届かない想い[2]
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人員輸送車から降りた秋山の視界に映ったのは、消火作業の進むほぼ全壊した建物を離れた位置から眺めるナマエの、小さな後ろ姿だった。

清宿で起きたストレインによる暴行事件への対応を終えた秋山に齎されたのは、木場で立て篭り事件が発生し、ナマエが現場に赴いたが未だ犯人が確保されていないという一報。
秋山と、共に事件の対応に当たっていた布施は、現場の後始末を部下達に任せて急いで木場に向け緊急車両を飛ばした。
ナマエが苦戦するほどの相手となれば、相当な手練れだろうか。
ナマエの身を案じながら法定速度を完全に無視して車を運転していた秋山は、屯所で全体指揮を執る淡島に詳細を確認していくうちに、どうやら想像している事件とは全く異なる事態であるらしいということを知った。
曰く、ナマエが現着する前に内部で大爆発が起き、建物は半壊もしくは全壊、大火災に繋がったというのだ。
爆発の原因は未だ特定されていないが、犯人が建物に篭ったまま自爆したならば、鎮火するまで確保も何もないだろう。
消防隊による消火活動が終わるまでは手出し出来ないかもしれないと淡島に言われながらも、秋山は一先ず現場へと急行した。
封鎖線を抜けて現場付近に車を駐めれば、なるほど確かに瓦礫の山と化した建物の消火活動が行われている。

「こりゃ酷いな……」

助手席で、布施が呻くように呟いた。
正しくその通りで、恐らく火の勢いは大分弱まったのだろうが、かなり激しい火災であったことが見て取れる。
秋山は、視界の中に消防隊の邪魔にならない距離を保って建物を眺めるナマエの後ろ姿を見つけ、急いで車両から降りた。

「秋山、」

しかし、ナマエに駆け寄ろうとしたところで不意に背後から名を呼ばれ、秋山は振り返る。
そこには、険しい表情を浮かべた弁財がいた。

「お前も来ていたのか。……どうした?」

弁財の只事ではない雰囲気に呑まれ、秋山は声を潜める。
秋山の隣に並んだ弁財が、頭の中で何かを整理するように暫く黙り込んでから、徐に口を開いた。

「………一般人の男性が一人、巻き込まれて亡くなった」
「……え?」
「ここは工具店だったんだ。そこの店主が、火事で。一酸化炭素による中毒死だったみたいだ」

秋山は言葉を失くし、散水にも負けじと燃え上がる炎を見つめる。
熱気と湿気が、肌に纏わり付くようだった。

「建物の中からその男性を助け出したのは、ミョウジさんだったそうだ。だが、脱出した時にはもう手遅れだった」

秋山は、熱い塊を胃の中に押し込まれたかのような感覚に息を詰め、呆然とナマエの後ろ姿に視線を動かす。
よくよく見れば、遠くからでも分かるほどにその青い制服は煤で汚れていた。

「ミョウジさんが現着した時にはもう大火災になった後で、現場にいた隊員に話を聞く限り、その時点でもう既に手の出しようがなかったらしい。だが、」

弁財はそれ以上、何も言わなかった。
だが秋山は、皆まで言われずとも理解した。
ミョウジナマエという人は、淡白で飄々としていて、物事に執着しないように見える。
実際、その印象が間違っているわけではない。
だがナマエの、人の命を尊ぶ心が本物であることを、庇護すべき対象を守るためならば何だってすることを、秋山は知っていた。
そしてそれが叶わなかった時、状況のせいにして仕方なかったと自らを救わないことも、分かっていた。

秋山は黙って、汚れた小さな背中を見つめる。
恐らく、シールドを展開して無理矢理炎の中に飛び込んだのだろう。
そして件の男を背負い、文字通り自らの命を懸けて、セプター4の隊員が守るべきものを守ろうとしたのだ。
あの華奢な身体に命を背負って、救おうとしたのだ。

