拝啓、泣き虫な君へ[2]
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その後数時間に渡り秋山は書類の山と格闘し、情報処理室を後にした頃にはもう日付が変わっていた。
タンマツを何度確認してみても、ナマエからの返信はない。
呆気なく終わった二十六回目の誕生日に、秋山は深い溜息を吐き出した。
今朝の時点でもう既にこうなる展開は読めていたはずなのに、やはり心のどこかで期待を捨て切れずにいたのだろう。
仕事が終わってしまえば余計に、思考が落ち込んだ気分に引き摺られて足取りまで重くなる。
部屋に戻るなり秋山は、食事も風呂も全て明日に回して、着替えるだけ着替えるとすぐさま二段ベッドによじ登った。
確かに疲れてはいるが、然程眠いわけではない。
それでも、ベッドに突っ伏して目を閉じ、儘ならない現実から逃避したい気分だったのだ。
しかし、である。

「………え?」

現実は、秋山に逃げることを許さなかった。

「……これ、って……」

使い慣れた枕の上、そこにぽつんと、一枚の白い封筒がある。
模様も飾りもないシンプルなそれの真ん中には、"秋山氷杜様"と、丁寧な文字が並んでいた。
一瞬で、それが何であるのかを理解した秋山は、驚愕に目を見開く。
その目を擦っても、何度瞬きをしても、それは秋山のよく知るナマエの筆跡に違いなかった。

「ナマエ、さん……っ」

書いてくれたのか。
この忙しい中、秋山の我儘を聞き届けて、約束を果たしてくれたのか。
今どこで何をしているのか分からないが、今日この日に秋山の目に触れるよう、部屋まで持って来てくれたのか。
内容を読む前からすでに、秋山はその事実だけで目頭が熱くなった。
震える手を伸ばし、枕の上から封筒をそっと掬い上げる。
ボールペンで書かれたらしい秋山の名前は、それがナマエの手によるものだというだけでとても尊く感じられた。
果たして、中には何が書かれているのだろうか。
期待と緊張に跳ねる鼓動を数度の深呼吸で抑えてから、秋山は意を決して封を丁寧に剥がした。
そっと破れないように開封した後に中から取り出した便箋は、二枚重なっている。
封筒と同じく真っ白な便箋を二つ折りの状態から開けば、一枚目、上から下までびっしりと、ナマエの筆跡で書かれた文字が連なっていた。
短くて良いと、言ったのに。
こんなにもきちんと書いてくれたのか。
秋山は零れそうな涙を瞬きで逃し、一字一句を目に焼き付けんと読み始めた。


秋山、誕生日おめでとう。
二十六歳?見えないね。なんでだろうって、ちょっと不思議に思うよ。対外的には年相応以上に落ち着いてるし、思慮深いのに。童顔なのかな。それともあれかな、私だけが知ってる君が、妙に幼いからかな。もしかしたら、他の人にはちゃんとアラサーに見えてるのかもしれないね。何はともあれ、おめでとう。


ふふ、と秋山は思わず笑った。
年相応に見えないだの、童顔だの、わりと貶されているのに、文字がそのままナマエの声として脳内で再生された途端、その声音はとても優しく甘く響くのだ。
ナマエが、"私だけが知ってる君"が存在することをちゃんと分かってくれている。
文字面で見れば素直さに欠ける祝いの言葉でも、秋山にとってはただの睦言だった。


さて、困ったな。後は何を書けばいいんだろう。先に決めてから書くべきだったね。でもほら、秋山が、形式とかは気にしなくていいって言ってたから。思うがままに書いてみようと思ったんだ。そしたらまあ、こんなことになってるんだけど。基本的に私は、計画性のないことはあまりしないタイプだったはずなんだけどなあ。君は私のそういうところを呆気なく崩しちゃったよね。


それが秋山に対する賛辞であることを、ナマエは自覚した上で書いたのだろうか。
ナマエが長年貫いてきた、どこか常人離れした思考回路やスタンスを崩せたと知って、秋山が喜ばないとでも思っているのだろうか。


まあ、手紙を書く機会なんてそうそうないと思うから、この際、思ってることをちらりほらりと。まずはあれだね、いつもお疲れ様。こんな時に仕事の話をするのは無粋かもしれないけど。でも、これだけ。君がいてこその特務隊です。背筋を伸ばして、ただただ直向きに任務に就く姿勢を、誇らしく思います。どうか胸を張って、変わらぬ君でいてね。


「……ナマエ、さん……」

ああ、本当に卑怯な人だと秋山は顔を歪めた。
普段、そんなことは決して口にしないくせに、どうしてこんなところで何でもないことのように爆弾を落としていくのだろう。


あとはね、プライベートな話。いつもありがとう。君の恋人は、手が掛かるでしょ。面倒なところがいっぱいあるでしょ。私だったらお勧めしないね。でもほら、君は物好きだから、なんだかんだこの先も一緒にいてくれるんだろうなあ、なんて。甘えてます。まったく、君は馬鹿だねえ。女の趣味が悪いって言った方がいいのかな。でも、そんな馬鹿な君が好きな時点で私も大概だし、お互い様?なんだ、端から見れば意外とお似合いかもね。


