べつに、彼が私のことを好きじゃなくてもよかった。

「も、やだ」
拘束された手首が痛い。乱された胸元に触れる指先が痛い。肌に噛みつく歯が、痛い。なにより、心が痛い。
私のちいさな拒絶に彼は顔をあげて、私を目に映した。
「は?」
「やめたい」
こんな関係、やめたい。痛いだけだから、苦しいだけだから。花宮の目に映る自分は絵の具をぶちまけたようなぐちゃぐちゃな色をしていた。
べつに、花宮が私のことを好きじゃなくてもよかった。
彼に触れてもらえることが嬉しい。体だけでもつながっていられればいい。これは紛れもない本心だ。でも、でもね、わたしの中には別の欲望が日に日に大きくなってきてしまっているの。
「止めたいって、何」
「だから、もう」
「俺には抱かれたくねえってことかよ」
花宮の目に映ることが怖くて、顔をそむけた。愛されていないことはわかっていた。わかっていたのに。
わたしは花宮がすきで、花宮はわたしがすきじゃない。わかりきった事実を頭のなかで整列させてみる。どう足掻いても、わたしは彼には届かない。
「そうだよ」
「……」
「花宮、やさしくないんだもん」
へらっと笑ってみる。あなたも薄々きづいてるんでしょう。こんな関係、いつまでも続けられるわけではない。遅かれ早かれ、こうなるのなら、早いほうがいい。
わたしの鎖骨のそばに這わせていた花宮の指は、きれいだ。わたしはこの指がすきだった。わたしに触れてくれるこの指が、すきだった。

「ああ、そうかよ」
「…はなみや」
「なんて、俺が納得する訳ねえだろバァカ」
彼の爪がわたしの肌に突き刺さる。痛い。じわりと涙がにじむ。痛いけど、それ以上に苦しい。
きらいになってしまえば、いいのに。花宮みたいな最低なやつ、なんで、すきなんだろう。深い水の中にいるみたいに耳が霞んでいく。どうやらわたしは、溺れているらしい。
「いた、いって、ば」
「やめられないのは、テメエのくせに」
「やめてよ、花宮」
聞きたくない、と首を横にふる。ぼろぼろこぼれる涙が拭われることはない。彼は残酷だ。わたしのことなんか、何とも思っていないのでしょう。都合のいい女だって、おもっているんでしょう。ほんとは、誰だってよかったんでしょう。

「好きなんだよなあ、俺が」

彼に触れられるたび、ぐちゃぐちゃになっていく。すきになんか、なりたくなかった。触れるべきじゃなかった。一度だって、抱かれるべきじゃなかったんだ。けれどそれに気付いたときには、わたしはもう深い水の底にいた。暗くて、冷たくてとても悲しい場所。

「泣くくらいなら、くだらねえこと言うな」
吐き捨てるような言葉に、ぐっと目をつむった。ドロドロに溶けて、消えてしまいたい、なんて。乾いた唇で、じぶんの意思とは関係のない言葉をつむぐ。ああ、さよなら、きれいだったわたし。

「しんじゃえ」

さよなら、花宮くんをすきだったわたし。

20130621
音をきざむ速度で息をするの