秋山は一度深く息を吐き出してから、ゆっくりと歩き出した。
真っ直ぐ、ナマエの背に向かって歩を進める。
何を言えばいいのか、どう接すればいいのか、答えは何も出ていなかった。
きっとナマエは、慰めも救いも求めてはいないだろう。
もし譴責や糾弾を求めているのだとしても、秋山からそれらを与えることは絶対に出来ない。
まるで何事もなかったかのように話し掛ければそれは無神経で、腫れ物に触れるかのごとく接すればそれはナマエを余計に傷付けるのかもしれない。
だがそれでも、どんな形であったとしても、秋山に今のナマエを独りにするという選択肢は選べなかった。

「………ミョウジさん、」

ナマエの二歩分後ろに立ち、秋山は静かに名前を呼ぶ。
恐らく足音に気付いていたであろうナマエが、ゆっくりと振り返った。
顔色が悪い。
乱れた髪に縁取られた明らかに青白い顔を笑みの形に変えてから、ナマエは口を開いた。

「お疲れ、秋山」
「……お疲れ様、です」

ナマエが唇に薄い微笑を乗せ、再び視線を前に戻す。
煤と、恐らく汗に濡れて草臥れた制服の裾が、弱々しく揺れた。
秋山は両の拳を太腿の横で握り締める。
やはり、と、思った。

ナマエは、笑って見せた。
常と変わらぬ口調で常と変わらぬ台詞を用意した。
たとえば秋山が事情を知らなければ、秋山がナマエの近しい人間でなければ、今のナマエを見て何を感じただろうか。
恐らく、事件の対処でいつもより疲れているのだろう、くらいにしか思わなかったはずだ。
ナマエは見事なまでにいつも通りを演じて見せた。
秋山に、対して。

戦闘組織において、上官とは部下に対して迷いや揺らぎを見せてはいけない立場だ。
上官が不安定な姿を晒せば、それはそのまま周囲に伝染し、組織全体が揺らいでしまう。
だからこそ指揮官は、たとえ負け戦だと感じていても勝つと自信たっぷりに断言して見せるし、たとえ心の内に葛藤や不安があったとしても決してそれを悟らせはしない。
それを今、秋山相手に発揮するナマエは、どういう心境なのだろう。
同僚として、元上官として、弱みを見せなくないのか。
それとも恋人として、甘えたくないのか。
どちらにせよ今この瞬間秋山はナマエにとって、心を曝け出せる相手ではないということだった。
涙が出るならば腕の中で泣いて欲しい、弱音が零れるならば聞かせて欲しい、後悔に震えて八つ当たりをしたいならば全てぶつけて欲しい。
そう願う秋山の心とは裏腹に、ナマエは一人きりで立っていた。

「……ミョウジさん、一度情報車に戻りましょう。そのままでは倒れてしまいます」

結局秋山に許されるのは、身体を気遣うことだけだ。

「まだ、ストレインが、」
「この先の指揮は俺が執ります」

振り返ったナマエにそう宣言すれば、ナマエは微かに目を細め、やがて一つ頷いた。
少なくとも現場を任せられる程度には信頼されているらしいと、秋山は場違いな安心感に息を吐き出す。
頭の中でもう一人の自分が、そんな己を軽蔑した。

「じゃあ、後はよろしく」

まるでいつも通りの口調で秋山に指揮権を委譲したナマエが、僅かに乱れた歩調で秋山の隣をすり抜け、緩慢に歩いて行く。
その後ろ姿を黙って見送りながら、秋山は唇を噛み締めた。

届かない。
あの人の心には、まだ届かない。

愛されていることを知っている。
時に頼りにされていることも、信用されていることも、分かっている。
それでもナマエの核心には、触れられない。
心の奥底に仕舞われた、もしかしたら本人すらその存在を忘れてしまったのかもしれない、鍵の掛かった小さな箱。
その中に収まっているはずの、何一つ壁を纏わない剥き出しの弱さに、秋山は触れたかった。
触れて、優しく両手で掬い上げて、痛みを与えないよう慎重に包み込みたかった。
だが、未だそれは叶わない。
秋山は、己の両手を見下ろした。
大切な人を抱き締めることも慰めることも泣かせてあげることも救うことも出来なかった、無力な手。
叶うならば、いつかこの手でナマエの心を抱き締めたかった。





届かない想い
- 伝えたかった言葉は黙って消えた -




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