[28]再会
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それは、予想出来ない結末ではなかったのだ。
勝負の世界では常に勝者と敗者が生まれる。
今回の対戦カードを見れば、確率は五分五分。
この結果は、決して意外なものではない。

それでも。

後半のアディショナルタイム一分、その終了間際。
恐らく、後二十秒耐えれば、今の聖蹟が得意とする延長戦に持ち込めた、その時。
相手チームのシュートが、聖蹟のゴールネットを揺らした。
黒いユニフォームを纏った選手たちは誰一人、諦めようとはしなかった。
柄本が血を吐くような叫び声を上げてボールを拾い、リスタート。
しかしその最後の攻撃が敵陣のサイドラインを越える前に、試合終了のホイッスルが鳴った。

聖蹟の選手たちが、ピッチに崩れ落ちる。
膝をつき、手をつき、俯いて慟哭する。
保科は呆然と、聖蹟のベンチに目を向けた。
ピッチに背を向けた監督の隣、彼女がその手からスコアブックを取り落す。
そして不意に、その膝から力が抜けたかのようにその場に崩れ落ちた。
すとんと座り込んだ彼女が、まるで目の前の現実を拒否するかのごとく首を振り、そして次の瞬間、顔を歪めると両腕を地面に押し付け、身を投げるようにして前に倒れ込む。
この三年間、保科が知る限り、チームが負けても決して泣くことなく前を向き続けた彼女が初めて見せた、全身の号泣。
声は聞こえない。
その顔も両腕に埋められ、窺うことは出来ない。
だが遠目にも、彼女が身体を震わせ泣いていることは分かった。
息が詰まる。
目頭が急激に熱を持つ。
彼女のその感情のままの姿は、保科の胸を突き刺した。
自分が負けた時は、反省も後悔も全て自分で負うことが出来る。
だが今この瞬間に保科が感じる圧倒的な痛みと苦しさは、どこに向けることも出来ない感情だった。
保科が何かを出来るわけではない。
だからと言って、聖蹟の選手たちを責めるのもお門違いだ。
賞賛すべき、素晴らしいプレーだった。
地味だと言われるかもしれないが、堅実で忍耐強く、そう簡単に真似出来るものではない戦い方だった。
そのプレースタイルも戦略も、決して間違っていたとは思わない。
それでも彼らにとって、そして彼女にとって、負けは負けだ。
三年間の集大成、最後の試合に、勝ち星を飾れなかった。
全国大会準優勝は、他者から見れば充分な功績だ。
そこまで辿り着けなかったチームが、全国に何千とある。
だが、一位と二位にその数字以上の差があることを、中学最後の試合で同じ経験をした保科は嫌というほど知っていた。
彼らの傷は、いつか時間が癒すだろう。
それでもきっと、この傷を負ったことは一生忘れられない。
保科もあの日の罪を、未だ夢に見るのだから。

ようやくベンチに戻って来た選手たちが、彼女の傍に膝をつく。
その肩を躊躇いがちにそっと叩いたのは柄本だった。
顔を上げた彼女の頬が涙に濡れている。
彼女と、彼女以上に泣いている柄本が、座り込んだまま抱き合った。
そんな二人を纏めて、風間が泣きながら抱き締める。
その周囲で、チームメイトたちがタオルを顔に押し当てていた。

「聖蹟ぃぃいいっっ!!」

優勝チームのコールに混じって、聞こえた大声。
保科がスタンド席に目をやれば、見覚えのある長身の男がいた。
大柴だ。
座席の上に仁王立ちになって、後輩たちを見下ろしている。
ああ、来ていたのか、と保科は思った。
当然だ。
自分の母校、しかも共に戦った後輩たちの決勝戦だ。
応援に来るに決まっている。
恐らくは他のOBたちも、会場のどこかでこの景色を見ているのだろう。
彼女が大柴を見つけ、目を見開き、そしてさらに涙を零した。
その瞬間、信じられないことに大柴がスタンド席からフィールドに飛び降りようとして、隣にいる女性に耳を引っ張られ止められている。
その光景に、選手たちが泣きながらも微かに笑った。

やがて、選手たちが足取り重くロッカールームに戻って行く。
監督に手渡されたタオルで顔の半分以上を覆ったまま、彼女も階段の奥へと姿を消した。
その姿はあまりに頼りなく、あまりに哀しかった。
彼女の尽力の証だろう。
努力した分、結果に結び付かなかった時の悔しさは大きくなる。
頭の良い彼女は、きっとずっと前からそれを知っていた。
それを覚悟の上で、彼女はこのチームに献身したのだ。
得たものは多いだろう。
決して、全てが無駄になるわけではない。
それでも、彼女が本当に心から願ったものは、手に入らなかった。
そのことが、保科にはとても口惜しく、耐え難い。

彼女と話したいことがあった。
最後の機会だから、連絡先を聞いておきたかった。
だが今失意の底にいる彼女に会う権利が、保科にあるだろうか。
会って、何を言えばいい。
口下手な保科に、彼女を救うことは出来ない。
そもそも今はどんな言葉だって、彼女の慰めになりはしないだろう。
会って、泣いた後の彼女の顔を見て、上手く話せる自信は微塵もなかった。
彼女だってこんな時に、大して親しくもない男には会いたくないに違いない。

手洗いに寄った保科は、兄たちと合流すべくスタジアムの正面入口を目指して歩いていた。
本当にこのまま帰っていいのか、後ろ髪を引かれる思いが強く、その足取りは重い。
だが、これが最後の機会だと分かっていても、保科には彼女に会う決心がつかなかった。
その時ふと、人混みの中に見知った顔を見つける。
気付いたのは相手も同時だった。

