「おなべ、できましたよー」
優しげな声が、うつらうつらとしていた降谷の耳に入ってきた。白菜の煮える音、出汁の匂い。こたつからはみ出た上半身をむくりと起こすと、少しだけこめかみが痛んだ。
「またこたつで寝て。頭痛くなってない?」
「……」
「起きてくださーい、ごはんですー」
ミトンをつけて、鍋を鍋敷きの上に置いた女は、どこか楽しそうに笑う。天井にのぼっていく湯気のなかで彼女の影がゆらゆらと揺れた。
「お豆腐と、お肉と、白菜」
「……」
「他にいれてほしいものは?」
「……ネギ」
「ネギね」
手慣れた手つきでお椀に鍋の中身が盛られていく。美味しそうな匂いと、あたたかいこたつと、笑う女。差し出されたお椀を受け取った降谷は、つやつやとした白い豆腐を見つめる。
「あ、夜さ、初日の出見に行かない?」
「外、寒いよ……」
「じゃあ日が昇ったら、初詣に行きましょう」
「……」
「あ、めんどうくさいって顔した」
確かに降谷は面倒だと感じていた。せっかくのオフは、家でゆっくり過ごしたいと、そう考えていた。だが、目の前にいる女が笑うのなら、付き合うこともやぶさかではなかった。
「ダメだよ、面倒くさがったら。ちゃんと神様に挨拶しないと」
「知らない人に挨拶も何も……」
「知らない人って……私はお願いしたいこともあるんです」
「何?」
「降谷君がこたつで寝なくなりますように、降谷君が怪我とか病気をしませんように、あと降谷君がチームメイトの皆さんと仲良くできますように……」
「……自分のことお願いしなよ」
それに、その願い事は神様じゃなく自分に直接言えばいいことだろうと降谷は思った。手を合わせて願い事を口にする彼女を見守りながら、心臓の辺りがじんわりと暖かくなる感覚を味わう。そうは言っても、こんなふうに自分が思われているのは、降谷にとって嬉しいものだった。
「あ、美味しい。しめじ」
「僕も食べたい」
「まだたくさんあるよ」
二人で鍋を食べる少し静かな食卓が、女も降谷も存外好きであった。もくもくと湯気の上がる鍋を囲んで、二人はそんな幸せを噛み締める。
「何時ごろ行くの?」
「え?」
「初詣」
「ふふ」
「?」
「うーん……午後からでいいかな。午前中はゆっくりしましょう」
乗り気ではないのに、一緒に行ってくれるらしい降谷に女は笑みをこぼした。優しい人だな、と思う。
「じゃあ、食べたらたくさんいちゃつこう」
「えっ」
「こたつでいちゃいちゃ……」
「……」
「……」
「降谷君ってたまに男の子みたいなこと言うよね」
「……」
降谷は何食わぬ顔で、ズッとお椀から鍋の汁をすすった。静かに、夜が更けていく。
20161231
ゆくとし、くるとし