非淑女同盟[1]
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ナマエは基本的に、自身の発言を後悔することが滅多にない人間だった。
時間にしてみればコンマ何秒という単位だが、その一瞬で相手の言葉からその意味や込められた心情まで限りなく正確に察し、そして必要な返答を適切な単語で過不足なく伝える。
不用意な失言や感情任せの暴言なんて口にすることはまずあり得ないのだから、後に振り返って失敗だったと悔やむことはほぼ皆無と言っても良かった。
そう、基本的には。
だが何事にも例外というものが存在し、それはナマエに、己もあくまで単なる人間であることを教えてくれる。

「ほぉら、さっさと吐きなさいよ」

目の前でニヤニヤと、まるで鬼の首でも取ったかのような笑みを浮かべる友人を見て、ナマエは珍しくも自身の迂闊さを後悔していた。

「秋山って言ったっけ?ねえ、誰それ?」

昼下がり、初夏の陽光が窓から射し込む落ち着いた雰囲気のカフェ。
テーブルに両肘を置き小首を傾げる仕草は恐らく男の視点で言えば小悪魔のような可愛らしさがあるのだろうが、生憎ナマエにしてみればただの悪魔だ。

「他人なんて不特定多数で纏めるアンタが、まさか人の名前を出すなんてねえ?もしかして、同窓会の時に迎えに来てた人?」

これだからこの女は厄介なのだと、一年近く前の出来事を掘り返されたナマエは嘆息した。
愉しそうに目を細めてナマエを見つめてくる、彼女の名は春山伊鈴。
ナマエの、十五年来の親友である。

ナマエと伊鈴の出会いは、中学時代まで遡る。
当時のナマエは両親の離婚が原因で、今以上に他人との関わりを避けようとする子どもだった。
問題は起こさない、不自然なほどクラスメイトを遠ざけるわけでもない。
だが、自ら積極的に発言はしないし、輪に加わることもない。
成績は優秀だし素行も至って真面目だが、著しく積極性に欠けた、あまり目立たない生徒だった。
感情の振り幅が極端に狭く物静かなナマエのことを、大人びていると持て囃す者もいれば気味が悪いと陰口を叩く者もいた。
ナマエにとってみれば両者にさしたる違いはなく、ただ平穏無事に学校生活を送ることさえ出来ればそれで良いと、群れをなすクラスメイトを尻目にいつも教室の片隅で本を読んでいた。
そんなナマエが伊鈴と初めて顔を合わせたのは、入学から一月が経った頃のことだ。
ゴールデンウィーク明けという中途半端な時期に転入生として現れた伊鈴は、ナマエのクラスメイトになった。
大人になった今でも説明のつかないことだが、あの時二人は、互いに相手から同じ匂いを嗅ぎ取ったような気がしたのだ。
伊鈴の転校は、父親の病死が原因だった。
母のいないナマエと、父のいない伊鈴。
二人はまるで磁石のように互いを引き付け合い、あっという間に友情が芽生えた。
片親という共通した境遇がきっかけであったことは間違いない。
だが何よりも、単純に相性が良かったのだ。
物静かだが実は話術に長けた器用なナマエと、普段は賑やかなくせに本当は人一倍寂しがり屋で不器用な伊鈴。
ナマエは自らの周囲に壁を作ることで己を隠し、伊鈴は必要以上に明るく振る舞うことで己を隠した。
傍から見ればその行動は真逆で対照的な性格のように思われたが、実は根本がとても似ていたのだ。

中学高校の六年間を、二人は共に過ごした。
高校生になる頃にはナマエも社会に対する当たり障りのない適合の仕方を学んでいて、多くの友人が出来た。
相変わらず積極性は皆無だったが、人の輪に溶け込み"皆に受け入れられるミョウジナマエ"を演じることに慣れたのだ。
それは決してナマエの全てではなかったが、虚像でもなかった。
その証拠に、高校時代の友人の中には大人になった今でも連絡を取り合っている相手が何人も存在する。
だが卒業後、忙しい中でも時間を捻出して直接会うのは、ただ一人の親友だけだった。


「うるっさいなもう。同僚だよ、同僚」
「絶対嘘」
「ほんとだってば」
「何か隠してるでしょ」
「しつこい」

ナマエは顔を顰め、目の前のレアチーズケーキにフォークを突き刺した。
一方の伊鈴は、自分の注文したフルーツタルトには目もくれずにナマエを注視している。
その視線に根負けし、ナマエは大きく溜息を吐き出し肩を竦めた。

「はいはい。君の想像通りですよ」
「うそ、ほんとに?ほんとに彼氏?!」
「だから煩い」

ナマエは、己の迂闊さに頭を抱えたくなる。
運ばれてきたレアチーズケーキを見た伊鈴の「アンタほんと昔っからケーキといえばそればっかりだよね」という指摘に苦笑し、「そうかもねえ。こないだも秋山と、」と口を滑らせたのが運の尽きだ。
普段、職場の関係者を話題にする際は「部下が」「上司が」としか説明しないナマエが、個人を特定出来る名前を口にした時点で、それはもう彼が特別だと言ったも同然である。

「きた!ついにきたよ!ちょっとアンタ、洗いざらい吐きなさいよ」

案の定物凄い勢いで食い付かれ、ナマエはそれを黙殺してケーキを口に放り込んだ。

「秋山さんでしょ?職場の人?」

滑らかな舌触り。

「年上?年下?やっぱりあの時の人?」

口いっぱいに広がる濃厚な味わい。

「ねえってば、恥ずかしがってないで答えなさいよ」

ーー 台無しだ。

「職場の同僚。年下。顔立ちは多分そこそこ整ってる。あの時迎えに来てた男。以上」

ケーキを機械的に飲み込んだナマエは、全ての質問に簡潔に答えながら紅茶のカップに手を伸ばした。
それは、この話はもう終わりだという合図だったのだが、敢えて空気を読まないことにしたらしい伊鈴がさらに問いを重ねてくる。

「年下?!なに、いくつ?」
「一個下」
「うっわ、珍しい。告白されたの?」
「そりゃそうでしょうよ」

諦めよう、とナマエは思った。
新しい玩具でも見つけたかのような目をした伊鈴を前に、無駄な抵抗をする気力が失せたのだ。
そもそも、別に本気で隠したいわけではない。

「で?で?どんな子?」
「どんなって、普通だけど」
「その普通を聞いてんの」
「……誠実で、優しい子だよ」

何とも居た堪れない思いで当たり障りのない言葉を返せば、伊鈴が目を丸くした。
ぽかんと開けられた口が、やがてはくはくと蠢く。

「君が聞いたんでしょうが」
「……だって、」
「だって?」
「……だって、ナマエがほんとに、誰かを好きになったんだなあって」

友人の恋愛事情を面白がる声音が不意に柔らかく綻び、まるで我が子の成長を喜ぶような優しさを滲ませた。
唐突な変化に口を噤んだナマエを置き去りに、伊鈴が喜悦を湛えて頬を緩める。

「嬉しいね。アンタが彼氏の話をしてくれるのなんて、卒業以来初めてだ」

本当に、この親友は厄介な女だった。




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