「あれ、保科?」
「……臼井か」

元聖蹟の副キャプテン。
当時の十傑と肩を並べる実力を持っていたのに、高校卒業と共にあっさりとサッカーを辞めたらしい臼井と会うのは久しぶりだった。
白いマフラーを靡かせながら、臼井が近寄って来る。

「久しぶりだな、来ていたのか」
「ああ」

それ以上続ける言葉が見当たらず、保科は口を閉ざした。

「ウチはいいチームだっただろ?」
「ああ、素晴らしかった」

臼井の問いに本心からそう答えると、意外そうな顔をされる。
やがて臼井は、ふっと柔らかく笑った。

「お前、去年も来てたか?」
「ああ、選手権は観させて貰った」
「やっぱりな」

納得したように頷かれ、今度は保科がそれを意外に思う。
お互いの引退試合となった一昨年の選手権以来顔を合わせていないはずだが、何か、臼井には感じるところがあったのだろうか。

「ウチのマネージャーは、いい仕事をしてただろ?」

訝しむ保科に向けられた、核心をつく質問。
なぜそれを自分に聞くのかと、保科が慎重に同意すれば、臼井は楽しげに目を細めた。

「今の今まで、俺は忘れてたんだけどな。お前はずっと、そうだったのか」
「何の話だ?」
「しらばくれるなよ、保科。生憎、俺はこういうことに敏くてね」

その台詞にようやく、保科は理解する。
臼井が、保科の彼女に対する思いに気付いているのだと。

「……二年前の梁山戦。あの子の居場所を聞いて来た時に、何となくそうかとは思ってた。でもまさか、二年越しにまだ引き摺ってるとはね。意外だったと言わざるを得ないな」

黙り込んだ保科の前で、臼井が種明かしのように独り言つ。

「そう警戒しないでくれ。別にどうこう言う気はないし、余計な手出しもしないさ。この後は彼女に会って行くのか?」
「………今、俺が会うべきではない。掛ける言葉が見つからない」

言葉通り、何の含みもない調子で問われたので、保科も正直に答えた。

「まあ確かに、お前は傷心中の女の子を口説いてどうにか出来るような器用なタイプじゃなさそうだけどな。でも、一つだけ俺からアドバイスだ」

臼井はそう言って、コートの袖を少しずらし、腕時計をとんと叩きながら続ける。

「もしも会うなら急いだ方がいい。聖蹟は、基本的に後泊はしない」

その言葉に、保科は己の迂闊さを理解した。
試合後、ホテルにもう一泊するか否かはその学校ごとによって異なる。
都内の高校の場合、その日のうちにバスで帰ることもある。
東院は翌朝に帰るのが恒例だったため、その認識が強すぎて、他の可能性を失念していた。

今すぐに会わないと、機会は失われてしまう。

「健闘を祈るよ」

臼井はそう言って微笑み、軽く手を挙げて去って行った。
その後ろ姿を、保科は黙って見送る。
思考回路はショート寸前だった。

どうすればいい。
今彼女に会っても、掛けるべき適切な言葉など見つからない。
迷惑になるだけだ。

だが、それでも、俺は。


「満兄、聖也、すみません。少し用事が出来ました。先に帰っていてもらえますか」

正面入口で待っていた兄たちにそう告げ、訳が分からないという顔をした二人を放ってスタジアムに引き返す。
どこで待っていれば確実か、焦った頭で必死に考えた。
駐車場は複数箇所あって絞り込めないし、所謂集合場所になりそうな広場もたくさんある。
何よりこの人混みだ。
いくら聖蹟が分かりやすい色のジャージを着た集団とはいえ、この広大なスタジアムでは入れ違いになる可能性も高い。
もっと大本で捕まえるべきだ。
保科は人の流れを縫うように駆け、メインスタジアムに戻った。
些か卑怯な手ではあるが、選手用出入口の前が最も確実だろう。
もう手段を選んではいられない。
走りながらいくら考えても適切な言葉は見つからないし、そもそも彼女が自分のことを覚えているかどうかも分からない。
だがそれでも、会いたかった。
あの、手足が汚れることも気に留めず芝の上に泣き崩れた姿を、最後には出来ない。
この状況で連絡先が知りたいなどと言うのは不適切だろうし、断られるかもしれないが、せめて最後にもう一度、彼女の顔を近くで見たい。
その声を聞いて、言葉を交わしたい。

だって、こんなにも、彼女のことが好きだ。

恋とは随分と押し付けがましいのだと、保科は知った。
彼女のために動けない。
彼女を想っているのに、保科は自分の欲に従って動くのだ。
そしてそれを理性で止められない。
会いたいと、ただ一つの欲求だけが保科の足を動かしている。

そして。

「ーーーっ」

奇跡のような瞬間。
サイドスタンドの入口付近にある水道で、タオルを水に濡らす彼女を見つけた。
周囲に聖蹟の部員たちはいない。
恐らくは一人になりたくて、わざわざ外に出たのだろう。
保科は足を止めて呼吸を整えながら、彼女の姿を見つめた。
その距離はおよそ六、七メートル。
彼女は先程までと同様、制服の上にジャージを羽織った格好だった。
水に濡らしたタオルを絞り、小さく畳んで目元に当てる。
涙の跡を消したいのだろうか。
タオルを抑えて俯く姿に、保科の胸がまた痛んだ。
余計なお世話だ、分かっている。
それでもこれ以上彼女を一人にしておけなくて、保科は衝動的に足を前に踏み出した。



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