「うわあ」
キキカン、という言葉を知らないんじゃないかとおもうほど間延びしたこえに振り向くと、彼女がたくさんの資料に埋もれる直前だった。なにをしているんだろう。
「何してるの」
大量の紙情報のなかでしりもちをついている彼女に一言かける。状況がなんだかよくわかっていないらしい彼女はなんだかよくわからないかおをしている。しかたなく、彼女にちかよる。
「ころんじゃった」
「一辺にやろうとするからだよ」
ほら、立って。そう言いながら、手をさしだすと彼女はゆっくりとした動作でその手をとった。白くてやわらかい女のひとの手だった。ほそい手をにぎって、ちからをこめる。
「うわあ」
さっきとおなじ、のんきな声にすこし、どころかけっこう呆れる。ボクの手をとって、ふらりと頼りなく立ち上がった彼女は、そのままふらりとボクによりかかってきた。…。
「ちからづよすぎるよ」
「それより離れて」
「うん?」
ダメだ、会話が成立しない。胸元にある彼女の後頭部に、どうしたらいいか解らず握っていた手をはなした。ボクに寄りかかったまま動かなくなった彼女に、思考がぐるぐると目まぐるしく回る。オーバーヒートして、しまいそうだ。
「藍、あついね」
「君のせいでしょ…っ」
「うん?」
なにを考えてるかわからないし、どんくさいし、危なっかしいし、ほんとう最低だよ。どうしてこんなやつに、ボクがペースを乱されなきゃならないんだ。疑問符をあたまに浮かべて、ボクを見上げる彼女のかおは、目をそらしたくなるくらい扇情的に見えた。ぜったい、オカシイ。こんなこと考えてるボクは、壊れてしまったのだろうか。
「君がそばにいると、ボクはヘンになる」
「えっ、わたしのせいなの?」
「君のせいじゃなかったら、だれのせいだって言うの」
きょとんとした丸い目にボクだけを映してほしいとか、たよりない姿を見せるのもボクだけにしてほしいとか、そんな独りよがりでキタナイ考えばかりが思考回路をめぐっている。甘いようなふしぎな香りを感じとる。彼女の匂い。それだけで、システムエラーをおこしたみたいにボクの体は自由に動かなくなる。
「よくわかんないけどごめんね」
「…責任」
「えっ」
「責任とって」
ボクの中にある”感情”はニセモノで、人間のように涙も愛も作り出せない。そんなボクがどうして、こんな複雑怪奇な思いをしているんだ。彼女のしろい肌に指をはわせる。やわらかい頬に手をそえると、そこの血色がすこしよくなった。
「あい…?」
「なに」
「ちかいよ」
「だろうね」
普段はどんなことがあっても動じない。ボクに身体的な接触を平気でする。そのくせ、ボクが自分から彼女に触れると急にうごかなくなる。ほんとうの彼女は、恥ずかしがりやなのかも知れない。色づいた頬とふせられた目を見て、小さく息づいた。
「あい、」
もういちど、彼女がボクの名前を呼んだ瞬間、言葉のつづきを飲み込むようにキスをする。本能的で直感的なこうどうだった。まあボクに本能なんてないけど。
ああ、うん、そうだな。もしかしたらこれが俗にいう愛というやつなのかもしれない。

20130510
ぼくにしかわからない周波数