走ってこっちにくる。彼じゃあ矢三郎くんの逃げ足にはとうてい敵うまい。どうして昔から逃げられ続けているのにわからないのかしらん。
「おまえはまた、矢三郎にちょっかいかけられていたな」
「楽しく会話していただけ。コミュニケーション」
「おまえら二人が集まると、いつもろくなことをしない」
「失敬な」
背の高い矢一郎を見上げる。人間に化けているときのわたしたちは身長差がありすぎて首が痛くなる。ぶすくれた矢一郎にわたしも負けじと不機嫌顔をつくる。
「それから、必要もないのに矢三郎にへらへらするな」
「なんで」
「あの阿呆が調子に乗るからだ!」
「…素直にヤキモチを焼いたと言ったら考えてあげる」
面食らったみたいに目を見開いたあとに、顔を真っ赤にさせた矢一郎をみて、わたしはまた笑う。ゆでたこさながらの顔は、まあまあ、愛しいわけで。
感情がすぐに顔に出るところも、矢一郎の好きなところである。わかりやすくて大変可愛らしい。
「そんなものは焼いてない!」
「全力で否定しなくてもいいのに」
「……」
「黙らないでよ」
背伸びをして矢一郎のほっぺたを人差し指をつんつんつつく。あらあら、固まってしまって動かない。
それから正気に戻ったみたいにハッとしてわたしの手首を掴んだ。びっくり。目をぱちぱちさせたわたしの顔をじっと見つめる矢一郎の目はいつになく真剣だ。
「次の偽右衛門選挙、俺が立候補したことは知っているな?」
「ああ…うん、聞いた聞いた。矢一郎も物好きねえ」
「それで俺が偽右衛門に決まったら俺と……」
「……」
「…その…」
大の男が年甲斐もなくもじもじするんじゃない。なんて、きつい言葉は言わないでおく。こういう大事な場面でうにゃうにゃしだすのは、むかしからの彼の愛すべきところである。情けなくても、わたしは彼のそんなところが大好きだ。ほら、やっぱり可愛らしいでしょう。
「…ふふ、かっこのつかない男だなあ」
笑ってはいけないと思っていても堪えきれなくてくつくつ笑ってしまった。こっちが心配になってしまうくらい赤くなっている矢一郎のほっぺたを拘束されている手ではないほうでつまむ。
あらあら、餅みたいによく伸びること。
「わりゃうな!」
「だって矢一郎、かわいいんだもの」
「かわいひゅない!」
「そうだ、矢一郎。賭けをしない?」
「かへ?」
きっと今のわたしは存外、いたずらっぽい顔をしているに違いない。わたしは彼にいたずらをしかけるのも好きであった。だって、誰よりもすてきな反応をしてくれるのだもの。それも彼がクソ真面目であるがゆえだ。
「あなたが勝ったら…そうだなあ、キスでもしてあげる」
「!?」
「だから、夷川のばかやろうどもに負けたりしないでね」
わたしが満更どころか、矢一郎にベタ惚れしていることは、矢三郎くんはきっと知らないのだろう。わたしは案外隠しごとのうまい狸なのである。べつに隠しているわけではないのだけれど。
情けなくても器が小さくても、わたしは彼がすき。矢一郎だけが、だいすき。
「まかせておけ」
ヒステリックをおこしてひいひい言ってる彼も、心が折れて呆然としている彼も。どんな彼もやっぱりすきだけれど、わたしが一番すきなのは、こうやって嬉しそうに笑う彼だ。
たくさんのすきの中で暮らすわたしという狸は洛中洛外で、いちばん幸せな狸であると言えよう。冬が始まろうとしている、肌寒い秋の風がわたしと矢一郎の髪を揺らした。
20130909
きみのせかいにぼくがいる。それだけでしあわせだなんておもうんだよ。