ご愛嬌ミステイク
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釈明をさせてほしい。
社会人として、仕事に対し言い訳をするなどみっともないことだが、それでもだ。
正当性など欠片もないことは承知の上で、主張したい。

秋山氷杜は、疲れていたのだ。


緑のクランjungleによる御柱タワー襲撃事件から、一ヶ月が経過した。
特務隊は今、宗像体制となってからのセプター4史上、一、二を争う忙しさに見舞われている。
件の御柱タワー襲撃事件を契機に、それまで地下に潜り姿を現すことのなかったjungleが地上に這い出して来た。
彼らの狙いはどうやらセプター4を混乱、また疲弊させることにあるようで、屯所は前代未聞のサイバー攻撃に晒されている。
そんな屯所から一歩出れば、外ではストレインの大量発生に加えjungleの下位ランカーによる悪戯のような事件が頻発しており、セプター4は二十四時間体制でフル稼働していた。
非番なんて夢のまた夢。
徹夜三日目だの、最後にベッドで寝たのは一週間前だの、一昨日から何も食べていないだの、前回風呂に入ったのがいつだったか思い出せないだの、ブラック企業も真っ青の様相を呈している。
御柱タワーに篭りきりの宗像に代わって実動部隊の指揮を執っている淡島の肌は荒れ、四六時中モニターと睨めっこをしてサイバー攻撃の対処に当たっている伏見の顔は凶悪な犯罪者そのもの、その伏見のサポートに回る榎本は常に半泣き、そんな具合だった。
そして勿論、疲労困憊状態に陥っているのは秋山も例外ではない。

その日、秋山は徹夜四日目だった。
朝からストレインによる事件を三件と、jungleのアプリを使用した事件を七件処理し、鉛のように重い足を引きずって屯所に帰投する。
部下や後輩たちの手前、疲労感を態度に出さぬよう努めてはいたが、内心では流石に睡眠が恋しかった。
秋山は比較的体毛が薄い体質のためみっともない有り様とまではいかないが、顎に手をやれば引っ掛かりが分かる程度には髭も生えてきている。
制服も、最後に着替えたのはいつだったのか咄嗟に思い出せない草臥れようだ。
日頃身嗜みにはそこそこ気を遣う秋山としては、人に会うのも憚られる格好である。
だが生憎と、自室に戻る時間はない。
出動が続いたせいで溜まりに溜まった報告書を、一刻も早く仕上げなければならなかった。
どうせまた、大した時間も空けずにサイレンが鳴り響くのだろう。
秋山は短く嘆息し、疲労やら鬱憤やらを身体の内に押し込めると気を引き締めてから情報処理室の扉を開けた。

「……ああ、秋山か、おかえり」

扉に一番近いデスクでキーボードを叩いていた弁財が、彼にしては緩慢な所作で振り返る。
弁財は、男の秋山から見ても綺麗な顔立ちをしているのだが、今は目の下に出来た隈のせいでそれも台無しだった。
秋山は疲労感の充満した室内をざっと見渡し、上役二人が不在であることに気付く。

「副長と伏見さんは?」
「副長は官邸、伏見さんは御柱タワーだ」
「そうか」

情報処理室には弁財の他に、ナマエと加茂、布施、五島、日高が在席していた。
秋山と弁財の会話に気付いた面々が、作業の手を止めお疲れ様ですと弱々しく声を掛けてくる。
秋山は短く応え、部屋の奥で書類を捲っているナマエに近寄った。
今この場で全体を取り纏めているのは、立場上ナマエということになる。

「ミョウジさん、ただいま戻りました」
「お疲れ。またjungle?」
「はい。例の小型爆弾です」

秋山が最後に対処したのは、最近恒例の手口だった。
可愛らしいマスコットキャラクターの縫いぐるみに見せかけた爆弾を、所定の場所に設置するようアプリ内のミッションとして指示する。
それは然程殺傷力の高い爆弾ではないが、いくら小規模でも都内各地で爆破が続けば大問題だ。
テロだ何だと騒ぐマスコミを抑えるのに、セプター4は大層苦労していた。

