コバルトブルーの誇り[3]
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それは、唐突だった。
深夜一時半過ぎ、ナマエのタンマツが鳴り響く。
液晶に表示された弁財酉次郎の文字に、ナマエは一も二もなくタンマツを取り上げた。

『ミョウジさんっ!』

通話を繋げた途端、ナマエが名乗るよりも先に弁財の切羽詰まった声が聞こえ、ナマエは思わず立ち上がる。

『秋山の意識が戻りました!』

次いで鼓膜を揺らした音に、ナマエは全身の力が抜けるのを感じた。
ゆっくりと椅子に腰を落とし、長い溜息を吐き出す。

『ただ、』

しかし、続けられた言葉は安堵感に不意打ちを食らわせた。

『目が覚めてしばらくは落ち着いていたんですが、事情を聞こうとした途端に錯乱して、』
「錯乱?」
『はい。ナマエさんは無事なのか、と』
「……狙いは私ってこと?」

分かりません、と弁財が困惑しきった声を出す。

『大暴れしてしまって、今は五島が何とか抑え込んでますが、』
「分かった、すぐ行く」

ナマエはタンマツを通話状態にしたまま情報室を飛び出した。
車両庫に向かう道すがら、弁財に状況の詳細を聞き出す。
秋山はナマエの身に危険が及んだと思い込んでいるらしく、何か幻覚でも見せられたのではないか、というのが弁財の見解だった。
ナマエはサーベルを引っ掴んで公用車に乗り込み、提携病院までの最短ルートを法定速度など完全に無視してかっ飛ばす。
深夜ということもあり、車は五分と経たずに病院の正面エントランス前に横付けされた。
ナマエが来ることは弁財から伝えられていたのか、待ち構えていたスタッフがナマエを案内してくれる。
階段で二階に上がったところで、廊下の奥から秋山の声が聞こえてきた。

「弁財!俺のことはいいからナマエさんを……っ!」

かつて、任務中にナマエの乗っていた指揮情報車が爆破された時のような、悲痛な叫び声。
ナマエはスタッフを置き去りに駆け出した。
ICUのベッドの上、もがく秋山を弁財と五島が二人掛かりで抑え込んでいる。

「秋山っ!」

個室の入口で立ち止まり、声を張り上げてその名を呼んだ。
弁財と五島がはっと振り返る。
二人の力が緩んだ隙に、秋山が上体を起こした。
目を見開いた秋山は、まるで信じられないとばかりの表情を浮かべている。

「あきやま、」

もう一度、確かめるようにナマエは繰り返した。
秋山を見据えたまま、一歩ずつ距離を詰める。

「……ナマエ、さん………?」

幽霊にでも遭遇したような様相で、呆然と呟かれた名前。

「そうだよ、秋山」

近付くにつれ、秋山の唇が戦慄いていることが分かった。
否、そうではない。
秋山は全身を震わせていた。

「……本当に……?生きて、るんです、か……?」
「まあ、どちらかと言えばそれは私の台詞なんだけどねえ」

つい先程まで意識不明の重体だった相手に、生死の心配をされるというのは奇妙な感覚である。
しかしナマエがいつものように苦笑して見せても、なぜか秋山には到底信じられない光景らしい。
あろうことかベッドから降りようとするので、ナマエは慌てて残りの距離を縮めた。
間一髪、足に全く力が入らず倒れかけた秋山の身体を抱きとめる。

「馬鹿、怪我人は大人しくしてなさいよ」

ナマエは秋山をベッドに戻そうとしたが、それよりも早く秋山の手がナマエの背中に縋り付いた。

「……ナマエさん、だ………本当に、ちゃんと、生きて……っ」

ストレインの影響か、それとも混濁した意識の中で現実とは異なるものを見たのか。
何にせよ、秋山が本当にナマエの生死を文字通り死ぬほど心配していたということは理解した。

「生きてるよ、秋山。私も君も、ちゃんと生きてる」

ナイフで刺された箇所を聞いていないため、迂闊にあちこち触れることは憚られ、ナマエは無事らしい秋山の後頭部に手を添える。
落ち着かせようと、優しい手つきで髪を撫でた。

