君がくれる愛情[3]ノックと共に、青雲寮一号室のドアを開ける。
壁際に秋山が膝を抱えて座り、弁財はベッドの下段に腰掛けていた。
空気が異様に重苦しい。
恐らく、一言も会話はなかったのだろう。
正確には、秋山がだんまりを決め込んでいたのだろう。
正当性を主張出来ないこともないだろうに、秋山は黙秘して言い訳一つしなかった。
不器用というか、実直というか、とにかく秋山らしいとナマエは感じた。
「弁財、ありがと。デスクに引き継ぎ置いておいたから、あとは任せるね」
立ち上がった弁財が、一つ頷いてそのまま部屋を出て行く。
後に残された秋山は、身動ぎ一つせず一点を見つめていた。
「秋山、制服脱いで」
「………はい?」
そんな秋山を立ったまま見下ろして、ナマエも自らの制服に手を掛ける。
唐突な指示に、流石の秋山も惚けた顔を上げた。
「いいから、上着脱ぐ」
「え、あ……はい、」
意図を理解しないまま、秋山は立ち上がって素直に制服の袖から腕を抜く。
ナマエが脱いだ上着を床に落とすと、秋山も倣うようにそっと丸めて床に置いた。
「事情は聞いたよ」
「………はい、」
「君はほんっとうに馬鹿だね」
「………はい、」
何も否定することなく、弁解することもなく、秋山は項垂れる。
跳ねた髪の間に垂れた耳が見えるようで、ナマエはひっそりと笑った。
「素直すぎて、ほんと救いようのない馬鹿だけどさ、」
距離を詰める。
俯いて床を見つめる秋山の頭に手を伸ばし、乱れた髪をくしゃりと掻き混ぜて。
「そういう君が、大好きだよ」
耳元に唇を寄せ、甘ったれた声で囁いた。
そのまま、髪の隙間に覗く耳殻がじわじわと赤くなっていく様を観察する。
「氷杜」
名前を呼べば、秋山がそろそろと顔を上げた。
案の定、頬を赤く染めている。
「……ありがとう」
きっと、伝わったのだろう。
秋山が唇を震わせ、顔を歪めた。
情けなく垂れた眦に、指を添える。
「傷付いてないよ。怒ってもない。君が誇ってくれる私は、何も変わってないよ」
正直に言うと、柄ではないのだ。
誰かに憧憬を抱かれる人になりたかったわけではない。
でも、秋山が大切にしてくれるミョウジナマエという存在を、もうしばらくは守っていたいと思った。
「……許せなかったんです。貴女を、あんな風に言われて、」
「うん」
ようやく「はい」以外の言葉を紡いだ秋山を、ナマエはじっと見つめた。
「そんな想像をされることも、貴女を侮辱されることも、許せなかった」
でも、と秋山が視線を落とす。
「俺も、同じでした」
「……は?」
「俺も、貴女に好きだと伝える前から、想像したことがありました。貴女の、そういう姿を、想像して……それは、つまりあいつらと同じことだったのかと、」
「はいストップ」
馬鹿だ馬鹿だと思っていたし、先程もそう言ったばかりだが、まさかここまで重症だとは思わなかった。
「あのね秋山、それ、根本的に間違ってるから。そこに愛があれば何でも許されるとかロマンチックなことは言わないけど、片想いのマスターベーションと下卑たレイプ妄想じゃ意味が違うでしょうが」
再び俯いた秋山が直接的な単語に狼狽えないところを見る限り、これは相当思い詰めているらしい。
相変わらずマイナス思考というか、振り切れて極端というか、理解し難い思考回路だ。
ナマエは一つ嘆息し、徐に秋山の頭を抱き寄せた。
肩口に顔を埋めさせ、その髪を撫でる。
「じゃあ、こう言えば納得する?……私も想像したことあるから、それで相子、ね?」
正確には、それは付き合うようになってからの話だが、きっと今そんなところまで追及されることはないだろう。
予想と違わず、ナマエの腕の中で秋山はぴしりと硬直した。
「な、……あ……、え……?」
二の句が継げなくなった秋山に、ナマエは小さく喉を鳴らす。
顔を見られないのが少し残念だった。
「君はそれを嫌だと感じる?」
「い、いえ……っ、いいえ、とんでもないです……っ、いや、あの、恐れ多いです」
その返答も如何なものかと思うが、今回は聞き流そう。
「君が嫌だと感じないのに、私が嫌だと感じるって?本当にそう思う?」
「………嫌じゃ、ない、んですか……?」
「何か別のものオカズにされる方が残念だな」
「そんなことするわけが……っ!………あ、」
盛大に小っ恥ずかしいことを暴露した秋山が、ナマエの肩に額を押し付けて呻いた。
「つまりさ、秋山。君ならいいんだよ。恋人ってそういうもんでしょうが。で、付き合う前の君は、私にそんなことを悟らせなかった。なら、ルールとしてはセーフでしょ」
まあ、何となく気付いていたが、なんて余計なことは言わない。
それを告げたら秋山が立ち直れなくなるのは目に見えていた。
「納得した?」
ぽん、とベストの背中を叩けば、おずおずと身体を離した秋山が小さく頷く。
その表情からは、確かに先程までの影が消えていた。
ナマエは秋山の右手を両手で掬い上げ、基節骨の上に唇を落とす。
素手で殴るなんて、きっと久しぶりだっただろう。
労わるように、口付けた。
「明日、謹慎ね。これ、副長からの命令」
「……それだけ、ですか?」
「それだけです」
減俸、降格、色々と覚悟していたのだろう。
随分と軽い処分に、秋山はぽかんと口を開けた。
「私から、一つ追加」
「っ、はい」
一瞬で背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取った秋山に、ナマエは小さく笑ってその胸元に頬を寄せる。
「明日、私も非番だから。心配かけた罰として、美味しいオムライス作って。ホワイトソースがいい」
へ、と間抜けな音が頭上から聞こえた。
「返事」
「あ……、はいっ」
気合いの入った承諾に、ナマエは唇を緩める。
そのまま秋山に身体を預けていると、しばらく彷徨っていた両腕がやがて背中に回された。
ぎこちない抱擁が、やがて息苦しいほどの締め付けになっても、ナマエは文句を言うことなく黙ってそれを許容する。
この手はやはり、守るための手だと思った。
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