わがままロマンス[2]
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「職業斡旋のね、紹介文」

パソコンに向き直ったナマエが、そう言って再びキーボードに指を走らせる。
セプター4は業務の一貫として、ストレインに職業を斡旋していた。
特殊な力を持つ者は時として集団から疎まれる。
自らとは異なる者に対する本能的な恐怖、正確な情報が足りないことによる誤解、そういったものに晒されるストレインを保護し導くことも務めの一つだ。

「もうすぐ終わるから」

秋山が背後からナマエの頭に頬を擦り寄せて甘えると、ナマエが左手を持ち上げて秋山の髪を掻き混ぜた。
その手を取って、指先に唇を寄せる。
右手一本で器用にブラインドタッチを続けるナマエの横顔が苦笑に緩んだ。
秋山はナマエの左手にキスをしたり指先を撫でたりと、好き勝手に弄くり回す。
飼い主の気を引きたい犬のようだと自らに呆れながらも、怒られないのをいいことにナマエの邪魔をした。
こんなことが許されるのは、秋山だけだ。
秋山のそれよりも細い指。
それでも戦う者の手らしく、関節部分は少し頑丈になっている。
短く切り揃えられた爪と、血管の透けた甲。
隅々まで唇で啄ばみ、それだけでは足りなくなると中手骨に沿って舌を這わせた。
されるがままだったナマエの手が微かに揺れる。
秋山がもう一度手首側から舐め上げようとすると、その手は秋山の拘束から逃げ出した。
秋山が骨を取り上げられてくぅんと鳴いても、ナマエは知らん顔だ。

「ナマエさん」

秋山はめげずに背後から覆い被さると、ナマエの頬に手を添えた。
顎や頬骨のラインに指を滑らせ、摘めそうで摘めない薄っすらとした肉を指の間に挟む。
ふにふにとその感触で遊んでいると、不意に小指の先を生温かい何かが掠めた。
一拍遅れてそれがナマエの舌であることに気付く。
驚き固まった秋山を他所に、ナマエは再び舌を伸ばして秋山の小指をぺろりと舐めた。
軽快な手付きで文字を打ち込み、その視線は画面に固定したまま、舌先だけが秋山の悪戯に応えんと淫靡に蠢く。
誘われるがまま秋山が指をナマエの唇に近付けると、ナマエはまるで口淫を連想させるような動きで秋山の小指を銜え込んだ。
カチカチという断続的なタイピング音と、唾液の絡まる粘着質な水音が同時に鼓膜を揺らす。
秋山が倒錯的な状況に気を取られている間に、ナマエは薬指も纏めて咥内に招き入れていた。
二本の指を唇で挟み込み、舌先で爪の根元や皮膚との境目をちろちろと擽る。
薬指と小指の間を根元から先端に向かってゆっくりと舐め上げられ、秋山は身体を震わせた。
悪戯を仕掛けていたのは秋山だったはずなのに、いつの間にか主導権は完全にナマエのものだ。
画面上に紡がれていく真摯な言葉とは裏腹に、舌の動きはどこまでも淫猥で艶めかしい。
秋山は重くなる下肢を自覚し、ナマエと自らの間を阻む椅子の背をもどかしく感じた。

「ナマエさん……」

耳元に唇を寄せて吐き出した吐息交じりの名前は、すでに明らかな熱を帯びている。
ナマエもそれに気付いたのだろう。
横顔が薄っすらと笑った。
しかしその視線は相変わらず画面から逸らされることなく、当然秋山を見もしない。
キーボードを弾く指先の動きも、全くぶれることはない。
その気にさせるだけさせておいてこの仕打ちかと、秋山は頬の内側を噛んだ。
秋山の忍耐力を試して遊んでいるのだとしたら、生憎期待には応えられそうにない。
なにせ、昨夜も我慢したのだから秋山はそろそろ限界だった。
ほぼ毎夜を共に過ごすようになって、しかしながら、だからと言って夜毎に必ず抱かせて貰っているわけではない。
無論秋山としてはそうしたいが、その願望のままナマエに身体を酷使させるわけにもいかないのだということは流石に理解していた。
だからこそ、二人同じベッドに寝転び、ただ互いの体温を衣服越しに感じながら眠る夜もある。
昨夜がまさにそうだった。
それは酷く穏やかで優しい、幸せな眠りである。
だが同時に、秋山にとっては我慢の夜でもあるわけだった。
つまり何が言いたいのかと言うと、今夜はしたい。

