[17]勇姿
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年が明ければ、正月休みを一日挟んで、また試合が始まる。
二日に行われた二回戦でも、聖蹟は勝利を収めた。
初戦での安定したプレーから一転、トリッキーな戦法が見事に嵌って相手チームを翻弄。
今大会のダークホースと呼ばれていた勢いのあるチームを相手に、四対一で圧勝した。
キャプテンである大柴がFWとしてもDFとしても機能するのは、チームの強みだろう。
それだけで戦略の幅が広がり、相手に攻略されづらくなる。
今回の斬新な戦法は、彼女の考案だろうか。
相変わらず面白いことを考えるものだと、保科は感心した。

その後も、三回戦四回戦と、聖蹟は快進撃を続ける。
危うい場面も何度かあったが、チームはその都度即座に立て直しを図り、盤石の体制を見せ付けた。
安定した地盤と柱、その上に成り立つ怒涛の攻撃と、不意打ちのトリッキーな小技。
選手それぞれの持ち味を存分に活かした、見事な采配だった。
常識に囚われない戦法は、ある意味彼女の真骨頂だろう。
彼女には、サッカーとはこういうものだという固定概念がない。
サッカー歴が長ければ長いほど、どうしてもその枠に囚われがちになるものだが、素人の彼女はその枠を容易く超えていく。
俯瞰している観客の意表すらも突く聖蹟のプレーは、観ていて小気味好かった。
きっと彼女も、手応えを感じているのだろう。
試合中、君下とハンドサインでやり取りをする姿を見た時、保科は驚いた。
先に君下が手の動きで何かを発信し、彼女がそれに応えるという形だったが、それは間違いなく、彼女が試合中の選手に対し何らかの意思表示をした証拠だ。
一年前は自らの意見を押し通すことなど出来なかった彼女の変化は本人の自信によるものなのか、それともチームメイトからの信頼なのか。
ゴールを決めた選手が必ずベンチに向けて何らかのアクションを起こすあたり、後者なのかもしれない。
彼女はこの一年で、より一層、チームへの影響力を強めたのだ。
保科は彼女をファクターと称したが、今となってはむしろ、モチベーションと言うべきだろうか。
彼女がそれをどこまで意図したのかは別としても、間違いなく、彼女の存在は今の聖蹟を支えたのだろう。
彼らの姿は保科の目に、眩しいものとして映った。

試合会場を埼玉へと移しても、聖蹟の勢いは止まらない。
準決勝で優勝候補のチームを見事打ち破り、聖蹟史上初、決勝戦へと駒を進めた。
最後の対戦校は、聖蹟にとっては因縁の相手と言えるだろう、桜木高校だ。
昨年のインターハイと選手権、そして今年のインターハイでもまた、聖蹟は桜高に敗れている。
つまり彼女の代が入学してから、聖蹟は一度も桜高に勝てていないことになる。
その影響か、下馬評では桜高が圧倒的に有利と言われていた。
桜高は聖蹟の天敵だ、と。

昨年、彼女と共に観戦したことを思い出しながら、保科は決勝戦のキックオフを待っていた。
初の全国大会決勝、相手は桜高。
遠目に見ても、ピッチ上の聖蹟メンバーは緊張している様子が窺えた。
無理もないだろう。
三連敗もすればいくら練習を重ね自信を付けて自らを鼓舞しようとも、勝てない相手、と無意識に認識してしまうことは避けがたい。
ベンチにいる彼女の表情も、準決勝までと比べて明らかに硬かった。

「……頑張れ、」

口の中で、小さく呟く。
無責任な応援だと分かっていた。
それでも、願わずにはいられない。
どうか勝ってくれ。
どうか彼女に、頂点の景色を見せてあげてくれ、と。

十四時、キックオフ。
ホイッスルが鳴り響き、聖蹟ボールで試合は始まった。

スコアブックとペンと、ストップウォッチ。
いつもの三点セットを手に、彼女の視線は忙しなく選手たちを追っている。
両チームとも先手必勝を軸とした戦法のようで、序盤から果敢に攻め合った。
選手たちが激しくぶつかり合い、開始数分でイエローカードが一枚ずつ。
これが最後の試合なのだ。
後先など考えるはずもない。
見事なセットプレーから、かなり強引なものまで、シュートを打ち合うこと数本ずつ。
先制点を挙げたのは、桜高だった。
前半十七分、一年生とは思えない圧倒的なスキルの持ち主である桜高のFWによる、ダイナミックなシュート。
彼女は僅かに顔を顰めただけだったが、聖蹟のベンチは不穏な空気に揺らいだように見えた。
その後も聖蹟は必死の攻撃を続けたが、後一歩のところで競り負け、ここぞというところで決めきれないまま迎えた前半三十八分。
桜高が再び、聖蹟のゴールを割った。
保科は、両膝の上で拳を握り締める。
決して覆せない点差ではないが、流れが悪すぎた。
実力はほぼ互角、勝てない相手ではない。
それなのに、勝てない空気が出来てしまっている。
足取り重くベンチへと戻る聖蹟の選手たちの周囲には、隠しきれない敗戦の気配が漂っていた。

