「何やってるんですかディーノ先生!」
天気もいいので花屋でも行こうと散歩に出たら、英語の臨任を一時期やっていたALTのディーノ先生がドブに片足を突っ込みながら猫と戦っていた。助けに入らねばならない雰囲気を感じ取った私は道端に生えてた猫じゃらしを即座に抜いて、猫の気を引くことにした。
「そいつが急に襲ってきたんだよ……」
「先生、ねこに嫌われるタイプなんですか」
猫じゃらしに食いついた猫をあやしながら、ボロボロのディーノ先生と会話する。何があったらそんなボロボロになるんだろう。不思議。
先生の視線に気づいてさっと前髪を直す。あんまり意味がないのは分かってるけど、何か緊張して触ってしまう。
「どこかに行くのか?」
私の持っていた花を見てディーノ先生がそう聞いてきた。ふるふると首を振る。
「花屋に売ってたきれいな花です。先生にも一本あげます」
「えっ、誰かに渡すとか……そういうのじゃないのか?」
「私は花が好きなので特に意味もなく買うんです」
束になった花から一本抜いて、先生に渡す。何の意味もなく花束を買うのは私の趣味である。きれいなものが好きなのだ。
「先生は花は買わないんですか」
「イタリアの男は、女口説く時しか花を買わないからなあ」
「すごいイタリアっぽい」
ドブから足を抜きながらそんなことを言うから笑った。イタリア人の男性は女性が好きなイメージがある。ディーノ先生もそうなのかな。先生ならわざわざ口説かなくても女の人が向こうからやってきそうだなあ。
「そういえば先生、どこか行くんですか」
「ああ……ツナの家に……なぜか一向に着かなくて困ってたんだ」
「ツナ……あっ、沢田君のうちならこっちですよ。京子ちゃんに教えてもらったことがあります」
こっそり、あえて遠回りで案内したけれど、ディーノ先生は方向音痴だから気付かない。タクシーとかでぼったくられそうで心配だ。


今日も今日とて並盛は晴れ。平和である。
前と少し変わったことと言えば、最近休みの人が多いこと。私に親知らずが生えてきたこと。英語の小テストで満点を取れたこと。それから、ALTの先生が変わったこと。
ディーノ先生はいつのまにか学校からいなくなってしまっていて、みんな落胆していた。かく言う私も、少し、ちょっと、寂しくて落ち込んだ。
ふらふらと歩きながら空を見る。せっかく散歩に出たけれど、いつもの花屋はお休みだった。もういっそその辺のタンポポでも摘んで帰ろうか……。
「……」
「しっしっ、あっち行け!」
……。
「……あっ、何やってるんですかディーノ先生!」
犬に襲われている金髪の人がいるな、と思ったらディーノ先生だった。この人は動物に襲われる星のもとに生まれてしまったのだろうか?よく見たら近所の佐々木さん家の飼い犬だったので、後ろに回ってリードを拾う。散歩中に逃げ出したのだろう。この犬はよく逃げ出すと佐々木さんが言っていた。
「た、たすかった」
「先生、ケガしてますよ」
「ああ……これくらいなら平気平気」
服についた土やらホコリやらをぱたぱたと払って笑う先生の顔を見るのは久しぶりだ。先生、まだ並盛にいたのか。イタリアに帰っちゃったのかと思った。
「沢田君の家ですか?」
「よく分かったな!」
「案内するの、もう3回目ですから」
先生は迷子になるのが得意らしい。何度も行っているのだからいい加減覚えても良さそうだが、いまだに迷子になっている。そして私はそこによく通りかかる。
「一緒に行きます」
「いつもありがとな」
「いーえ」
久しぶりに会う先生なので、少し緊張する。ぎゅっと、リードを握る。あとで佐々木さんの家まで送り届けてあげるからね。
背の高いディーノ先生の横を歩く。先生は、十歩に一歩転んでいる。忙しい人だなあ。
「先生、何で学校辞めたの」
「……あー、別の仕事が忙しくてな」
他の仕事もしてたんだ。知らなかったな。私が知ってるディーノ先生なんて、ほんの一部だけなのだ。
「ごめんな」
何で謝るんですか。


沢田君の家まであっという間についてしまった。もっともっと遠回りして案内すればよかったかな。どうせ先生、気付かないし。
ディーノ先生はどこかに電話したり転んだり、溝に落ちたり、道中とても忙しそうだった。私も佐々木さん家の犬を制御するのに忙しくてちゃんと話せなかった。もっと話したかったのにな。
「じゃあ、先生。また」
「ああ……ってちょっと待て!ロマーリオ!」
先生は沢田君の家の前にいた黒い服のおじさんたちと何か話していたので、私はそっとその場を離れることにした。控えめに挨拶すると、先生に引き留められる。
先生は私の近くの犬に最大限注意を払いながら、そばまでやってきた。……大きな花束を持って。
「これ、お礼な。道案内3回分」
「さんかいぶん……」
私の腕の中に突然現れた花束に目を瞬かせる。こんな大きな花束をもらうのははじめてだ。ピンク色や黄色、いろとりどりの花に頭がクラクラした。
「好きだって言ってただろ?花」
頷けばにかっと笑って頭を撫でられた。ときめくってこういうことを言うんだなって思った。胸が苦しい。うれしいのに、苦しい。笑っちゃいそうなのに泣きそう。
「……口説く時しか買わないって」
「え?」
「前!言ってた!じゃないですか!」
いっぱいいっぱいな私をよそにすっとぼけるディーノ先生に声を荒げた。そんな困ったように笑わないでよ。今回はトクベツにな、なんて言われたら黙るしかない。
花束に顔を埋めるように抱きしめると、とてもいい匂いがした。
「次は遠回りしないでくれよ」
気付いてたの!?と顔を上げればやっぱり困った風に笑われてしまった。大人だからな、と笑う先生が憎くて憎くてたまらない。大人って、なんてずるい生き物なんだろう。


20171128
もっとほかにいい言い方もやり方もあっただろうにってきっとあと十年もしたらきみは笑う