「あ、荒船のばかー!!!クソ映画オタク!!死ね!ハゲて死ね!」
全力で叫んでから、そして、荒船の驚いた顔を見てから、私は自分が何を言ったのか気付いた。ボーダーの談話室で、みんながいる前で、私は自分の彼氏にとてつもない暴言を吐いたのだった。
しかし、そもそも悪いのは、荒船で。だから、思わず温厚な私も声を荒げてしまったわけで。……だからといって、私がまったく悪くないとは、言えないけれど。
「何キレてんだお前は」
「……っ!」
冷静な、冷静すぎる荒船の言葉で我に帰った私は、唇を噛んで、それから脱兎のごとく逃げ出した。荒船は怒っていた。怒っているときの目だった。
私の大声のせいでザワザワした談話室を飛び出す。荒船が悪い。荒船が悪いんだ。口の中で何回かそう呟いたけれど、私の怒りは彼への罵倒と一緒に空中に飛び散ってしまったみたいで、後悔と罪悪感ばかりが頭に浮かんだ。
「それは荒船君がわるいと思うよ」
「そうっスか?」
「ちょっとからかっただけじゃね?」
私が逃げ込んだ先は、A級一位の部隊の隊室であった。柚宇ちゃんの大きな胸に顔を埋めながら背中をポンポンされて、すこしだけいきる気力が戻った。
太刀川さんと出水は興味なさげに煎餅をボリボリかじっている。
「これだからウチの男子は〜〜!」
柚宇ちゃんは可愛く怒ってくれたけど、私の心はまったく晴れない。
というのも、私が荒船に激怒した原因、それは、荒船が普段私に投げ掛けるワードランキングと深く関連付いている。三位、貧乳。二位、ガキ。一位、色気がない。である。散々である。
「でも確かに荒船がお前のこと誉めてるとこ見たことねえな」
「俺も」
「私も〜〜」
「……わたしもない」
「ねえのか〜〜〜〜」
「可哀想〜〜〜〜」
「何で二人って付き合ってるんスかね?」
「こらっ、出水君!余計なこと言わないの〜〜!」
出水の余計な一言に深く傷付いた私は柚宇ちゃんの胸でおんおん泣いた。私には足りていないおっぱいが、そこにあった。
私と荒船は、いわゆる恋人だ。私がうっかり好きになって、うっかり告白して、うっかりOKされてしまった。あの日から私たちは、間違いなく、おそらく、たぶん、恋人同士だ。
けれど、荒船は私のことをからかうばかりで、好きって言ってくれたこともなければ、甘い雰囲気になることもない。メールも平気で無視するし、かと思えば深夜に突然電話してきて、延々と映画の感想を語ったりする。多分あいつ全然私のこと好きじゃねえ。
「もう別れたら?もっといい人いると思うな〜〜」
「うわ、柚宇さん超テキトー!」
「おー別れちまえ別れちまえ、リア充はみんな破局しろー」
「太刀川さんに至っては完全に僻みだし」
ワイワイと勝手なことを言って盛り上がるA級一位の三人に、私はすごすごとその場をあとにした。別れるか。やっぱり別れた方がいいか。顔を合わせれば、色気がないだの貧乳だのバカにされるけれど、私はやっぱり荒船が好きだった。どこが好きかと問われると困るけれど、とにかく好きだった。
どうして村上じゃなくて、荒船を好きになってしまったんだろう。もっと他にいたろ私。バカかよ私。そして何で荒船もあのとき、付き合ってって言ったとき、OKしたんだよ。色気のない女でもいいから彼女ほしかったってことだろうか。
悲しみにくれながら歩いていると、見覚えのある帽子が目に入って、我ながら素晴らしい動きで、私は物陰に隠れた。テツジ・アラフネである。
「!!!!!」
こそっと様子をうかがおうと、顔を出して、私は衝撃の光景を目にした。荒船は、普通に加古さんと談笑していた。いや、談笑していたかどうかは遠くてよく分からないけど、とにかく二人で仲良さげに話しているらしかった。……よ、よりによって、加古さん……!大人の色気代表みたいな、加古さん……!加古さんと比べられると、私はもうおっぱいどころの話ではない。何から何まで敵わない。詰み、というやつだ。
ていうか彼女に罵倒されて逃げられたのに、他の女の人と談笑ってどういう神経してんだ荒船哲次。私って何なんだ。お前にとっての私って一体、何なんだよ……。
「ん?お前こんなとこで何してんの?」
「ゲッ、当真……最悪だ……」
「おいおい、人の顔見て最悪とかヒデーな」
「最悪だ……」
当真が楽しげに、そういやお前荒船と喧嘩したんだって?別れたのかよ?みたいな話をしだす。うるっせえ、あっちいけ、デリカシー0男、と睨んでみたけれど、いつもどおり、当真にはまったく効かなかった。
当真が普通に喋りかけてくるから、遠くにいた荒船と加古さんにも気付かれたらしい。普通に目があった。
「……最悪だ……」
「何回言うんだそれ」