「……ね、ナマエさん……はやく、」

耳殻に舌を這わせ、みっともなく乞うた。
ナマエを相手にする時は正攻法が最も効果的だと気付いたのは、いつの頃だっただろうか。
耳の穴に尖らせた舌先を捩じ込むと、指の関節を噛まれた。
力一杯というほどでもないが、甘噛みにしては強い圧力。
痺れた一部分を今度は慰めるように舐められ、秋山は喉の奥で呻いた。
これ以上は不味いと、ナマエの口から指を取り返す。
ナマエの唾液で濡れた指先を目にし、腰の奥が泡立った。

「はいはい、もうすぐだからちょっと待ちなさい」

あくまでも仕事を優先させるナマエに焦れて、秋山は鼻先をナマエの首筋に押し付ける。
奔放に見えて実は職務に忠実なこの人が好きだった。
だが同時に、秋山が何をしても崩せないその理性に悔しさを覚える。
逆の立場ならーーそもそも秋山がナマエと共にいて他事を優先するなどあり得ないのだがーー、絶対に、秋山はその誘惑に逆らえないというのに。
例え持ち帰った仕事を片付けている最中でも、ナマエに誘われれば即座に乗ることは分かりきっている。
生憎ナマエは秋山の誘いを難なく躱し、真面目くさった文言を書き連ねていった。
待てを命じられた秋山はそれに従いながらも、不服を申し立てるべくナマエの首筋に顔を擦り付ける。
薄いシャツの上から肩口を食み、両腕をナマエの脇の下から前に回して椅子の背ごと痩身を抱き締めた。
擽ったそうに喉を鳴らしただけで、ナマエは尚もキーボードを叩き続ける。
秋山は尖らせた唇で首筋にキスを落としながら、ナマエのシャツの裾から手を忍び込ませた。
シャツの内側に入り込んだ手で、鍛えられ引き締まった腹部を撫でる。

「こら、秋山」

ナマエにそう窘められたが、その声音から険を感じ取ることはなかったので、秋山は聞こえないふりをして不埒な手をさらに侵入させた。
肋骨の凹凸をなぞり、下着の縁を爪で引っ掻く。
出来た隙間から指を差し込んで胸に直接触れると、その瞬間まで途絶えることなく響いていたタイピング音が急に止まった。
そして短く、だが勢い良く吐き出される溜息。

「分かった分かった、降参」

キーボードから指を離したナマエが、後ろに回した手を秋山の頬に添えた。
同時に首を捻ったナマエを覗き込むような姿勢で秋山も顔を傾け、唇を合わせる。

「後でいくらでも怒られますから」

秋山が情けなくそう囁けば、ナマエはそれを見上げて苦笑した。

「それより怒られない回数に留めてよ」
「………三回?」
「二回」
「…………善処します」

つれないところがないとは言えない。
寂しがる恋人を放ったらかして、平気な顔で大して急ぎでもない仕事をするような、そんな人だ。
でもこうして、結局は甘やかしてくれる。
碌に待てが出来なくても、叱ることなく褒美をくれる。

「あまり期待してないよ、氷杜」

振り返って蠱惑的な笑みを浮かべたナマエに、秋山は椅子をくるりと半回転させるとその身体を正面から抱き締めた。






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- 付け上がるのは、貴女が甘やかすからだ -




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