ごめんねが言えなかったことを[3]
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「秋山君に対して、罪悪感がありますか?」
「あってもなくても一緒ですよ」

早々に一本目の煙草を吸い切った宗像が、二本目に火を灯す。
ナマエはまだ長さの残る煙草を指先で遊ばせながら、手短に答えた。

「こんなことをしても、ですか?」

ふと、遮られるナイトランプの光。
目の前に影が落ちた次の瞬間には、唇に煙草ではなく宗像の唇が触れていた。
一瞬だけ重なって、すぐさま離れていった他人の体温。
不意打ちを食らったナマエは、視線だけでその唇を追いながら苦笑した。

「想定の範囲内、ですかねえ」
「ほう」
「言ったはずですよ、室長。私は、貴方の部下としてならば何でもする、と」

天才的な頭脳の持ち主である宗像にも、恐らくナマエの感覚は理解出来ないだろう。
一般的な見方をすれば、今ナマエがしていることは単なる浮気だった。
ナマエ自身、そう思われても仕方がないと納得している。
だが、ナマエにその気は全くないのだ。
青の王の臣下として、必要とされる仕事をこなしているだけである。
宗像がナマエに何を求めているのか、考えられる可能性は二つほどあったが、ナマエはまだどちらが正しいのか見極められてはいなかった。
まず思い至ったのは、第二案のための手回しだ。
伏見の離反を内外に明確かつ徹底的に示すため、敢えてこれまで伏見が担っていた宗像の私兵というポジションにナマエを立たせること。
そしてそれを強調すること。
さらに、現時点で特務隊の筆頭である秋山に、宗像への不信感を抱かせ、実質的な意味での室長という肩書きに翳りを生み出すこと。
そういった、戦略上の小細工という役割が一つ。
もう一つは、宗像礼司個人の感情によるものではないか、という想像だ。
そこに恋愛という世俗的な意味合いが含まれるか否かは別としても、ナマエは宗像から寄せられる好意が存在することを随分と前から知っている。
様々な肩書きを取り払ってしまえば、宗像も一人の人間だ。
大規模作戦の最後に惨敗すれば、多少なりとも挫折や動揺を味わうのかもしれない。
そんな時に好いた相手からの慰撫や助力を求めたとしても、人間として何らおかしくはないだろう。
果たして正解はどちらなのか、実際のところ、ナマエにとって両者に然程の差はなかった。
正直に言ってしまえば、宗像の真意がどちらにあったとしても、はたまた全く別の思惑があったとしても構わない。
作戦遂行上必要な駒として利用されていようが、精神安定剤として求められていようが、取るべき行動は同じだった。
宗像が再びサーベルを掲げ、大義を貫くために。
ナマエは、私兵と言う名の万屋に徹するだけである。
そこに、罪悪感の有無は関係なかった。

「秋山君も、君が相手では苦労しますね」

随分と悪質な冗句に、ナマエは目を細める。
だが生憎と、反論は持ち合わせていなかった。
全くもって、その通りである。

「これで別れたら、室長のせいにしていいんですかねえ」

秋山はナマエとは異なり、極めて一般的な感覚の持ち主だ。
ナマエが今日宗像と何をしたのか知ったら、裏切られたと思うのかもしれない。

「ふふ、思ってもないことを言うのですね」

そう、それでも、だ。
それでもナマエは、秋山が手を離さずにいてくれることを知っていた。
傷付くだろう、嫉妬するだろう、もしかしたら激昂するのかもしれない。
普通に考えれば、詰られ見放されたっておかしくはないのだ。
だが秋山はきっと、泣いて怒って責めて、最後にナマエを許してくれるだろう。
つくづく自分には勿体無い相手だと、ナマエは頬を緩めた。

「貴方の勝利を手土産にして謝りに行きますよ」

宗像とナマエ、共犯者たちによる反撃の狼煙はもう上がってしまった。
今更、後に引くことは敵わない。

「……ええ、そうして下さい」

宗像が美しく微笑んだ。
この人はもう大丈夫だと、ナマエは確信する。
剣が一度折れようとも、この人はまだ、戦うのだ。
ならば最後まで供をするのが、部下の役目だろう。

「その時は一緒に謝りましょうか?」
「余計に拗れるのでやめてくれませんかねえ」
「冗談ですよ」
「もう少しユニークな内容でお願いします」

言葉とは裏腹に、ナマエは笑った。
宗像もまた、ふふ、と空気を揺らす。
まったく、奇妙な関係性だった。
結局のところナマエは、この男のことが嫌いではないのだろう。
だからこそ、少しばかり厄介な仕事を引き受けられるのだ。
ナマエは吸い切った煙草を灰皿に押し付け、火種を潰した。
宗像の雑談にはもう充分に付き合ったと判断し、再びベッドに身体を沈ませる。
同様に寝転んだ宗像が、徐に口を開いた。

「恐らく、伏見君は拘留中の平坂道反を利用するでしょう。見逃してあげて下さい」
「分かっています」

共に天井を見上げたまま、今後の展開を確認し合う。

「それと、君に頼みが一つあります」
「善条さんですか」
「ふふ、これは失敬。君にはわざわざ言う必要もありませんでしたね」
「特務隊の所属にすればいいんですね?」

ええ、と宗像が頷いた。
庶務課からの異動を頑なに拒んでいた善条をどう説得したものか、ナマエは予想通りの指示に嘆息する。

「まあ、近日中に何とかしてみせますよ」
「はい、よろしくお願いします」

王様とは、つくづく厄介だった。
自らを殺させるための存在を用意しろと、笑って部下に命じるのだから悪辣も大概だ。

「他に、何かありますか」
「いいえ、今はこれだけです。伏見君のサポートについては、私が口を出す必要もないでしょう。君ならば上手くやってくれると信じていますよ」
「……そりゃあどうも」

柔らかな声音を子守唄代わりに、ナマエは瞼を下ろした。
顔に掛かった髪を、無造作に手で払い除ける。
その際、手首に巻いた腕時計が頬を掠めた。

あきやま。

口の中で、その名を呼ぶ。
瞼の裏に恋人の控えめな笑みが浮かんだ。
今はまだ、謝らない。謝れない。
それでも全てが終わった後、まだ秋山の隣にナマエの帰る場所があるならば、その時は言葉を惜しまないようにしようと思った。


翌朝、未だ眠り続ける宗像を残し、ナマエは先にベッドから抜け出した。
上着を羽織り、染み付いた煙草の匂いに顔を顰めながら部屋を後にする。
そこで秋山と対面したのは、全くの偶然だった。
時宜を得ないのは秋山か、それともナマエの方か。
その手に提げられたコンビニのビニール袋を見て、ナマエは思った。

今すぐに、ごめんと言えればいいのに。

生憎と、その謝罪が唇から零れることはなかった。
自分の方が傷付いたような顔をしてナマエを傷付けようとした秋山に、掛けられる言葉は何もない。
それでも胸憶では、何度も「氷杜」と呼んでいた。

少しでもそれが伝わっていればいいと、身勝手に願う。





ごめんねが言えなかったことを
- 責めて恨んで、いつか赦してね -




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