「これだから現代っ子は……」

らしくないストレートな悪態を吐く限り、ナマエもまた最近の騒動に辟易しているのは明白だ。
書類から顔を上げたナマエの顔色はお世辞にも良いとは言い難く、弁財以上に濃い隈がくっきりと目の下に刻まれていた。
生気が失われた頬も幾分か痩けている。
秋山は一瞬、立場も状況も忘れてナマエの状態に心を痛めた。
ナマエが元軍人で人より体力に優れているのは理解しているが、それでも一人の女性である。
きちんと食事と睡眠を取り、ゆっくりしてほしい。
出来ることならば今すぐ部屋に無理矢理連れ帰り、甲斐甲斐しく世話を焼きたい。
自分の休息など二の次で、まずはナマエに休んでほしい。
だが生憎と、忘却の彼方に葬り去りたい立場と状況がそれを許さなかった。
御柱タワー襲撃事件後しばらく奔走していた宗像新体制の諸手続きを粗方終えたナマエは今、セプター4の内外を繋ぐ重要なポジションに立っている。
さらには、淡島を筆頭とした実動班と伏見を筆頭とした情報処理班との双方を行き来し、情報共有と調整役も兼ねているのだ。
通常は宗像が行っている、全体を俯瞰して組織の舵取りをするという役割である。
各隊員から上げられる報告の確認、それを元にした膨大なデータの管理と活用、加えてマスコミや世論の動向調査。
ナマエは間違いなく、秋山よりも多忙だった。
ここで掛ける気遣いの言葉など単なる秋山の自己満足でしかなく、ナマエにとっては腹の足しにもならないと知っている。

「報告書を仕上げます」

故に秋山は、せめて仕事の出来る部下でいようと余計なことを口走る前にナマエの側から離れた。
ナマエから三つ離れたデスクの椅子を引き、ノートパソコンの電源を入れながら腰を下ろす。
足から力を抜いた途端、疲労感は弥増した。
履き慣れたブーツの中で、足の裏全体が生温く痛む。
零れそうになる溜息を何とか飲み込み、キーボードでパスワードを打ち込んだ。
モニターの明かりが目に染みる。
日高曰く、現状の忙しさは昨年の河野村事件に匹敵するそうだが、生憎とあの時秋山は痴漢の冤罪で拘留されていた。
肉体的な疲労度で言えば、今の方が断然厳しい。
しかし精神的な観点で考えると、為すべきことが目の前にあり、そしてそれに全力を尽くせるというこの状況の方が圧倒的に有り難かった。
犯人が秋山ではないと証明されるまで、秋山は痴漢などという下劣な容疑を掛けられた自分をナマエがどう思っているのか、胃が痛くなるほど憂患したのだ。
きっと冤罪だと分かってくれているはずだ、と何度自分に言い聞かせても、軽蔑した視線を向けてくるナマエの顔ばかり想像してしまい、秋山は気が狂いそうだった。
蓋を開けてみれば、ナマエは秋山が痴漢をしたなどとは微塵も考えていなかったようで、屯所に戻った秋山は呆気ないほど何の違和感もなく受け入れられた。
当時、一連の事件が解決した後、心配性な秋山はナマエに訊ねたのだ。
少しくらい疑ったのか、と。
今にして思えば失礼極まりない問いにナマエが何と答えてくれたのか、秋山は今でも憶えている。

全然。だって秋山、私以外に興奮しないでしょ。

あっけらかんと、何の衒いもなく、ナマエはそう言って笑った。
例えばこれを言ったのがナマエ以外だったならば、随分と自信過剰な台詞だと思っただろう。
だがそれがナマエの発言というだけで、秋山にとっては堪らなく嬉しいものになった。
当然のように秋山の想いを理解し、疑うことなく知ってくれている。
ナマエの言葉は、何一つ間違っていなかった。


「秋山ぁ」

懐かしいことをつらつらと思い返していた秋山は、不意に名を呼ばれて我に返った。
気が付けば、いつの間にかパソコンの起動は済んでいる。
いくら疲れているとはいえ職場で気を抜くなんて、と秋山は軽く落ち込んだ。
だが、今なら何もしない時間が三分あるだけで眠れそうな気もする。

「はい、ミョウジさん」

気を取り直し、秋山は呼ばれた方に視線を向けた。
ナマエがファイルを片手に、椅子の上で上体を捻って秋山を見ている。

「一昨日菱ヶ谷であった強盗事件だけどさ、このストレインの異能、七八四号と一緒?」
「少し待って下さい、確認します」

脳味噌の中身を一瞬で事件の内容に切り替え、秋山は手早くキーボードを叩いた。
ナマエの手前、杜撰な仕事など出来ようはずもない。

「ーー はい、そうです。重力操作、同じ能力ですね」
「ふぅん。……じゃあ、二人の関連性の有無だけ確認しといて。あ、急ぎじゃなくていいから」
「分かりました、ミョウジさん」

秋山が頷いた時にはすでに、ナマエはもう別の書類に視線を落としていた。
一体いくつの案件を並行して同時に管理しているのか、秋山には想像もつかない。
秋山に出来ることはただ一つ、少しでもナマエの役に立つことだった。
至急ではないと言われたが、早いに越したことはないだろう。
秋山は該当する二件の捜査資料をモニターに並べ、それぞれの犯人について調査を始めた。
幸いにも、以前同じバーでアルバイトをしていたという経歴はすぐに見つかり、その時期が被っていることも分かった。

