三ヶ月。だいたい、90日。つまりは、2160時間くらい。それだけあれば、春は夏になるし、夏は秋になる。赤ちゃんの体重は倍になる。
ところで、なぜ私がこんなことを悶々と考えているのか疑問に思う方もいるかもしれない。まあいなくても、はりきってお答えしよう。
それは、私が彼氏とお付き合いをはじめて三ヶ月になるからです。
「というわけで」
「何がというわけで?」
「我々ももう少し先に進んでいいかなと思うのですよ、沢村さん」
彼氏が男にしては大きな目をぱちぱちと瞬かせる。何その顔かわいいな。すごい頭弱そうで。
なんのために、貴重なお昼休みをこんなじめじめした空き教室で過ごしてると思ってる。二人きりになるためだ。誰にも邪魔されずにイチャイチャするためだ!それなのに、私の彼氏と来たらフツーに飯食って、漫画の話して、野球の話して、課題の話して、元気に手を振って自分の教室に帰っていく。これなら普通にみんなのいる教室でごはん食べてもよくね!?みたいな。付き合って三ヶ月ずっとこんな感じだけど、これってただの友だちと変わりなくね!?みたいな。
「キスをしましょう」
「キ、キス!?」
「口と口とをくっつけて、愛を確かめる行為のことです」
「いやそれは分かる!」
よかった。キスくらいは分かるらしい。沢村は顔を真っ赤にしてハレンチだと騒いだ。おいおい。
「キスくらい付き合ってたら普通するでしょ」
「でも俺ら、ま、まだ、高校生になったばかりで……」
「今時小学生だってキスくらいするわ」
「ウソつくな!」
単語だけで顔を赤らめ恥じらう彼氏にちょっと引いた。生娘かよ。生娘の私より生娘みたいな反応するなよ。
あわあわと慌て出した沢村のカッターシャツの襟を掴む。
「私とはキスできないっての?」
「えっ、怖い!」
「おら、男見せろよ沢村ァ」
「キスをねだる彼女ってもっと可愛いもんじゃねえの!?なんかこう……なんか違う気がするなー!オレ!」
「つべこべ言わず目ェつむれ!!」
「こわい!!!!」
怯える彼氏の胸ぐらを掴みあげて、その唇を狙う。怖いじゃねえんだよ。私はお前の彼女だぞ。
青い顔をしてる沢村の半開きの唇に向けて、顔を近付ける。震えてる。だから、生娘かっての。
「……」
「……」
あと少し、あと少しで、唇が触れるというところで止まる。……。
「……あの、すいやせん」
「何ですか」
「いや……しねえの?」
至近距離の猫目。しねえのって。しねえのって貴様。すう……と音もなく顔を離す。貴様。
「そんな童貞丸出しで怯えられたら、私がまるで悪いことしてるみたいじゃない」
「おっ、女の子が童貞とか言うんじゃありません!」
「クソ童貞……」
「お前ほんと口悪いよな!」
こういうのはちゃんとお互いがしたい、と思うときにした方がよいことくらい、分かってます。合意じゃなきゃ、犯罪だ。デートDVだ。バイオレンスなのは、いけないよな。
私ばかりが沢村に触れたいみたいで、何だかむなしくなった。沢村の好きと私の好き、違う大きさなのかも。こいつは恋愛と友愛の区別、ついてないのかも。バカだし。すげーバカだし。どうしよう。こいつの好きが、キスできる好きじゃなかったら、どうしよう。
「何つー顔してんだよ」
「……」
「うんこなら、トイレいった方がいいぞ」
「うんこじゃねえよ……お前のそういうとこほんと最悪」
童貞はダメでうんこはいいのかよ。お前の基準どうなってんだよ。つーか女の子になに言ってんだ。私にうんことか言わせんな。
「私たち、友だちじゃないよね」
「おう!」
お返事だけなら、はなまるなんですけどね。
「恋人らしいことしたいんだけど」
「……それでキスを」
「うん」
「強行しようと」
「そう」
沢村は猫目のままふんふんと頷いている。失敗してしまった。もっとかわいくキスをねだればよかった。『えいじゅん、キスして(ハート)』みたいな。……いやないな。これはない。キャラじゃないって言うかもはやお前誰だよ。こんな女、私は知らんぞ。
