同じ時を歩んで行こう[3]
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そして、不運とは重なるものなのだ。

店を後にし、足取りの重い秋山を引きずるように歩いていると、偶然にも駅前でもう一度ナマエの姿を見つけてしまった。
駅へと繋がる階段の手前に、ナマエと先程の男が立っている。
二言、三言言葉を交わし、男がナマエの頭を軽く撫でた。
ナマエはそれを振り払うこともなく、苦笑している。
やがて、手を離した男が最後に何か言って、ナマエに背を向けると階段を上って行った。
その背を見送ったナマエが、踵を返して歩き出す。

一連の流れをタイミング悪く全て見てしまった弁財は、最悪だ、と本日何度目かの頭痛を覚えながらちらりと隣を窺った。
案の定、同じく全てを視界に収めてしまった秋山が呆然と立ち尽くしている。
ナマエとあの男の関係が実際はどうであれ、秋山にとって気分の良い絵面ではなかっただろう。
弁財にとっては非常に厄介な事態だった。

ダークブルーのデニムパンツと、ヒールなしのショートブーツ。
斜めジップのスタイリッシュな黒いコートの裾を翻して歩くナマエが、視線に気付いたのか気配を感じ取ったのか、ふと弁財と秋山の方に顔を向けた。
少し驚いたように目を細めたナマエが、一拍後には笑みを浮かべて近付いて来る。

「お疲れ。偶然だね」
「お疲れ様です。驚きました」

弁財は当たり障りのない受け答えをしたが、秋山は黙して何も言わなかった。

「非番だったんだもんね。飲んでた?なんかすっごいお酒の匂い、」
「ナマエさん」

先程まで情けなく泣いていた男のそれとは思えないような低い声音で秋山がナマエの言葉を遮った瞬間、弁財は視線で秋山を制する。
しかし酔って冷静さを欠いた秋山は、ふらりと一歩前に出ると冷然とした声をナマエに落とした。

「あれ、誰ですか?」
「……は?」

常と雰囲気の異なる秋山に対してか、それとも質問の意味を図りかねたのか、ナマエが首を傾げる。

「ねえ、ナマエさん。俺に隠して、誰と何をしてたんです?」
「……ああ、さっきのか。その人聞き悪い言い方やめてほしいなあ」
「外聞が気になりますか?あんなに堂々としておいて?」
「……はは、いい度胸だねえ」

弁財は、頭痛どころか胃痛まで感じ始めて顔を顰めた。
据わった目でナマエを見下ろす秋山は明らかに苛立っているし、この状況を理解してもなお笑みを浮かべるナマエはこれまた恐ろしい。

「俺に黙って、他の男に会って。剰え、頭を撫でられて喜ぶんですか、貴女は」
「人の話を聞く前から疑ってかかるわけだねえ、君は」

ああ、これは怒っているのだろう。
ナマエの笑みがぞっとするほど美しく、弁財は視線を逸らした。
この人がこんな風に瞋恚を露にするところを、初めて見た気がする。

「で?君は加茂の時と同じく、何か間違いがあったらどうするつもりですか、とか言うつもり?」

ナマエの言葉に、弁財はいつだったか、秋山が「俺を一発殴ってくれ」と訳の分からないことを言いながら帰って来た日を思い出した。
あの時弁財は、言われるがまま問答無用で秋山の頬を殴りつけたのだ。
二の舞か、と弁財は今後の展開を予測する。
きっと秋山は、酔いが覚めると同時に自分の仕出かしたことを思い返して地獄に落ちたような気分を味わうのだろう。
秋山は、どれほど酔って一線を越えようとも、記憶だけは絶対に失くさない体質だ。
この場合、それは幸か不幸か、どちらだろうか。

「間違い、ですか?狙い通り、ではなくて?」

恐らく、これが決定打となったのだろう。
ナマエがゆっくりと、明らかに敵を見据える双眸で秋山を上から下まで眺めた。

「へえ……面白いこと言うねえ、秋山」

声音が冷淡を極める。

「秋山、やめろ。失礼が過ぎるぞ」

弁財は咄嗟に口を挟んだ。
恋人同士の口論に他人が首を突っ込むのは野暮だが、見て見ぬ振りが出来る状況でもない。
このまま本格的な喧嘩をされてしまうと、とばっちりを受けるのは弁財なのだ。
同室者に一晩中塞ぎ込まれては気分が悪い。

「俺は何も面白くありませんよ。どういうつもりです?俺にわざわざ見せつけたかったんですか?」

酔っ払いとは恐ろしい生き物だ。
最早全く筋の通らない秋山の挑発に、弁財は頭を抱えたくなった。

「……そうだね、秋山。訂正するよ。物凄く不愉快だ」

目を眇めたナマエの、押し付けるような低音。

「君の顔、しばらく見たくないな」

あ、と思った時にはすでに手遅れだった。
秋山が、右手に握り締めていたショップバッグを思い切り放り投げる。
それは通行人の頭上に放物線を描き、最後の行方は視認出来なかったが恐らく高架下の川に落ちた。
今日一日かけて選んだものが、一瞬でごみと化す。
弁財が呆気に取られて白いショップバッグを目で追い掛けている間に、秋山は勢いよく踵を返すとその場から走り去った。

「秋山っ!」

その背に弁財は大声をぶつけたが、秋山は振り返らない。
流石の脚力で、秋山の姿はすぐ人混みに紛れ見えなくなった。

弁財が追い掛けることも出来ず呆然としていると、不意に聞こえた溜息。
振り返れば、ナマエが天を仰いで苦笑していた。

「……すみません、あいつ、かなり酔っていて」

社会人としては通用しない釈明だ。
秋山を擁護するつもりもない。
だが、ナマエに対する秋山の非礼は謝るべきだと思った。

「うん、まあ、分かってた。分かってたけど、ちょーっと嫌な言い方だよねえ、あれ」

ちょっと、ではない。
例えば弁財が恋人に同じことを言われたら、間違いなくその場で切り捨てただろう。

「まあ、頭冷やそうかな。巻き込んで悪かったね」
「いえ、……慣れてますよ、ミョウジさん」

苦笑したナマエがどこか悲しげに見えて、弁財は意識的に口調を軽くした。
その意図を汲んでくれたのか、ナマエが目を細める。

「善処するって言ったんだけどね、早速失敗かな」
「まさか。非があるのは秋山です」

どうだろうね、と苦笑したナマエが、思い出したかのように視線を移した。
フェンスの向こう、その下には川が流れている。

「巻き込まれついでに、一つ答えてほしいんだけど」
「はい」
「さっき秋山が投げたの、あれ何?」
「……貴女への、ホワイトデーと交際一周年記念のプレゼントです」

弁財の答えに、ナマエが目を伏せる。

「……そう、」

返されたのは、夜の闇に溶け込むような静かな音だった。




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