「聖蹟は、準決の時の方が動きが良かったな」
「ああ。これは桜高で決まりかもな」

保科の隣で、満と聖也が言葉を交わす。
恐らく、大方の見方はそうだろう。
保科はじっと、聖蹟のベンチを見つめた。
スコアブックを置いた彼女が、タオルとボトルを纏めて大柴に手渡す。
その仕草は些か乱暴だった。
殆ど突き出すように渡してから、彼女が長身の大柴をぐっと見上げる。
そして、何事かを怒鳴った、ように見えた。
流石にこの距離で、会話の内容までは分からない。
だが、明らかに怒った様子で、彼女は大柴に何かを伝えた。
背後にいるベンチメンバーが、揃って顔を青くしている。
その意外な光景に保科が唖然としていると、不意に、試合中ずっと顰め面だった君下がその表情を崩して吹き出した。
それに反応した大柴が、即座に君下へと食って掛かる。
その様子だけ見れば典型的な仲間割れの絵面だが、そうではないことを保科は知っていた。
あの二人は、喧嘩をしているのが通常運転なのだ。
思い返してみれば、今日は試合中に一度も言い争いをしていなかった。
胸倉を掴み合う大柴と君下の顔の間に、彼女が勢いよくスコアブックを挟み込む。
その途端、聖蹟の選手たちがどっと沸いた。
この状況で、笑ったのだ。

「……いえ、まだ分かりませんよ」

保科はそっと、口角を上げる。
どうやら彼女は、メンタルコントロールの術を熟知しているようだった。

それが功を奏したのか、後半、聖蹟の動きは目に見えて良くなった。
大柴と君下が怒鳴り合いながらも、絶妙なコンビネーションで桜高のゴールを脅かす。
そしてついに後半十二分、聖蹟が一点を返した。
大柴の強烈なシュートがネットを揺らした瞬間、彼女が安堵したように小さく笑う。
そして、ゴールを決めた大柴の大袈裟な決めポーズに、呆れた様子で首を振った。
勢い付いた聖蹟は、その後も猛攻を続ける。
確かに、流れは聖蹟に向いていた。
だが、タイムリミットは刻々と迫っている。
桜高とて、そう簡単にゴールを許しはしない。
このまま桜高が逃げ切るのではないかと思われた、後半四十三分。
柄本のシュートがキーパーに弾かれ、そのこぼれ球を風間が強引に押し込んで、聖蹟が同点に追い付いた。
聖蹟のベンチが沸き立つ。
保科も、ほっと胸を撫で下ろした。
首の皮一枚で繋がった、勝利への可能性。
恐らく、選手たちの誰もが安堵したのだろう。
これで何とか延長戦に持ち込める、と。
その瞬間、聖蹟の選手たちの中で、後半の四十五分が終わったのだ。
気持ちが完全に、その後の延長戦に向いてしまった。
だが桜高にとっては、まだ終わっていなかったのだ。
アディショナルタイムは三分。
安堵して先を見た聖蹟のほんの一瞬の油断を、今その瞬間しか見ていない桜高が、一突き。
後半四十六分、桜高が、三点目を挙げた。
決勝戦の劇的なゴールとしては、それはとても地味なシュートだったのだ。
目を奪われるようなロングシュートでもなければ、華麗なボレーシュートでもない。
人工芝の上を転がった、ゴロ。
しかしそれは、キーパーから最も離れたゴールポストのギリギリを狙った、絶妙なシュートだった。
恐らく選手たちの目には、ゴールに向かって転がっていくボールがまるでスローモーションのようにゆっくりと見えただろう。
だが、誰にも反応は出来なかった。
いつ誰が打ったのかも分からないようなシュートが、ゴールラインを越える。
観客は皆、笛が鳴って初めてゴールに気付いたようだった。
勝敗を決するゴールとは、いつもドラマチックなわけではない。
それでも、たとえどれほど地味でも、不恰好でも、ボールがゴールに入れば、それは六十メートルの超ロングシュートと同じ一点になる。
それが、サッカーだ。
桜高の選手たちが快哉を叫ぶ中、聖蹟の選手たちがピッチに崩れ落ちた。
たとえばこれが強烈なシュートであれば、反射的に、対抗心で向かっていけたのかもしれない。
だが、ゆっくりと転がったボールは、深く重く、聖蹟を叩きのめした。
残り時間は僅か二分弱。
誰もが膝をつき、下を向いてしまっている。
彼女は右手で口元を覆って呆然と立ち尽くし、ボールの転がったゴールを見ていた。
保科の胸が、ぐっと締め付けられる。

そんな顔が見たかったわけではない。
そんな、絶望と悲嘆に染まった顔ではなく、満面の笑みが見たかったのに。

ここまでかと、誰もが思った。その時だった。

「ーー 聖蹟ぃぃぃいいいいいいっっっ!!!」

それは一瞬で、会場中を黙らせる。

「ファイッッッ!!!」

ゴール内に落ちていたボールを拾い上げた大柴が、腹の底から怒鳴った。
静まり返った会場。
呆然と顔を上げた、選手たち。
彼らは見た。
闘志を漲らせて仁王立ちする、堂々たるキャプテンの姿を。
何一つ諦めていない男の姿が、そこにあった。

「「「ーー ォオオオオーーーッッッ!!!」」」

咆哮が上がる。
素早いリスタート。
黒いユニフォームを着た選手たちが、全員敵陣へと上がっていく。
走り続けた九十分強。
それがどれほど苦しいことか、保科は知っている。
だが、大柴の声に気力を取り戻した選手たちの目は、ギラギラと輝いていた。
誰もがたった一つの勝利を目指し、ボールを追って走っていく。
そして、奇跡のような瞬間は訪れた。
君下のパスから風間がドリブルでゴール前に切り込み、敵味方入り乱れての混戦の末、大柴がヘディングでボールを桜高ゴールに叩き込んだのだ。
スコアブックの記入など二の次にして、彼女がガッツポーズを作る。
聖蹟が同点弾を決めた次の瞬間、後半終了のホイッスルが鳴り響いた。



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