思案する私の横で彼氏が、何か一人でぶつぶつ言っている。私も色々考えているが、こいつはこいつで何が考えてるのかもしれない。バカだから期待できないけど。やはり私がしっかりせねば……。
「……」
「さわむら?」
思い詰めた感じの、煮詰まった感じの沢村がガッと私の肩を掴んだ。何?どうした?
何事かと思えば、すごい顔で近付いてくる沢村。おま……なんつー顔してんだよ……!
「やめろ!!」
「ぐえっ」
べしっと張り手でやつの顔面を遠ざける。カエルみたいな声をあげた沢村が目に涙を浮かべ、信じられないものを見たような顔でこっちを睨んでくる。
「何ってキスだろ!!お前が何してんだよ!?」
「は?キス?」
「今までの流れで他に何があんだよ!」
「……ごめん、顔がキモかったから何事かと」
「緊張してんの!!!」
すごい顔だったから、何されるのかと思って。沢村は泣きながら自分の膝を叩いた。いや、ごめん……今のは私も悪かった……。でも、お前のキス顔ほんとブサイク過ぎるぞ。事故だぞ。事故。
「普通にしてれば可愛いんだから、普通の顔しててよ」
「普通の顔ってどうやるんだよ」
「いや知らんけど……」
「つーか可愛くても別に嬉しくねーしっ!」
「嬉しくないって……沢村から可愛さとったら何も残らないよ」
「もっと何か残るわ!」
「ああ……声のでかさ」
「ただのうるさい人じゃん!!」
まあ今もうるさい人だけどね君は……。しくしく泣く彼氏の背中を撫でる。ごめんって言ったじゃん……泣くなよ……。
まあ、でも、よかった。キス、しようとはしてくれた。キス顔があんなにブサイクだったのは想定外だが、目をつむれば気にならないし。うんうん。
「勇気振り絞ったのに……」
「そうだよね、童貞なりに頑張ったよね」
「そう、童貞なりに……童貞言うなよ!」
「ごめんね。私もそうだから」
「……えっ、お前も童貞なのか?」
私女の子なので、童貞ではないぞ。子犬のようなかわいい顔でこっちを見るから、笑いそうになる。ほんとお前……めっちゃ顔かわいいな。
「実は私は、キスをしたこともない」
「、なるほど」
「沢村がハジメテの彼氏なの」
「……やはり」
「やはりってなんだ。……いやまあ、だから、その、私にも至らぬ点はあると思う。そこは、申し訳ない」
私たちは初々しいことこの上ない、ハジメテカップルなのであった。しかも私の性格も、沢村の性格も、何というか……恋人向きでない。甘い空気とか、醸し出せないし、むしろ壊しちゃうし。おかげでキスもままならない。
そろそろと頭を下げると、沢村は私の頭を撫でた。優しくぽんぽんって感じではない。わしゃわしゃーって感じ。
「そういうのは、お互い様だろ?」
「……んふ」
「何笑ってんだよ」
「て、照れると笑いが……」
にやにやしてしまう頬を手でおさえる。なんか、恥ずかしい。照れる。照れるとにやけてしまう。さらに恥ずかしい。
沢村の手が頬をおさえる私の手と重なって、動きが止まる。……あ、これ、今ならキスできそう。
「……」
「……」
沢村もそう思ったのかもしれない。近付いてくる顔に、目を閉じる。やっぱりすごいブサイクだったな。愛があるから、平気だけど。あと少し、あと少し。鼻息が顔に当たる。そこまで来てるならもうガッとこいよ、って思ったけど今茶々を入れたらまたキスできない……我慢しよ……。

キーンコーンカーンコーン

「……」
「……」

キーンコーンカーンコーン……

「いやタイミング!!」
「空気読めチャイム!」
二人、同じタイミングで立ち上がる。チャイム!!!!
「ところでオレ次体育なんだけど」
「えっ着替えもしてないじゃん。ヤバくね?」
「ヤベエ!」
「……はい解散!」
「シャッス!」
ビシッと敬礼してから去っていった彼氏の背中を見てちょっと笑う。次体育なら事前に着替えてから来いよ。ていうか更衣室から体育館まで結構遠いけど間に合うのか。いやまあ沢村なら最悪そのへんの廊下で着替えてても許されるか……。……。
「……クッソー」
あああ!あとすこし、だったのに!!

20160820
四方八方きみ塞がり