「今日、飲まね?」
「……」
いつもなら一刀両断するその軽い誘いに乗ったのは、今日私が今世紀最大級に機嫌が悪かったためだ。
「黒騎のくせに気ィ使ってんじゃないわよ」
「べっつに気は使ってねーけど?」
「使ってるから二人きりなんでしょ!」
「あー……」
あーって何だ。あーって。雑なんだよ。気遣うならもっと丁寧にやれ。
半分泣きながら、焼酎をぐっと飲む。職場恋愛反対、仕事に恋愛を持ち込むな。というか、してもいいけど私の知らないところでやれ。私の見えないところでやってくれ。頼むから。ほんと、頼むから。
「何で痴話喧嘩をあの場でやるかな、仕事に集中してほしいんだけど」
「だな」
「仕事に……集中を……元カノって何だよ元カノって、つーかあれ完全にお互い未練たらたらじゃん……全然……」
「あれはまだ未練あったな〜〜」
何だよ、あの惚気……あんなの、仕事中にする会話か?命かけて危険な仕事してるときにする会話か?サポートするこっち側の動揺なんて、そりゃ、現場の人は知らないでしょうけど……いや、それは関係ないな。関係ないけど。
元恋人たちの熱い惚気を聞かされて、私の心は極限まで荒んでいた。何であんな話を、するかな。私の恋心なんて微塵も知らない、いや知ってたとしても、あの人たちには関係なかったと思うけど、私はこのやりきれない気持ちを何かにぶつけないとやってられなかった。
「ていうか、慰めに来るのが何でよりによって黒騎なの?なぜ一番にバレたのがアンタなの?」
「そりゃ、俺の観察眼を持ってすれば」
「黙れ、ミスター雑男」
「ざ、雑男……」
私もいっぱしの社会人なので、職場で恋愛脳を発揮させるほどバカではない。上手く隠していたつもりだった。というか、隠すために好きな人にあんまり近付かないようにしてた。普通に、望みがないと思って。
だけど、それでも、あんなドラマみたいなロマン溢れる展開を見せつけられたら、普通に傷付く。何を見せられてるんだ私は?と疑問も抱く。
黒騎は苦笑いでビールを飲む。ビールなんて飲みやがってコンチクショウめ……。
「そんなの飲んでないで、こっち飲みなさいよ!酔えないでしょ!」
「いや、それ度数キッツイやつじゃん」
「ビールなんて水よ、水!酒っていうのはねえ、こういうのを言うの!」
グラスに焼酎を並々注いで黒騎の前に出す。おちょことか、あんな小さい器でちょこちょこ飲んでられる気分ではない。黒騎のビールを奪い取って飲み干してから、また焼酎をあおる。今日はとことん飲んでやる。明日仕事とかそんなのは、どうでもいい。どうでもいいのだ。
「……って、酔い潰れるのが何でアンタなのよ!」
完全に酔い潰れたのは、私ではなく目の前のテキトー男であった。自分の酒の強さに、若干引いた。ちゃんぽんして、黒騎の倍近く飲んでもまだ意識がしっかりしてるし、足取りもしっかりしてる。私はいわゆる、ザルであった。ぜんっぜん酔えてない!何なの!もう!腹立つ!あとコイツほんと何しに来たの!?
「ちょっと、黒騎、自分で歩いてほんと重いから、アンタほんと重いから」
「むり……」
「何で酒弱いくせにそんなになるまで飲むのよ!」
自分で無理やり飲ませたくせに、八つ当たりみたいに吠える。私は上司じゃないんだから、無理ならきっぱり断れ!バカなの!?
ムカつく。世界のすべてに腹が立つ。世の恋人たちがみんな憎い。別れろ。別れてしまえ。みんな別れてしまえばいいんだ。
ムダにでかくてがっしりしてる黒騎を引きずりながら、居酒屋を後にして、近くのタクシー乗り場までの道を歩く。クッソ、重たいし。何だコイツ捨てていいかな!?
「ぎもぢわり……」
「ちょ、吐くとこないんですけど!?」
「う……」
「まっ、まて、ちょっと待て黒騎!ごみ袋あったかな!?」
死にそうな黒騎に冷や汗をかきながら、鞄のなかを漁る。こんなところで吐かれたら、迷惑きわまりない。ゴミクズ呼ばわりされてるとしても、私たちはおまわりさんである。公共の道路を汚すのはいただけない。
鞄の中を漁っていると、今朝行ったコンビニの袋が出てきた。よっしゃラッキー!
「吐くならこれに吐いて!」
「うあ……」
ゴミ袋を受け取って、道の端にうずくまったダメ男の背中をさする。何で私が介助してんだ。助けてほしいのはこっちだ。あんなドラマチックに悲劇的な失恋をしたのは初めてである。告白とかするつもりなかったし、自分が恋人になれるとも思ってなかった。高望みしてなかったじゃん私。その結果これですか神様。あーあー私が今日非番だったらなー!出撃したのが黒騎だったらなー!こんな思いせずにすんだのになー!
なんかもう、涙出てきた。悲しい。ひたすら悲しい。何で私泥酔した黒騎の背中撫でてんだろ。可哀想じゃね?私、可哀想じゃね?
「……う、」
「?、おーい、どうしたー……」
「猫カフェ行きたい……」
「どんな泣き言だよ」
ゴミ袋を口に当てたままの黒騎が弱々しいツッコミをする。つらい。癒されたい。もふもふした暖かい、そして私に優しい生き物に癒されたい。こんな深夜に猫カフェとか、営業してるわけないけど。デジタルじゃなくて、本物の、ぬくもりのある愛がほしい。もうディスプレイとかウェアとか、そういうのばっかり見る生活には飽き飽きだ。あんな仕事、あんな仕事……みんな一生懸命やってるのに世間の評価は相変わらずだしさ!
