いつか、君に会える日まで[2]
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屯所の敷地内ににある道場の裏で秋山の姿を見つけたナマエはタンマツで弁財にその旨を連絡し、ゆっくりと少年に歩み寄った。

「あき、………氷杜、」

秋山がストレインの異能を受けて以来初めての呼びかけは、何ともぎこちない。
流石に九歳の少年を、大人がいきなり名字で呼び捨てるのはどうかと思い留まった結果だった。
道場の壁に背中を預けてしゃがみ込んでいた少年が、緩慢な所作で顔を上げる。
そこに迷子特有の不安げな表情を見て取り、ナマエは思わず笑い出しそうになった。
勝手にいなくなって勝手に迷う、秋山はそんな子どもらしい子どもだったのだ。
別に、二十六歳の秋山に可愛げがないわけではない。
むしろナマエは秋山のことを健気で可愛らしい男だと思っている。
だがそれは基本的にナマエの前だけであり、普段の秋山は至って真面目で優秀な男だ。
たまに天然の要素を垣間見せることはあるものの、職務中の隙のなさといったら特務隊でも随一だろう。
そんな男にも向こう見ずな幼少期があったのかと思うと、妙に微笑ましい気分だった。

「隣、いい?」

警戒させないよう断りを入れてから近寄れば、秋山がこくりと小さく頷く。
この頃から前髪は長かったのだな、とどうでもいい所感を抱きながら、ナマエは秋山の隣に腰を下ろして地面に直接座り込んだ。

さて、見つけたはいいが果たしてこれをどうしたものだろうか。

生憎とナマエに年下の兄弟はおらず、年齢の近い親戚もおらず、当然子育ての経験もなかった。
つまるところ、九歳児の扱い方が残念ながら人並み以下に理解出来ていない。
だから物言いたげな視線を黙殺してまで秋山の世話を弁財に押し付けたというのに、これでは本末転倒だった。
恐らくまた加茂辺りが用意したであろうシャツとハーフパンツを身に纏った、このそこそこ育ちの良さそうな少年には、一体どんな話題が通用するのだろうか。
壁に頭を預けて思わず天を仰いだナマエは不意に、その壁が道場の壁であることを思い出した。
いつか交わした会話の記憶が蘇る。

「ここ、道場なんだよ。剣道、したことある?」

確か秋山が剣道を始めたのは、小学生の頃ではなかっただろうか。

「……前に、やってました」

しかし返って来たのは、何とも中途半端な答えだった。

「やめたの?」
「……おじいちゃんが、死んだから」

普通に考えれば、頓珍漢な回答である。
しかしナマエの記憶力はそれなりに優秀であり、その意味を正しく理解するだけの情報を有していた。
秋山が剣道を始めたのは、祖父の影響だったと聞いている。
つまり師である祖父が亡くなってしまったから、秋山は剣道をやめたのだろう。

「そっか。もうやりたくない?」
「……そういう、わけじゃないけど。教えてくれる人も、いないから」

なるほど、秋山の祖父は文字通り自らが師となって孫に剣道の稽古をつけていたらしい。
どこかの道場に通っていたというわけではないようだ。

「おいで」

ナマエは躊躇わなかった。
立ち上がり、秋山が付いて来るかも確認せずにその場を離れる。
道場の扉を開いたところで、駆け寄って来る小さな足音が聞こえた。
ナマエは倉庫から竹刀を二本引っ張り出し、片方を秋山に手渡す。

「長すぎる?」

流石に小学生用は置いていないのだが、秋山が首を左右に振ったので良しとした。
制服の上着を脱ぎ、道場の隅に放る。

「じゃあ、いつでもどうぞ」

そう言ってナマエが竹刀を構えると、秋山はぽかんと口を開けた。

「……ああ、ごめん」

普段秋山の稽古に付き合う時と全く同じ誘い方をしてしまったことに気付き、ナマエは苦笑する。

「教えるなんて偉そうなこと言ったけど本当はね、剣道、習ったことないんだ。でも、棒切れ一本で戦う方法は知ってる。だから、あんま難しいこと考えないで、ちゃんばらごっこだと思ってさ」

