響く、始まりの音[1]
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叶わないと知りながら、それでも片想いを続けている人がいる。
入社してからだから、もうかれこれ4年は経った。
20代前半という女の盛りを、他に彼氏も作らずに、その片想いに捧げた。

相手は、私の直属の上司。
土方部長だ。

世の中にはこんなにも、非の打ち所がない人がいるのかと。
そう思う。
役者顔負けの美しい顔。
真っ黒のサラサラな髪、色白の肌。
こんな言い方をすると、まるで女の人みたいだ。
実際彼は、私なんかよりよっぽど綺麗だと思う。
でも、かと思えば、低音でぶっきら棒なのに色気のある話し方。
着痩せして見えるけれど、やっぱり肩や背中は広い。
そんな見た目を裏切らず、仕事が出来て部下の面倒見も良くて、周囲からも慕われている。
ちょっと短気なところが玉に瑕かもしれないが、中間管理職という彼の立場を思えば、カリカリするのも無理はないと思う。

そんな、我が社の女性社員の憧れの的。

私なんかの想いが報われるはずなんてないんだってことは、ちゃんと分かってる。
彼にはもっと、スタイルが良くて美人な女の人が似合う。
私みたいな平凡な女じゃ釣り合わない。
そんなこと、とっくに理解しているけれど。

人生の幸運を使い果たしてしまったのか何なのか、私は土方部長の直属の部下なのだ。
だから毎日会えるし、毎日話せる。
もちろん全て仕事上の会話だけれども。
それでもよかった。
土方部長の声を聞くことが出来れば、それだけでもう十分幸せだった。


けれどたまには、例外、というものがある。


「おいミョウジっ!お前これはどういうこった、あァ?」

目の前に、鬼がいる。
黒髪の間から角を覗かせた、鬼がいる。

「俺はお前に何て言った?」
「…統計を出して、平均値を入力するように、と」

金曜日の午後。
怒りの形相で土方部長に呼びつけられ、恐らく顔面蒼白になった私。
土方部長のデスクの前に立たされ、怒り心頭の彼から飛んでくる怒声を受け止めている。

「ほう。で、これが平均値なのか?全部ゼロに見えんのは、俺の目の錯覚か?」
「…私のミスです」

ばん、とデスクに叩きつけられた資料のとある1ページ。
彼の言うとおり、その表の全て欄にはゼロの数字。

「申し訳ありませんでしたっ、すぐに直します!今すぐ!」

資料を受け取って、深々と頭を下げる。

「ったりめぇだ馬鹿野郎!気ぃ抜いてんじゃねえ!とっととやりやがれ!」

椅子に踏ん反り返った土方部長は、苛立った声でそう言い放つ。
その声には、本気の怒りが込められていた。
それが、私の胸を深く抉る。

泣くな、泣くな、泣くな、私。

怒られて泣くなんて、社会人のすることじゃない。
土方部長は、泣く女は嫌いだ。
彼に怒られて泣いた部下は、気がつけばいつの間にか皆違う部署に配属になっていた。
こんなことで泣くような部下じゃ、土方部長に着いて行く資格はないのだ。

顔を上げて、唇を噛む。

「定時までに終わらせねえと、どうなるか分かってんだろうなァ」
「はい!」

もう一度頭を下げて、自分のデスクに戻ろうと踵を返した。
振り返ったオフィスは、それはもう見事に静まり返っている。
土方部長の怒声が響く間は、誰も怖がって口を開かないのだ。
ちらりちらりと、あちこちから向けられる気遣わしげな視線。
それに気付かない振りをして、私はデスクの椅子を引いた。



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