無責任に笑っている当真の脛に思いっきり爪先をぶち当ててから、私はこっちに来る荒船に気付いて、そこから離れようとした。離れようとはしたんだ。しかし、荒船が思ったより全力でこっちに走ってきてたことと当真に気をとられていたこととが災いして、次の瞬間には私は般若を背負った彼氏に二の腕を掴まれていた。はえーよ。
「よお、さっきぶりだな」
「あ……はい」
こえーよ。思わず敬語になった。
「あわ、あの、あのさ、別れ話なら、LINEでお願い」
何か、何か言わなきゃと思った私はそんなことを口走っていた。我ながらネガティブすぎる。噛んだし。あれ、やばい、なんかまた泣きそう。
「は?」
「今は、ちょっと、トリオンが、トリオンが足りてないから……」
荒船が何言ってんだコイツ、頭大丈夫か?みたいな顔をしているのがわかった。自分の彼女にする顔じゃない。いや、もう彼女ですらないのかもしれないけど。
自分で冷静に考えてみたけど、私には荒船の言う通り、色気が足りなかった。ガキだし、貧乳だし。……いや、ちょっとはあるけど。彼の好みが、洋画でよく出るお姉さんとか、加古さんみたいな女性なら、私では心底、物足りないだろう。
「……お前、俺にフラれんのか」
「えっ、まあ……」
「へえ」
「だ、だって、私怒鳴ったし、死ねって言ったし……色気もないし……加古さんみたいには、なれないし……」
「そうだな」
素直に頷くからちょっと泣いた。ちょっとくらいフォローしてよ。お前の彼女(元)だぞ。
鼻をぐすぐす言わせて、目を擦る。嫌だな。荒船が好きだ。冷たくても、口が悪くても、荒船が好きだ。荒船にも私のことを好きになってほしい。そう思って告白したはずなのに、その告白は成功したはずなのに。
「でもさぁ……怒鳴ったことは謝るけどさぁ……わたしだって好きな人にまいにちのように心ないこと言われたら、そりゃ、我慢の限界もくるよ……」
「心ないこと?」
「……色気ないとか、ガキとか、貧乳とか……事実だけど、事実だけどさあ……」
「ああ……」
「わたしだって、気にしてるのにいいい」
色気は喉から手が出るくらいにはほしいし、子供っぽいことは前から気にしてた。それを、他の誰でもない彼氏に指摘されるのは、心が痛い。こうやって泣くことだって、たぶん、すごく子どもっぽいであろうことも分かってるけど、それでも涙が止まらなくて、余計悲しくなった。
「悪かった」
「おもってないくせにいい」
「思ってる」
「加古さんのがいいくせにいいい」
「なら、お前と付き合ってねえよ」
「私のことなんか好きじゃないくせにいいい」
「だから、好きじゃなかったら、付き合ってねえだろ」
「あらふねのうそつき……うそつき、うそつき!」
「めんどくせーなお前」
だってもう、どうせフラれるなら、ごねるだけごねてしまおうと思った。それでも舌打ちされて、びくっと体が震える。荒船が片手で私の顔をガシッとつかんで、無理やり目をあわす。普通に怖い。何、殴るの?うそでしょ?深夜の映画テロにも、屈辱的な暴言にも、雑な対応にも、何だかんだ文句言いながら付き合ってあげてた彼女を?
帽子で影になった、荒船の鋭い目と視線がかちあって、またドバッと涙があふれた。
「ウゼエ、泣き止め」
ひどいことを言う荒船は、そのまま私の口を己の口で塞ぐという暴挙に出た。加古さんも、当真もうっすら遠目に見ているのに、そんな暴挙に出たのだ。
「き、きすした……?」
「した」
「……っ手、手も、つないだことないのに」
「だからなんだよ」
「…………」
「付き合ってんだから、してもおかしくねえだろ」
私の顔から手を離した荒船はいつもと同じ顔で、私ばかりがびっくりしているようだった。よろよろと後ろに下がると、とすっと、何かにぶつかる。振り向くと当真であった。横には加古さんもいた。
「よかったな」
「よかったわね」
恥ずかしくて死ぬかと思った。
「わたしたち、別れるんじゃ……?」
「それは俺じゃなくてアイツに聞けよ」
思わず当真にそう聞くと、お前らサイコーとくつくつと笑われた。これは絶対にボーダー中に喋られると直感的にさとった。加古さんも笑ってる。恥ずかしくて死ぬかと思った。そっと荒船に視線を戻すと、荒船も恥ずかしくて死にそうな顔をしていた。
あの荒船が私のために、恋人らしいことをしてくれた。けっこう、洋画にかぶれた感じだったけど、それでも、キス、してくれた。
「次くだらねーことで泣いたら、許さねえ」
きゅっと帽子のつばに手をかけて、去っていこうとする荒船に、私はエンドロールの幻影を見た。親指を立てる当真と加古さん見守られて、私は大好きな彼氏の背中を追いかけるのだった。
20150117
キスで手打ち