そう言って改めて竹刀を構えると、秋山もまた腰を落とした。
なるほど確かに、正しい稽古を受けたことのある者の構え方である。
九歳児とは思えぬほど様になったその姿に、ナマエは目を細めた。
とん、と床を蹴って向かって来る少年の竹刀を、ナマエは必要最小限の動きで受け止める。
それはいつものように避けなければ負けるような力強いものではなかったが、とても真っ直ぐな剣だった。
決して、餓鬼のちゃんばらごっこで片付けてしまえるようなものではない。
どのくらいの月日、祖父に稽古を付けてもらっていたのかは分からないが、この少年が大層真面目に励んでいたことは疑いようもなかった。
本気で戦って快勝しても意味はない。
かといって、わざと負けてはもっと意味がない。
ならば言葉では伝えられないことを、剣で伝えるしかないのだろう。
狙うべき隙、足の運び方、重心の位置。
正しい剣道を知らないナマエが小手先と呼んでいる、決して正統派ではないが戦うための術を、随所に散りばめて見せていく。
案の定秋山はとても学習能力の高い子どもで、乾いたスポンジのごとくそれらを吸収していった。
たった数分であっという間に技術が向上するのだから、子どもという生き物は恐ろしい。
流石に息切れなんてしたらみっともないと、ナマエは切りの良いところで秋山の肩を竹刀で軽く叩いた。
悔しそうに表情を歪めた秋山が、しかしその瞳を爛々と輝かせてナマエを見上げてくる。
ナマエは苦笑し、少年の豊かな髪をくしゃりと撫でた。
感触が、今の秋山のそれよりも柔らかい。

「あと一回だけね。せっかく立派な師に教わったんだ、それを崩すのはもったいないよ」

ナマエがそう言うと、秋山は大きな瞳を目一杯に見開いてから、やがて泣き出しそうな笑みを浮かべて頷いた。

きっとこの少年は、祖父の死を乗り越えるだろう。
そしてきっと親を説得して再び剣の道を歩むのだろう。
その道がやがて国防軍に、そしてセプター4へと繋がるのだ。
無辜の民を、仲間を守るための剣はここから生まれた。
この少年がやがて大人になり、重ねた努力に相応しい強さを得て、ナマエの前に立つ日が来る。
今はまだ小さなこの手にいつか守られる日が来ることを、ナマエは知っていた。


その後弁財の迎えが来て、秋山少年は申し訳なさそうに、迷惑をかけたことを詫びた。
外を駆け回って秋山を探していた弁財は、道場で体を動かしていたナマエ以上に汗だくだったが、俯く秋山の姿に苦笑し、その髪を柔らかく撫でるだけで他には何も言わなかった。

「ありがとう、ございました」

竹刀を返しながら礼を言われ、ナマエは一つ頷いてそれを受け取る。

「……また、勝負してくれますか?」

無垢な瞳に見上げられ、ナマエは微笑んだ。

「うん、いつかまた」

この約束が叶うのは、二十年近く後のことである。
そうと知らない少年は嬉しそうに笑い、弁財と手を繋いで寮へと戻って行った。
その小さな背中を、ナマエは黙って見送る。


「………待ってるよ、秋山」




いつか、君に会える日まで
- だからゆっくり歩んでおいで -





あとがき

香那様へ
この度は、80万打のリクエストに拙宅のヘタレシリーズをお選び頂き、ありがとうございました。既存の作品から選んで頂けるということは、それだけお気に召して頂けているということなのかな、と勝手に解釈して勝手に喜んでおります。
そしてリクエスト内容もまた、なんとも美味しくて。幼児化の秋山バージョン、楽しく書かせて頂きました。立場が逆転するとこうも甘さ控えめになるのか、と自分でも驚きましたが(笑)。あまり夢小説らしくないものになってしまって申し訳ありません。こんなものでも、お楽しみ頂ければ幸いです。
素敵なリクエストをありがとうございました。




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