「ミョウジさん、先ほどの件ですが、」

添付資料を印刷しながらナマエに声を掛ければ、ん、と声だけが返される。
その手元を見やれば、今度はタブレットを操作していた。
秋山は一瞬、報告を後回しにしようかと逡巡するが、ナマエが何も言わないということは続けて良いということなのだろう。

「両事件の犯人とも、三年前に同じバーでアルバイトをしていたようです」
「バー?」
「はい。鎮目町にある『magenta』という店です」
「……鎮目町でマゼンタ、ねえ」

ナマエがタブレットから指先を離し、顔を上げた。
僅かに見える横顔はどこか思案気だ。

「聞き覚えあるなあ。……他にもさ、そのバーの関係者にストレインいなかったっけ……いや、そこまではいいや、後で自分で調べる」

もう既に何十もの事件を抱えているというのに、ナマエはさらに手を伸ばそうとする。
勿論それが必要なことならば仕方ない。
でも、少しくらい頼ってくれればいいのに。

「店の情報だけこっちに送っといて、」

誰よりも仕事が出来る人だとは知っているが、何もかも一人で抱え込まないでほしいのに。
秋山は、殆ど無意識のうちに椅子から立ち上がっていた。

「あのっ、ナマエさん!それなら俺が調べて…………おき、ます………ので………」

ーー 俺は今、彼女を何と呼んだ?

その刹那、顔から一瞬で血の気が引いた。
先程まで部屋に響いていたはずのタイピング音が、ペンの走る音が、書類を捲る音が、同時にピタリと止まる。
その時になってようやく振り返ったナマエの視線が、秋山に焦点を合わせた。
時を同じくして、室内にいた隊員たちの視線もまた秋山に集中する。
秋山は咄嗟に掌で口元を覆い、俯いた。
いくら疲弊し頭の回転が鈍くなっていたとはいえ、とんだ大失態だ。
穴があったら、否、なかったとしても自力で掘って埋まりたい。
先程引いたはずの血が、今度は逆流して顔全体を熱くした。

秋山は普段、他人の目があるところで絶対にナマエを名前で呼ばない。
唯一の例外として弁財の前ではナマエさんと呼んでいるが、それ以外は、たとえ勤務時間外であろうとも名字呼びを徹底していた。
一度、飲み会の席で泥酔し、何人かの前で名前で呼んでしまったことはあったが、過ちはその一回こっきりだったというのに。
まさか職場で、勤務中に、他の隊員たちがいる目の前で、こんなことをやらかすとは。
最も驚愕しているのは、何を隠そう秋山自身である。

視線が痛い。
主に、ナマエから向けられる視線だ。
何と言われるのか、秋山は卓上を見下ろしたまま身構えた。
叱責は覚悟の上だが、出来れば何事もなかったかのように受け流してほしい、というのが本音だ。
弁財や日高らの前で追及されるのは居た堪れない。

「……そ。ならよろしく。ーー 氷杜」

ーー 彼女は今、俺を何と呼んだ?

先程とは打って変わり、今度はガタガタッとあちこちで物が崩れたり椅子が倒れたりする音が聞こえる。
秋山が弾かれたように顔を上げると、上半身を捻って椅子の背もたれに腕を乗せたナマエが、大層愉しげな笑みを浮かべていた。
まさかそう返されるとは思わず、秋山は返事をすることさえ儘ならない。
これは間違いなく仕返しだ。
完全に遊ばれている。
それなのに、嬉しいと思ってしまう自分がいるのだから始末に負えない。
頬がより一層赤くなったのを自覚し、秋山は口を間抜けに開閉させて立ち尽くした。

やがて沈黙は、ナマエが手を二度打ち鳴らす音で破られる。

「はい、仕事仕事。日高、そこの書類ちゃんと順番に並べといてよー」

再びデスクに向き直ってタブレットに視線を落としたナマエの背後で、床から立ち上がった日高がばら撒いた書類をいそいそと片付け始めた。
加茂たちも、それぞれの作業に戻る。
秋山は思わず助けを求めるように視線を弁財に投げたが、弁財はそれに気付いていながらも無視を決め込んでモニターに向き直った。
その口角が上がっていることを見て取り、秋山は眉間に皺を寄せる。
そこでようやく自分だけがいつまでも棒立ちになっていることを理解し、秋山はずるずると椅子に崩れ落ちた。
たった今引き受けた調査をすぐにでも始めなければならないのだが、思考が碌に機能しない。
その原因は、睡眠不足でもなければ超過勤務でもない。
言うまでもなく、ナマエのせいだった。


たった一人、秋山だけが固まったまま動けない情報処理室の空気は、先程までよりも格段に明るい。
タイピング音と紙の擦れる音が、軽快に響いていた。





ご愛嬌ミステイク
- そして確信犯による返り討ち -






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