「なに、なんで……?」

秋山の知るナマエは、決して自らを卑下する人ではなかった。
過大評価もしないが、過小評価もしない。
そんな人がどうして、自らを面倒だと評するのだろう。
かつてない状況に、秋山は混乱する。
そして、甘えてます、馬鹿な君が好き、意外とお似合い、と。
ひたすらに、秋山の心臓を揺さぶるような言葉ばかりが並ぶ文章を、秋山は信じられない思いで見つめた。


本当は誕生日、直接祝いたいと思ってたんだよ。生憎、会えそうにないんだけれど。この埋め合わせは、今度必ず。寂しかった?もしかして、メールくれたりしてるのかな。ちゃんと返事来た?もし来てなかったら、お誕生日様だぞ馬鹿ちょっとくらい構えよって、電話でも何でもしてやって。君は普段、何かと気を遣って我慢しすぎだから。たまには我儘も言って下さい。


充分だ、充分すぎるほどに、ナマエは秋山の我儘を聞いてくれている。
この手紙が何よりの証拠だろう。
それなのにナマエは、秋山にこれ以上を許すのだろうか。

「……ばか、……ナマエさんの、ばか」

思わず口を突いて出た悪態は、今にも泣き出しそうなほどに弱々しく震えていた。


さて、そろそろスペースもなくなってきたかな。仕事以外で手紙なんて書いたの、何年ぶりだろう。案外面白いね。もう二、三枚書けそうな気もするんだけど、そろそろ時間なんだ。というわけで、もう一つだけ。君は私の自慢の恋人です。だから、私が誇る君を、君も信じて下さい。何があっても、絶対に。うん、そんな感じかな。あ、秋山、泣かないでよ?


ぽたり、と。
便箋の上に水滴が落ちた。
秋山は慌てて、これ以上濡れないように便箋を持つ手を伸ばして遠ざける。

「もう、手遅れですよぉ……」

泣くな、なんて。
きっと秋山が泣くと分かった上で書いたくせに、どの口が言うのだろうか。


最後にもう一度。誕生日おめでとう、秋山。


手紙は、そう締め括られていた。
いつ用意してくれたのかは分からないが、これを書いた時も間違いなく忙しかっただろうに、最後まで丁寧な文字は崩れないまま。
秋山は溢れる涙を何度も袖で拭い、末尾に記されたナマエの名前を見つめた。
手紙が欲しいとリクエストした時、正直に言うならば秋山は、精々メッセージカード程度の短い文章くらいしか期待していなかったのだ。
"誕生日おめでとう"と、添えられた一言二言。
それだけで充分すぎると思っていた。
まさかこんな、歴とした手紙が届くなんて、思ってもみなかった。
何でこんなにも、狡い人なのだろう。
普段のナマエは決して言葉を尽くすタイプの人種ではないし、恋人として甘い空気を作り出すことも滅多にない。
それなのにどうしてこんな時ばかり、秋山を喜ばせてくれるのだろう。
秋山をどうするつもりだ。
自慢だと、誇りだと、ナマエにそう言ってもらえることの価値を、低く見積もりすぎているのではないだろうか。

「………あれ?」

そういえば、と秋山は不意に思い出した。
封筒から取り出した時、便箋は二枚あったはずである。
手の中で少し紙をずらせば、案の定、一枚目の下に二枚目があった。
文面としては完結していた手紙の、続きには何が書いてあるのか。
秋山は何気ない所作で紙を捲り、そして固まった。
拭ったはずの涙がぶわりと勢い良く迫り上がり、熱い雫となって頬を濡らす。


愛してるよ、氷杜。


溢れ出る涙のせいで滲む文字に、秋山は確信した。
ナマエは、秋山が本当に求めたものの意味を知っていたのだ、と。
物ではない、値段でもない。
ナマエからの唯一無二を、一生残る形で。
そう願った秋山の意図を汲んで、敢えてこの言葉を、この名前を文字にしてくれた。

「……ナマエさん……っ、ナマエさ、ん……」

優しくて、卑怯で、頭が良くて、何でも卒なくこなしそうに見えて実は少し不器用な、愛しい人。
今ここにいない人の想いを抱いて、秋山は泣いた。
嬉しくて、寂しくて、誇らしくて、切なくて、そして愛おしかった。

秋山は思う。
この涙が止まって嗚咽が収まったら、ナマエに電話を掛けよう。
そして、お誕生日様だから構ってほしいと、一年で一番の我儘を言おう。
きっとナマエは呆れたように笑ってから、しょうがないなあ、と秋山を許してくれるだろう。





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