我が親友の恋人様へ[2]
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「二年くらいの付き合いだって聞いてるんですけど」
「はい、そのくらいになります」
「凄いですね。ナマエがそんなに長続きするのも初めてで。秋山さんはどんな人徳者なのかと思ってたんですよ」

偽らざる本音だったのだが、秋山はそれを世辞だと思ったらしい。

「人徳者だなんてそんな大袈裟な」

焦ったように、大きな手を振って否定する。

「ナマエさんが、優しいだけですよ」

開いた口が塞がらないとは、こういう時に使うのだろうと思った。
伊鈴が、あのナマエを優しいと評する男に出会ったのは初めてのことだ。
勿論伊鈴は、ナマエが根本的に優しい人間であることを知っている。
自らの命を懸けて人を救おうとする、心優しい子だ。
だがナマエの優しさというのは広範囲に及ぶ博愛的なものであって、欲の絡んだ限定的な話となると急に薄情になるのだ。
それは幼い頃の喪失が原因なのだが、大抵は皆それに気付くことなく、ナマエを冷淡な女だと判じてしまう。
実際、ナマエの恋愛観は酷く淡白だった。
それをこの秋山は、ついに覆してしまったのだ。

「……もしかして、秋山さんって、ナマエのことが凄く好きですか?」

馬鹿みたいに直截的かつ稚拙な問いかけ。
だが、それ以外に言いようがなかったのだ。
だって理由はそれしか考えられない。
ナマエの心を覆う何層もの厚い壁を突き破ることが出来るとすれば、それはもう、諦めることなくノックし続けるしかないのだろうから。

「え、あ……っ、……あの、」

そして伊鈴の想像は、正しかったらしい。
狼狽えた秋山は、目元を赤く染めて視線を逸らした。
その表情が、何よりも明白な答えだろう。
伊鈴は慌てて、答えなくていいと付け足そうとした。
もう充分に理解出来たからだ。
だがそう言う前に、秋山が、視線を外方に向けたまま小さく頷いた。
なんて馬鹿正直な人なのだろうかと、伊鈴は感動すら覚えて秋山を見つめる。
ナマエは秋山のことを、誠実で優しいと評した。
なるほどと納得する以外の道がない。

正直、とても普通の人だと思うのだ。
確かに整った綺麗な顔立ちではあるが、決して、目を瞠るほどの男前ではない。
国防軍の出身だということだからきっと強靭な肉体の持ち主なのだろうが、見た目だけでいえばどこか頼りなく、気が弱そうな印象すら受ける。
どこにでもいそうな、普通の男だ。
ただ一点、あのナマエを心底愛しているらしいということだけが、伊鈴の中で秋山を特別なものにした。
ナマエは秋山のどんなところに惹かれ、絆されたのだろうか。
残念なことにナマエは、優しい男が好き、なんて言う可愛げを備えてはいない。
この男の何が、二十年近く一人を好んだナマエの心を捉えたのだろう。

「なんだか、新鮮です。ナマエの彼氏とちゃんと話す機会なんて、これまで一度もなかったから」

別にナマエは、伊鈴に隠し事をしていたわけではない。
ただ単に、これっぽっちも興味がなかったから、彼氏が出来ても話題にしなかったのだ。
それを知っているからこそ伊鈴は、この状況が楽しくて堪らない。

「すみません、私の好奇心に巻き込んでしまって」

勿論、秋山には困惑しかないだろうけれど。

「いえ、自分も嬉しいです。ナマエさんのご友人に会えたのは、これが初めてですから」

まだ目元に朱を残したまま、秋山が微笑んだ。
きっと本音だろうと、伊鈴は思う。
束縛が強いと聞いていた。
この様子だと秋山は恐らく、ナマエのことであれば一から百まで全てを知りたいはずだ。
当然、交友関係も把握したいのだろう。
つくづく、よくあの自由人と付き合えているものだと感心するしかない。
そしてナマエもよく許している。
伊鈴以上に束縛を疎む子だったのに。

「興味があるなら、昔話でもしましょうか?」

てっきり、即座にイエスが返ってくると思った問い。
しかし伊鈴の予想に反して、秋山は柔らかく苦笑しながらも明確に首を横に振った。

「いえ、それはまたの機会に是非。ナマエさんのいないところで聞くのは、憚られます」

ああ、と伊鈴は思う。
ナマエが秋山に惹かれた理由がいくつかあると仮定して、一つは間違いなくこれだろう。
いつか聞いたナマエの言葉通りだった。
この男はとても誠実なのだ。
自分から聞いたわけではないのに、伊鈴が勝手に喋ることすら許さなかった。
きっと本心では、知りたかっただろう。
でもその欲求を抑えてまで、ナマエに対して誠実であろうとした。

「じゃあ今度、三人で飲みに行きましょう。あ、でもそれって、私がお邪魔なだけかな」
「とんでもない。いつか是非」

紳士的に、秋山が微笑む。
本音なのか社交辞令なのか、判別しきれなかった。
真正直かと思えば、こういう巧みなところもあるらしい。
ナマエに似たのだろうか、なんて、馬鹿馬鹿しいことを考えた。
ただ、掴みにくい人だとは思った。
もう少し照れて焦る様子が見たい気もするし、逆に、酷いことを言って本性を暴きたいような気もする。
この柔和な表情の奥に何を隠しているのか、気にならないとは言えなかった。
ナマエだっていい大人なのだから、相手は自分で選ぶし責任も自分で取る。
それは伊鈴だって同じで、別に、互いに相手の恋人に口を出したりはしないけれど。
ナマエが珍しくも認めた恋人を、試してみたくなるのだ。
こういうところが、ナマエ曰く"いい性格"なのだろう。

「あの子、奔放だから大変じゃないですか?」

後でナマエに怒られたら、その時はその時だ。

「恋愛事になると、いっつもいい加減なんだから」

決してナマエに対する暴言ではないと分かるように、伊鈴は呆れたような苦笑を浮かべて、その上で秋山を煽ってみた。
独占欲の強い男ならば、これだけで深読み出来るはずだ。
さて何と返してくるだろうかと、伊鈴はサンドイッチの最後の一口を咀嚼しながら秋山の反応を待った。
先程の誠実さを捨て、詳細を聞こうとするだろうか。
それとも、不快感に口を噤むだろうか。
はたまた、そんな女ではないと反論してくるだろうか。
しかし結論から言えば、秋山はそのどれをも選ばなかった。

「大変なんてことはないですよ。恋愛よりも大事な矜持を持ったナマエさんのことを、好きになりましたから」

柔らかな笑みと共に告げられた言葉に、伊鈴が目を瞬かせた、その時だ。
ガラスが割れる音と女性の悲鳴が、店内を切り裂いた。




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