「ここにいるのは、本物だから。君が泣き虫なことも、ちょいちょいヘタレなことも、でも馬鹿みたいに優しいことも知ってる、君の恋人だから」

ね、と耳元に囁く。
本当に怪我人なのかと疑わしく思うほど、秋山がナマエの背を強く掻き抱いた。

「ナマエさん……っ、よか、った……、無事で、ほんと、に……っ、よかった……っ」

間違いなく、全てナマエの台詞である。
それなのに秋山が震えながら言葉を零すので、ナマエはそれらを言う機会を逸してしまった。
泣いて縋り付くつもりはなかったが、だがきっと、ナマエはよかったと安堵して普段は見せないような姿を晒す羽目に陥るはずだったのに。
秋山がこんな状態なせいで、完全に立場が逆転した。

「ナマエ、さん……っ、ナマエさん……っ」

涙声で繰り返される呼び掛けに、ナマエは一つずつ「うん」と応えていく。
過呼吸気味に喉を引き攣らせながら、秋山は喘ぐように声を絞り出した。

「よか、た……っ、ほんと、に……っ、ーーー ナマエ、さ……っ」

いよいよ呼吸が限界まで乱れた秋山の背を、ナマエは僅かに力を込めて抱き締める。
病院着に包まれた背中を、片手でそっと撫で摩った。

「氷杜、大丈夫だから」

おちついて、ゆっくりいきをして、と幼子を相手にするよう言い聞かせる。
喘鳴交じりの呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻すまで、ナマエはずっと秋山の背を撫でていた。

ようやく呼吸を整えた秋山は、それでも頑なにナマエから離れることを拒んだ。
ナマエは秋山をベッドに寝かせ、用意させた椅子をその隣に置いて秋山と手を繋いだまま腰を下ろす。
バックボトムを僅かに起こしたベッドに横たわった秋山は、微かに震える手でずっとナマエの手を握り締めていた。
まるで離せば死んでしまうとばかりに強い力がこもった手を、ナマエも同じように握り返してやる。

「……話せる?」

精神的にももう少し落ち着かせてから話を聞くべきだということは、ナマエとて理解していた。
しかし、事件がまだ終わっていない以上、ことは一刻を争うのだ。
次の被害者を出さないためにも、早急に秋山から事情を聴取する必要があった。
はい、と小さく顎を引いた秋山を見て、ナマエは弁財と五島に人払いを命じる。
秋山はゆっくりと、時折記憶を掘り返しながら自身の身に起こった出来事を言葉にしていった。

買い物に行く途中だった。
道を歩いていると、唐突に周囲の音が聞こえなくなり、辺りが一面の白い世界になった。
まるで大きな箱の中に閉じ込められたような感覚だった。
警戒しながら様子を窺っていると、背後からナイフを持った一人の男が近付いて来た。
問答無用で攻撃されたので、素手で応戦した。

「……その結果が、これです。面目次第もありません」

秋山は、左の二の腕と脇腹、右の太腿をナイフで刺された。
その後地面に叩きつけられたところで意識を失い、気が付けば病院のベッドだった。

「男の特徴は?」
「身長は俺より少し高いです。二十代後半から三十代前半、黒髪短髪で髭を生やしていました。覚えているので、後で描きます」
「その空間操作は、男の能力?」
「だと思います」

なるほど、とナマエは頷く。
これで、それなりに人通りがあったはずなのに目撃情報が一切出て来ないことへの説明はついた。
恐らくその異能は、外側からの認識も操作するのだろう。

「……それで?」
「え……?」
「まだあるでしょ」

全て話し終えた、とばかりに目を閉じていた秋山が、その目を瞠る。

「ストレインの異能が空間操作なら、本人の戦闘能力自体は強化されてないんでしょ。君が負けるわけがない」

秋山の顔が強張った。
当然、ナマエはそれを見逃さない。

「なに隠してるの」

ナマエの問いに、秋山は唇を噛んだ。





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