だいじょうぶ。
泣きべそをかく夏目君に、わたしは何度もそう言った。ただ彼に泣きやんでほしくて、目をこする彼の手をにぎってだいじょうぶ、だいじょうぶと繰り返した。
「もうこわくないよ」
夏目君はウソつきなんかじゃない。みんな、何もわかっていない。何もないのに、こんなに泣くわけない。何もないのに、こんなにボロボロになるわけない。
「だいじょうぶ」



「大丈夫か?」
ぼんやりともやがかかった視界のなかに、さっきよりもずっと成長した彼のかおがあった。あの頃からかわらない色素の薄いきれいな目。ぽろぽろとこぼす涙はきれいだったけれど、とほうもなく悲しかったのをおぼえている。
「夏目君」
「変な夢でも見たのか」
「ん?」
ずいぶんと、懐かしいゆめだった。あれから少しして夏目君はいなくなった。再会したのは、高校生になってから。枕にしていたざぶとんから頭をあげる。ぽたり、たたみにしずくが落ちた。
「泣いてる」
どうやら、泣いていたのはわたしだったらしい。おかしいなあ、夢のなかで泣いていたのは彼のほうだったのに。夏目君のしろい腕がのびてくる。恥ずかしいくらいに繊細な手つきでなみだをぬぐわれる。つめたい手だ。
「夏目君のゆめ」
「オレの?」
「うん、ずっとまえの」
あのときとは逆だ。泣いているのはもう、夏目君じゃない。彼が泣くのが悲しかった。でもそれいじょうに、彼がいなくなったのが悲しかった。ずっと、悲しかった。わたしはずっと、夏目君に会いたかった。
「夏目君、すきだよ」
「急に、どうしたんだ?」
「…もういなくならないで」
彼はいつ消えてもおかしくないくらいに、儚くみえる。みんなが夏目君をとおざけても、わたしはそんな消えちゃいそうな夏目君がとてもすきだった。色であふれた世界のなかで彼だけがとうめいな色をしているように見えた。わたしは、そのやさしい無色にふれたかった。
「……ああ、いなくならないよ」
うすく笑った夏目君はいまも変わらず、とうめいなままだ。消えてしまいそうな声で、彼のなまえを呼ぶ。すき、ずっとすきだよ、あのときのわたしは、そうやって笑う夏目君が見たかったんだよ。むくわれたかな、あの頃のわたし。
「しんぱい、したんだから」
「ごめん」
「さみしかったよ、わたし」
小学生のわたしはちゃんと言えなかったけど、今ならちゃんと伝えられる。わたしの生産するとうめいが彼の指をぬらしていく。
泣きじゃくる夏目君は気づいてなかったかもしれないけど、あの日泣いていたのは君だけじゃないんだよ。

「もう、大丈夫」

20130518
記憶の淵でそっと生きてく