鳴狐さんは喋らない。喋らないと言っても、多くのことは、彼と一緒にいる狐が代わりに喋ってくれるので、不便なことはあまりないらしい。それに、彼本人もまったく喋らないというわけではなく、ふとしたときに短い言葉で喋ったりする。
最初はまったく喋らない方だと思っていたから、はじめて彼の声を聞いたときはとても驚いたものだ。
「鳴狐さん、鳴狐さん」
鳴狐さんはうちの本丸ではかなりの古株であり、長い間ずっと近侍をしてもらっている。彼の連れている狐とお話しするのは楽しいし、鳴狐さんは仕事人みたいなところがあるから、もくもくと作業を手伝ってくれる。ありがたいことだ。
私個人としても、鳴狐さんの寡黙なところを気に入っていた。静かだけれど、きちんと周りを見ていて、気にかけてくれるところも。
私の呼ぶ声に反応して彼が、私の傍に座った。長時間の書き物はつらい。休憩を挟むのが作業効率を維持する上でも大切である。
「あら?狐は?」
いつも一緒にいる狐が見当たらない。傍に控えた鳴狐さんは黙ったまま、障子の方を指差す。外からは何やら楽しげな声が聞こえてくる。
「油揚げ」
「油揚げ?」
うん、と頷く近侍に首をかしげながら耳を傾けてみる。確かに油揚げがどうたら、と聞こえてくる。こんのすけの声が混ざってることから、誰かが油揚げを狐たちに差し入れたのだと推察した。彼らの好物の油揚げは、定期的に男士が差し入れてくれるのだ。
「私たちも、休憩にしましょう」
「油揚げ?」
「いえ油揚げは結構です」
油揚げ単体で食べたいと思うほど、油揚げが好きなわけではない。油揚げがほしいのなら混ざってきてもいいですよ、と促すが、鳴狐さんは首を横に振った。
「ポテトチップスを食べましょう」
「?」
「ジャガイモを薄く切って油で揚げたお菓子です。政府に頼んでいたものがこの前届いたので」
立ち上がって、押し入れの中から支給品の入った段ボールを探す。甘いお菓子も好きだけれど、ポテトチップスのようなスナック菓子も好きだ。追加でたくさん頼んでいるものが届けば、じきに男士たちにも行き届くだろう。刀と言えど体は人間の男性のもの。ポテトチップスが嫌いな男性はそうそういないから、気に入る者も多いのではないだろうか。
「のりしお味です。私はこれが一番好きです」
ポテトチップスの入った袋を鳴狐さんに見せる。彼は興味深そうに包装を眺めていた。興味を持ったようだ。袋を開けて、ポテトチップスを一枚食べてみる。美味しい。もぐもぐと口を動かす私を見て、鳴狐さんが袋に手を伸ばした。 取りやすいように袋を差し出す。
彼が一枚ポテトチップを指につまんで、一口かじった。
「……美味しい」
「そうでしょうとも」
口に合ったらしい。糖と脂質は美味しい。これは世界の真理である。だからポテトチップスが美味しいのは当たり前なのである。
一枚、また一枚、とポテトチップスを食べる。やめられないとまらない。スナック菓子の恐ろしさだ。
「太ると分かっていても止められません」
人間五十年、好きなものを食べて死んでいきたいものである。食べて後悔するのは一瞬、食べずに後悔するのは一生。後悔はしたくない。
デブの道への悟りを開いていると、同じようにポテトチップスを食べていた鳴狐さんとパチッと目が合う。彼の手は袋には向かわず、私の口許までやって来て、唇の近くを拭った。
「……ついてる」
ぬぐった親指をそのまま自分の口まで運び、舐めてしまった鳴狐さんに思わず固まる。のりしおののりが付着していたらしい。鳴狐さんは親切だから、とってくれたのである。親切だから。
「ありがとうございます。でもそういうときは……ティッシュをください」
ビックリするから、ティッシュをとってほしかった。心臓がドキドキしてしまう。私もうら若き乙女であるから、鳴狐さんのような強くて仕事もできて涼やかな美貌を持つ男性にそういうことをされると、ちょっと、ほんと、勘弁して……って感じになってしまう。
「……」
「鳴狐さん」
「……」
「鳴狐さん、近い」
私の切実なるお願いは、鳴狐さんにとって、不服だったらしい。せっかく親切でとってあげたのに注文をつけるのか小娘、といった感じの不満げな顔で、私ににじりよってきた。先程までポテトチップスをつまんでいた手が私の顔を掴む。主の顔に油が……ついてしまうんですけど……鳴狐さん……。
「まだついてる」
「えっ、うおお」
鳴狐さんは私の顔を動かないように固定してから、顔を近づけ、べろりと口許を舐めあげた。あまりのことに野太い声をあげる。主の顔を舐めるとは何事か。ポテトチップスの袋を取り上げられて、さっと彼の後ろに隠されてしまう。
「むっ、謀反!」
「ちがう、奉仕」
「そんな奉仕は結構で……あ、ああ舐めちゃだめえ」
口の周りをべろべろ舐められて、主らしからぬ声を出してしまう。完全にうら若き乙女が前に出てきてしまっている。取り繕おうにも、彼に口許を舐められているという状況に焦ってしまって、何をどうしたらよいか分からなくなる。
「……美味しい」
鳴狐さんの目が細められている。そんなに気に入ったのなら、ポテトチップス全部あげますから。私の顔を舐めるのはやめてください。
きゅっと手を掴まれ、さらに距離を詰められる。小狐丸さんは野生を自称しているし、彼のお供の狐はそのまんま狐だから分かるけれど、まさか鳴狐さんも野生なの?それならそうと先に言ってほしかった。油断させといて実は野生ってずるくないですか?
「前歯にも」
「へっ」
「とってあげる」
20170513
「ウワーーーー!何をやってるんですか鳴狐!こら主様の上から退きなさい鳴狐!主様大丈夫ですか!」
「や、野生すごい……」
「主様ーーーー!!!!!」