「別れよっか」
一緒にご飯を食べていた彼女が突然そう言った。いつもより、真面目な声。顔を覗き込もうとしたけど、俯いてて、よく見えなかった。どうしてそんなことを言うんだろうと思ったけど、深刻そうに結ばれた唇が見えて、冗談じゃないんだと悟る。そうか、彼女は僕と別れたいのか。
「……」
彼女の制服のスカートのひだを見つめる。……。
「……」
「……分かった」
他に好きな人ができた、とか、単に僕のことが嫌いになったとか、勉強に集中したいとか、とにかくのっぴきならない理由があるのかもしれない。この人は、僕が知る限り、理由のないことはしない人だから。
■■■□
「はあ〜〜〜〜?それで別れたのかよ!?」
「……」
「理由も聞かず!?」
「……」
「お前の気持ちも言わず!?」
「……」
彼女と別れたことは、あっという間にみんなに伝わったようで、ひそひそと噂話をされる今日この頃。沢村は女子の間で流行っているというらしい少女漫画片手に憤慨している。胸のモヤモヤをごまかすようにパックの牛乳をズッと吸う。
だって、彼女が別れたいのだと言うから。
「お前、あの子のこと、全然好きじゃなかったのか」
「好きだよ」
「……」
「……」
「じゃあ何ですんなり別れてんだよ!」
だから、彼女が別れたいって言ったから。
「意味わかんねえ!」
腕を組んで彼が鼻息を荒くする。どうして沢村が怒るのか、全然分からない。
「俺だったら絶対別れねえ!ってごねる!」
「ふーん」
子どもみたい。きゃんきゃん鳴く沢村を冷めた目で眺めると、キッと睨まれた。
「降谷お前……カワイソウなやつだな」
「……なにそれ」
その目と言葉に、思わずむっとする。何で君にカワイソウだと思われなきゃいけないの。
「好きだから別れたくねえって、何で言わねえの?」
■■□■
ぐるぐる。ぐるぐる。
色んなことを考えながら彼女の靴箱を眺める。電話はした。出てもらえなかったけど。メールも、送った。返事は、ないけど。
廊下で会っても、目も合わせてくれない。完全な無視。まるではじめから僕らは知り合ってなんかなかったみたいな。
彼女は僕のことを嫌いになってしまったのだろう。
「……あの、ちょっと……どいて……」
だけど。
「……」
靴箱を完全に封鎖するように立っている僕がいるから、今の彼女は僕を無視しようがない。僕にどいてもらわないと、彼女は帰れないから。
苦虫を噛み潰したみたいな顔をした元カノは、僕に退くように促した。もちろん、退かない。
「さと……降谷君、どいて」
「……」
首を横に振る。もう名前で呼んでもらえないという事実に、ちょっとだけ胸が痛んで、悲しくなった。だけど、これくらいで、引いたらダメだ。今日は、ちゃんと、言う。鼻から息を吸って、思いきって口を開く。
「言ってもいいものだと、思わなくて」
「はあ……?」
「別れたくないって」
「……」
「言ってもいいものだと、知らなくて……」
怪訝な顔をする彼女に言葉の勢いが死んでいく。
好きだから別れたくないと、言ってもよかったなんて、思ってなかったから。悔しいけど沢村に言われるまで気付かなかったから。
彼女が好きだと言ってくれたとき、僕もひそかにいいなと思ってたから、嬉しかった。一緒にいて楽しかった。僕は、彼女が好きだった。だから、別れようと言われて、悲しかった。別れたくないなって思った。けど、言わなかった。言えなかった。
「なにそれ」
「……うん」
「意味わからないよ」
「……、……うん」
言葉が足りない、とよく言われる。表情も固いし、口数も少ないし、何を考えてるか分からないってよく、言われる。
面白味のない、男かもしれない。だけど、別れるとしてもせめて、これだけは言っておこうと、聞いてもらおうと思った。
「君はもう僕が嫌いかもしれないけど」
「……」
「僕は、君が、好き」
「……」
「まだ、好きだよ」
「……」
「……それだけ」
沢村が貸してくれた少女漫画みたいな台詞は一生かかっても言えそうもない。好きだと伝えることさえ、こんなに難しい。こんな僕じゃ、きっとこの人をもう一度振り向かせることなんてできない。一度嫌われたら、関係を修復するのは、難しい。だけど、だから、せめて、この気持ちだけは、目の前にいる彼女に伝わってほしい。
「降谷君は、私のことなんか好きじゃないと思った」
「……」
「私といても楽しくなさそうだし、寝てるし、別れようかって言っても平然と頷くし」
「……」
ごめんって、謝ろうと思ったけど、やめる。謝ってしまえば、終わりな気がした。黙って彼女を見つめる。彼女はため息をついて、眉間にシワを寄せる。
「耳かして」
「え……」
「はやく」
「……うん」
頭を下げて彼女の顔の前に顔を持っていく。何を……言われるんだろう……。ちょっと怒っている彼女と目があって、それから、彼女が手刀をかまえる。あっ。
ヤバイ、と思ったときには、ごすっとえげつない音を立てて脳天に手刀が落とされる。いたっ。
「痛い……」
「暁君が悪いよ」
チョップされた頭をさすると彼女は邪魔、と一言いって、僕を靴箱の前からどかす。上履きを脱いで靴箱にそれをしまう彼女の横顔を眺める。……呼び方、戻ってる。
「下駄箱にずっといるつもりなの?」
「……」
首を振る。
「はやく、靴、履き替えなよ」
「……一緒に帰っていいの?」
「暁君の寮までね」
ローファーを出した彼女が不機嫌そうにこっちを睨む。髪を耳にかけることで見えた彼女の耳は、真っ赤に染まっていて、目を見開く。
そうか。いいの。いいのか。僕は慌てて自分の靴箱の方にいく。そして、今日、練習がないことを監督に感謝しながら、今まで言えなかったことを口にした。
「駅まで、着いていってもいい?」
20160815
聞いて