ああ、ウォータープルーフのマスカラでよかった。水にも涙にも強い。社会人の女は、これくらいで化粧は崩さないのである。
「う、うあああ瀬名さん彼女いないっつってたのにいいい」
「言ってた言ってた」
「すきなひといるんじゃんかよおおお」
「元カノな」
「テメエあいずち軽すぎんだよ、もっと親身になって……はなしを……わたしのはなしをだな〜〜……」
黒騎の背中をばんばん叩いて、泣きわめく。な〜〜にが社会人の女だ。知るか、私はただの酔っぱらいだこのやろう。つらい。大人になってもつらいことはやっぱりつらい。そもそも何なの?大人ってなに?仕事始めたら大人?成人したら大人?知らねーよそんなのは!
相槌が軽くてテキトーな黒騎が、私の方をチラッと見て、それから、頭にチョップを落とした。
「おい、私は傷心中だぞ!やさしくすべきでしょ!」
「うるせー、俺だって傷心してるわ!」
「そうなの!?」
「あのボクネンジンのどこがいいんだバーカ!」
「どこ!?え、えっと、余裕ありそうなとこ!」
「お前いっつもカツカツだもんな!余裕なさすぎて!」
「今私の悪口言う必要ある!?」
ぎゃーぎゃー言う、大人気が欠片もない私たちの横をタクシーが通りすぎていく。ボロボロとこぼれる涙がファンデーションを落としていっている気がする。ファンデーションはウォータープルーフじゃなかった……。みじめだ。余裕がないのは、その通りだった。いつも余裕がなくて、必死で、だって頑張らないとついていけなくなっちゃうから。私だって好きでカツカツしてるわけじゃないんだよ。普通に余裕欲しいわ。欲しいけど手に入らないから、悲しいんじゃないか。
「アイツでいいなら、俺でもよくねえ!?」
「はあ!?」
何言ってんの!?黒騎はうわ言のように、そして文句のようにぐだぐだ続ける。
「瀬名も俺もそんな変わんねえじゃん」
「だいぶ違うわ」
「そんな変わんねえって」
「いや正反対だって」
「好きです!俺と付き合ってください!」
「……アンタだいぶ酔ってんな!?」
瀬名さんと黒騎じゃ、だいぶ違うどころか正反対である。黒と白、いや水と油?とにかく全然、これっぽっちも似てない。なるほど、私に振り向かない瀬名さんと、私が好きな黒騎。これもまったくの正反対である。……とかさあ、冷静に分析してる状況じゃないわなあ。何だ好きって。
「私のこと好きなの?」
「おう」
「おうってアンタ」
「俺と付き合ってくれたら〜、泣かせないし、むしろ笑わせるし。瀬名よりぜってー楽しいって」
「……泥酔した奴の言葉なんか真に受けるわけないじゃん」
「おっ前が飲ませたんだよ!」
「それはそれ、これはこれ」
どれだよ、と項垂れる黒騎の広い背中を叩く。そうか、好きなのか。私のこと。
私が瀬名さんのことを好きだって気付いたのは黒騎だけだった。それもけっこう前に。そしてこのことは、いまだに黒騎しか知らない。からかってくるわりに、周りに吹聴はしてないらしい。黒騎の根っこの部分は、いいやつだ。
「いつから私のこと好きなの」
「お前が瀬名に惚れる前から」
「またまた」
「いや嘘じゃねーし」
じゃあなんだ。黒騎はずっと失恋しっぱなしだったってことか?話しかけねえの?ってニヤニヤして肘でつついて来たときも?バレンタインのチョコに思いっきり義理じゃねーかとか文句つけてきたときも?私のこと好きだったの?
「お前だけが失恋してるみたいな顔しやがって、ムカつく」
「いや、だって、そんなの知らないから」
「知ろうとしなかったの間違いだろ」
「だって好き好んで黒騎のことなんか知りたいと思うわけ……」
はっと口を押さえる。睨まれた。そして彼はちょっと泣いてた。
あー、黒騎は私のこと好きなんだった。今のはちょっとオブラート足りなかったかも。むくれる黒騎は投げやりに叫ぶ。
「あーもー!いい!もう知らん!いいから黙って俺を選べ!」
「な!?」
「幸せにする!スゲー幸せにする!!」
「なあ!?」
ガバッと抱き締められて、身動きがとれなくなる。だ、抱き潰される……!もがいてみたけど、全然びくともしない。これだから武闘派は……!脳筋め……!
何だか知らないけど、また涙が出た。余裕がなくて、必死で、大人なのか何なのか分からない、可愛くない私のことが、そんなに好きなのか。幸せにしたいと思ってくれてるのか。そんな私でも好きになってくれるのか。
「でもムリ!黒騎ぜんっぜんタイプじゃない!」
「そこをなんとか!」
「ムリだって!離れてよ!酒臭い!」
「お前が飲ませたんだよ!!」
やっぱり、今は失恋したばっかりだし、黒騎のことなんかこれっぽっちも好きじゃないから、付き合うのとかはムリだ。ほんとにタイプじゃない。
だけど、こうやって話すのは嫌いじゃない。なんか、すごい笑える。泣きながら、笑う私に黒騎も笑った。真夜中の道の端で、大の大人が、しかも警察官が、抱き合って笑っているのはどう考えてもおかしいけれど、仕方ない。私たちは酔っぱらいだから。黒騎に抱き寄せられたときに脱げた私のヒールのエナメルが、タクシーのランプに反射してぬらぬらと輝いていた。そんな夜だった。
20160304
友達のなかではいちばんに好きだよ